第5話 細剣部門戦(後編)
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第五試合は、第一試合の勝者と第二試合の勝者が戦う。
すなわち、シャンティリオン・グレイバスターと、北征将軍ガッサラ・ユーディエルである。
呼び出し係が、
「ゴリオラ皇国、ガッサラ・ユーディエル殿!
パルザム王国、シャンティリオン・グレイバスター殿!
出でませい!」
と、大音声で呼ばわった。
二人が入場し、それぞれ武器を選んだ。
定位置に向かいながら、ガッサラ将軍は自軍のほうに合図した。
すると従騎士らしい二人が大きな盾を持って走ってきた。
審判長がガッサラ将軍に何かを言い、ガッサラ将軍は笑いながら言い返している。
ガッサラ将軍は、従騎士二人に盾を支えさせ。
両の腕を曲げて。
「ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
鬼の形相になって息吹を吐き、全身に闘気をみなぎらせ。
右手に剣を持ったまま、左手の握り拳を盾にたたき付けた。
すさまじい轟音とともに、盾と従騎士たちは吹き飛んだ。
従騎士たちは、すぐに起き上がり、盾を高く掲げた。
ガッサラ将軍は、その盾を指し示しながら、どら声を張り上げた。
「シャンティリオン!
俺はこの通り無手闘術も使うっ。
気を付けるがいい!
うわっはっはっはっ」
無手闘術とは武器を用いずに素手で戦う武術を指す。
盾の中央には、バルドの位置からでもはっきり見える大きなへこみがついている。
あのごつい盾をへこませるというのは、尋常な打撃ではない。
しかも、殴りつけたときの音は、明らかに素手の音ではない。
手袋部分に、打ち金が仕込んであるのだ。
手袋は鎧の一部であり、金属鎧を着けても構わないのだから、その装備に卑怯な点はない。
こうしてわざわざ手の内をさらすのは、公正といえば公正のようでもある。
だが手の内をさらすことで相手を攪乱するつもりなのかもしれない。
審判長からとがめの言葉がないところをみると、無手闘術を使っても反則にはならないようだ。
6
鐘が鳴った。
近距離で向かい合うと、体格の差がいっそう際立つ。
北征将軍は雄偉にして巨大。
まるで大赤熊だ。
金属板を埋め込んだ分厚い革鎧を身に着けている。
右手に持った細剣が、食事用のナイフのようだ。
その細剣を振る。
遅い、とバルドは思った。
全身から感じる武威。
そこから予想した剣の鋭さを大きく裏切る太刀筋だ。
速度だけでなく、鋭さが今ひとつ足りない。
それでもけたはずれに巨体で振り回すのだから、攻撃半径は大きい。
威力もそれなりのものがあるだろう。
それを苦もなくシャンティリオンはかわす。
すると反対方向から拳が飛んできた。
分厚い板金盾をへこませる威力であるから、当たれば命にさえかかわる。
あざやかにシャンティリオンはかわす。
するとまた剣が来る。
この繰り返しだ。
あまりに体が巨大なので、剣が飛んで来る角度が予想できない。
それこそ後ろから飛んで来るような軌道を取ることもある。
そしてくせ者は拳だ。
剣より速い。
剣に気を取られれば、拳に打たれてしまう。
速度の違う二種類の攻撃が切れ目なく襲い掛かるのだ。
このなかなかに厄介なコンビネーションを、シャンティリオンは危なげなくかわし続けている。
攻撃はまだ繰り出していない。
シャンティリオンの注意は、北征将軍の剣と左拳と上半身に向けられている。
剣と拳をかいくぐって頭部かその近くにすきを探しているのだろう。
つまり、シャンティリオンは上に気を取られている。
そこに北征将軍の狙いがある、とバルドは気付いていた。
あのブーツの爪先の異様な張り出し方。
たぶん鉄環が仕込まれている。
おそらくは先をとがらせた。
それに気付かず攻撃を仕掛けたら、シャンティリオンは危うい。
と、シャンティリオンがわずかに腰を沈めた。
攻撃を仕掛けるつもりだ。
シャンティリオンが跳躍しかけたその瞬間を、北征将軍は見逃さなかった。
爆風を巻き起こしながら右足の蹴りを繰り出したのだ。
これはかわせん、とバルドは思った。
だが、若く俊敏なシャンティリオンの運動能力は、老騎士の予測を超えた。
空中で体を回転させつつひねり、シャンティリオンは蹴りをかわしてのけたのである。
横向きになって空中で回転するシャンティリオンの腹に、北征将軍の剣が迫る。
シャンティリオンはそれを剣で弾き飛ばした。
さらに北征将軍の左拳がうなりを上げて襲う。
シャンティリオンは回転力を利用して、右膝で北征将軍の左肘をはじき、これをしのいだ。
そして、ひねりを加えて着地すると、低い態勢ですぐさま北征将軍に飛びかかった。
その頭部目がけ、北征将軍の右前蹴りが繰り出された。
シャンティリオンの頭が砕けた、と思ったのは目の錯覚で、わずかな動きで蹴りをかわすと、シャンティリオンは北征将軍の向こうずねに剣をたたき付けた。
斬る、というよりは砕く太刀筋だ。
跳躍は、誘いだった。
北征将軍の足に仕掛けがあることを見抜き、その足を誘いだして砕いたのだ。
貴賓席の近くに立つザイフェルト騎士団長が、厳しいまなざしでシャンティリオンの闘いぶりを見ている。
北征将軍は、しかし戦意を失わなかった。
「せりゃあああああぁぁぁぁぁぁっ!」
裂帛の気合いを込め、斜め下から斬り上げるように右手の剣を振るった。
風をまとったその一撃が、バルドには悲壮感を伴ってみえた。
ここまで見れば、もう明らかである。
北征将軍は、右手を痛めている。
右手だけでなく、体全体が痛手を受けていて、たぶん競武会に出場できるような状態ではなかった。
だからこその、この戦い方なのだ。
本来の体調ならこのような剣筋ではないはずだ。
北の地から駆けつけたと言っていたが、競武会直前に満身創痍となるような戦いが勃発したのだろう。
シャンティリオンは北征将軍の捨て身の一撃を余裕をもってかわした。
右足の踏み締めが利かない北征将軍は、捨て身の一撃をかわされ、前に重心を崩した。
その腕は伸びきっている。
伸びきった瞬間、その右肩の腕の付け根の部分を、シャンティリオンは剣で打ち抜いた。
伸びきった状態でそこに強い打撃を与えれば、右腕は致命的な痛手を受ける。
骨が砕ける音を聞いたような気がした。
鋭い剣筋だ。
鋭すぎる。
戦いというものは、勝たねばならない。
だが、勝ちすぎてはいけない。
勝ちすぎ、殺しすぎ、奪いすぎれば、大きな恨みを残す。
それは結局こちらに返ってくる。
ほどほどに勝って従わせるのが最上だ。
勝ちの半分を相手に与えるぐらいでちょうどよい。
相手が手負いであることに、シャンティリオンは気付いたろうか。
気付いたはずだ。
気付いたうえで、非情の攻撃を加えたのだ。
体調管理もできない者は出場すべきでないと考えているのだろうか。
出場してきた以上は容赦なく倒して構わないと考えているのだろうか。
それは正論だ。
今のシャンティリオンの剣は、正論そのものだ。
対する北征将軍は、どうか。
なぜ試合前にこれみよがしに盾を無手闘術でへこませてみせたか、やっと分かった。
シャンティリオンの闘いぶりをみて、この相手には勝てないと北征将軍は悟った。
痛手を受けて動きの不自由な今、圧倒的な高速機動を持つ剣士とは、あまりに相性が悪い。
だからあえて示してみせた。
自分にはまだ牙が残されていることを。
この天与の才にあふれた若き騎士に全力で倒される価値のある男であることを。
胸を張って精一杯のみえをみせつけてみせたのだ。
北征将軍は、膝を突いて崩れた。
もう二本目を戦う力は残っていないだろう。
その眉間に、シャンティリオンの剣が突き付けられた。
「勝負あり!
シャンティリオン・グレイバスター殿」
審判長も、二本目を行う必要はないと判断したようだ。
シャンティリオンは、勝利を得た。
パルザム側の騎士たちは、大いに沸いている。
しかしシャンティリオンは気付いているのだろうか。
ゴリオラ側の騎士たちが、憎しみの目で自分を見ていることに。
7
第六試合は、第三試合の勝者と第四試合の勝者により行われる。
すなわち、マジストラ・ゲリと、ドリアテッサ・ファファーレン。
事前に聞いたところからすれば、マジストラはわざと負けるつもりだ。
そのことは、ゴリオラ皇国の出場者たちはうすうす気付いているだろうから、彼らはさぞ冷めた気持ちだろう。
と、思っていたのだが。
何かひどく沸いている。
何があったのか。
試合が始まり、バルドは気付いた。
マジストラは勝つ気だ。
本気でドリアテッサをたたき伏せる気だ。
あとでドリアテッサに聞いて事情が分かった。
マジストラは一年ほど前、皇都の武道大会で優勝し、その場でこの優勝はファファーレン家のドリアテッサ姫に捧げる、と公言した。
翌日、馬車に贈り物を満載して、マジストラはファファーレン家を訪ねた。
ドリアテッサは王宮詰めで不在であるが、それは承知で、家族に贈り物を渡しに来たのだ。
それは婚約申し込みにも等しい行為である。
ドリアテッサの兄アーフラバーンは機嫌良く迎え入れた。
マジストラの肩を抱き、君のような優れた武人が未来の義弟とは頼もしい限りだと笑顔をみせ、自家の練武場に連れ込んだ。
そして半死半生になるまでたたきのめして、贈り物ともども放り出した。
今日ドリアテッサは、ほかの出場者や従卒たちが見ている前で、私に勝ったら妻にでも愛人にでもなってやる、とマジストラに言ったそうだ。
騎士が騎士に与えた言質は重い。
つまりこの約束は必ず果たされるとみてよい。
ドリアテッサを優勝させるという皇王の意向に背くことになりかねないが、なにしろ本人がそう言うのだ。
それに、ドリアテッサに恋慕した身分の低い青年騎士が競武会の優勝を勝ち取り、その勝利を捧げてドリアテッサを妻に望んだとすれば、どうか。
人々を興奮させる偉大な物語の続きとしては、悪くない。
それはおそらく皇王の意向から大きくはずれていない。
なるほど、気合いも入ろうというものだ。
試合は、マジストラが仕掛けては、ドリアテッサがそれをかわし続け、最後にマジストラの隙を突いて攻撃を当てる、という形でドリアテッサが二本勝ちを収めた。
いずれも、強い踏み込みからの刺突ぎみの斬撃で勝負を決めた。
その突進力と素早さと間合いの長さは強く観戦者たちの脳裏に刻み込まれ、もはや女だてらにとの嘲笑を許さない。
マジストラは控えめにいってもよい剣士であったが、ドリアテッサの心技の充実はただごとでない。
それにしても、もっと早く攻撃すれば、もっと短時間で勝てたろうに、そうはしなかった。
ドリアテッサは、マジストラの猛攻に身をさらすことで、おのれを研ぎ澄ましたのだ。
決勝戦のために。
8
そのときは、きた。
ドリアテッサとシャンティリオンが呼び出され、二人は闘技場の中に進み出た。
ドリアテッサは、新品の美しい革鎧に身を包んでいる。
要所は非常にしっかりした作りになっているようだ。
濃い茶色の革鎧で覆われているため、なおさら白い肌と朱い唇が引き立っている。
しなやかな動きが逆に武威の高さを感じさせる。
女豹のようだ。
シャンティリオンの白いシャツは、ひどく場違いなものにみえる。
女神のように超然としている、などと評すれば本人は怒るだろうか。
その姿は、命懸けの戦いに緊張する戦士というより、風に吹かれるのをたのしんでいる吟遊詩人だ。
鐘が鳴った。
ドリアテッサは、斜め前に剣を突き出して、相手の出方を待った。
シャンティリオンは、両手をだらんと下げたままだ。
闘技場はしんとして物音もしない。
闘技場の外からもざわめきは聞こえてこない。
世界中が二人を見ている。
ドリアテッサが、じりっと足をすり寄せて前に出た。
シャンティリオンに動きはない。
ドリアテッサが、またわずかに前に出た。
シャンティリオンの剣がほんの少し前に突き出された。
息の詰まるような沈黙のなか、ドリアテッサはさらに足をすって前ににじり出た。
お互いの制空権を侵す距離まで近づいているというのに、ドリアテッサの剣は、攻撃の予兆を感じさせない。
誘っているのだ。
ドリアテッサは、カーズ・ローエンの教えを忠実に守っている。
相手の隙を見いだし、そこを確実に打ち抜く。
隙が見えるまでは攻撃しない。
ただただ相手の攻撃をかわしつづけ、隙を待つのだ。
つまり、相手に攻撃されるために、ドリアテッサは今前に出ている。
シャンティリオンの剣速と技は、尋常のものではない。
ゴリオラ皇国で一流と呼ばれ英雄と呼ばれる手練れを、危なげなく打ち破った危険な剣士だ。
その懐にじりじりと踏み込んでいくのだ。
切れ間なく心魂に力を注ぎ続けなければ、できることではない。
シャンティリオンの剣が踊った。
下に向いていたはずの剣は右上から袈裟懸けにドリアテッサを襲った。
左肩と左足を引いて、ドリアテッサはその剣をかわした。
間髪入れず、シャンティリオンは半歩踏み込みつつ、左下から右上に剣を跳ね上げた。
このとき、シャンティリオンは手首を返していない。
鎬の両側に刃がある両刃の剣ならではの技だ。
ドリアテッサは上半身のひねりでかわした。
シャンティリオンの剣はくるりと回転し、左上から右下に振り下ろされた。
足の送りが追いついていないドリアテッサは、体をひねってかわした。
体の柔らかさがなければできないかわしかただ。
だが完全にはかわしそこね、ドリアテッサの左の脇腹を剣の先端がかすめた。
ここまでが一呼吸のあいだの攻防である。
再び両者は、動から静にもどった。
シャンティリオンの左足は、右足より少し後ろにある。
その左足を右足に引き寄せながら。
つまり体を前に運びながら。
シャンティリオンは、剣を左肩の前まで持ち上げた。
ドリアテッサは打ち込もうとしない。
まだ隙がみえないのだ。
シャンティリオンの剣が左上から右下に振り下ろされた。
速い。
先ほどより数段速い攻撃だ。
ドリアテッサは半歩後ろに下がりつつ、体をひねってこれをかわした。
シャンティリオンの剣は振り下ろしから突きに変化し、ドリアテッサの胸に突き刺さった。
と見えたが、ドリアテッサはきちんと相手の剣の動きを見極め、瞬時に右に動いてこれもかわした。
シャンティリオンめ、驚いておるな、とバルドは思った。
表情を見定めるには距離がありすぎるが、何となくそう感じた。
なるほど、シャンティリオンの剣は迅い。
だが、カーズ・ローエンの人間離れした剣速を見慣れた目になら、けっして捉えられない速度ではない。
シャンティリオンが連続攻撃に出た。
速い、速い、速い。
今までの攻撃よりずっと速い攻撃が続く。
右から、左から、上から、下から。
ドリアテッサはそのすべてを見事にかわし、そして。
右足で強く大地を踏みこんで突進すると、真正面から突きに近い振り下ろしをシャンティリオンの顔面に放った。
それが誘いの隙だったのか、そうではなかったのか、バルドには分からなかった。
どちらであったにせよ、シャンティリオンはドリアテッサの剣を自分の剣で払いのけ。
無防備となったドリアテッサの首元に剣を突き付けた。
ドリアテッサは動けない。
シャンティリオンが、これまでの冷たい剣さばきが嘘のように、炎の闘気を放っている。
動けば首を切り落とされる。
そう思うほかない殺気だ。
「一本!
シャンティリオン・グレイバスター殿」
審判長が判定を下した。
続いて二本目の鐘が鳴ったが、シャンティリオンがあっさりと勝利を収めた。
ドリアテッサは、一本目で気根を使い果たしてしまったのだ。
それほど高い集中力を、ドリアテッサはみせた。
そしてそれでもシャンティリオンには及ばなかった。
ドリアテッサは悄然と自陣に引き上げた。
だが、ドリアテッサは胸を張ってよい。
近衛師範よりも北征将軍よりも、ドリアテッサはよい試合をした。
決勝にふさわしい試合だった。
この準優勝は、皇女シェルネリアに捧げるに値する。
事実、ゴリオラの人々の目は誇りと賞賛をたたえている。
ドリアテッサは、よくやった。
ただ相手があまりにも化け物だった。
まさに剣の王。
ザイフェルトが万人に一人の剣才の持ち主と評した意味がようやく分かった。
そのとき、バルドの右側で、黒い影がゆらめいた。
カーズ・ローエンの出番がきたのだ。
1月25日「第五日模範試合」に続く




