第2話 魔獣狩り(後編)
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バルド・ローエンが〈赤鴉〉ヴェン・ウリルと最初に会ったのは、ちょうど一年前だ。
そのときヴェン・ウリルは、コエンデラ家に雇われてバルドの命を狙った。
二度目に会ったのはそのひと月後で、路傍に座って「この男売ります」と書いた札を首に提げていた。
いくらだと訊いた通行人に、百万ゲイルという夢のような値を答えていた。
よほどの理由があるのだろうと察して、バルドは精一杯の金子を与えた。
それは百万ゲイルの十分の一に少し足りない金額でしかなかったが、ヴェン・ウリルは受け取り、用事を済ませたらバルドの元に来ると約束してどこかに去った。
その後、用事は済んだものの、ごたごたに巻き込まれ、リンツに帰ったのは八か月後だったらしい。
これだけ時間が空いてしまえば、やみくもに後を追っても見つからない。
だが、ヴェン・ウリルはリンツの街で面白い噂を聞いた。
〈人民の騎士〉バルド・ローエンがリンツ伯の窮地を救い、二人は親友になったというのだ。
ヴェン・ウリルはリンツ伯を訊ねた。
リンツ伯は、事情を聞いて大いに面白がり、
「バルド殿のご家来なら、当家はいつでも歓迎する。
今バルド殿はクラースクにおられる。
三日前に使いの者がとんぼ返りしたところなのじゃ。
クラースクに行ってもすれ違いになるじゃろうのう。
次に使いの者が帰って来るのを待ったほうがよかろう。
それまでこの屋敷で暮らせ。
それにしても、噂に聞くヴェン・ウリル殿がバルド殿の家臣となるとはのう。
百万ゲイルでおぬしが買えるなら、わしが買いたかったわ」
と言って厚遇してくれた。
礼代わりに護衛などをするうちに、三十日もたたずジュルチャガが来た。
だが、まずいことに、ヴェン・ウリルはある用事を引き受けており、途中で投げ出したくなかった。
そこで、ジュルチャガのあとを追えるように、木の枝を折り曲げたりする目印を打ち合わせた。
村や街の出入り口にも印を付け、宿や村長に伝言を残すことも決めた。
十日後、リンツを出発し、村や街の出入り口や森の中でジュルチャガが残した目印を頼りに、バルドを追ってきた。
このようにヴェン・ウリルからいきさつを聞いて、バルドは、ああそれでか、と思うところがあった。
例えば霧の谷を出るとき、谷に入った場所から谷を出るよう、ジュルチャガが主張したのだ。
ほかにもそんなことがあった。
あれは後を追いやすいようにという心遣いだったのだ。
ともあれ、ヴェン・ウリルが魔獣と遭遇したというのは、天の佑けと思える出来事だ。
しかもここから三日ほどの距離だというのだから、恐れ入る。
それにしても魔獣というものは人の気配に敏感なものだが、よく気付かれもせず見物などできたものだ。
ドリアテッサは、思わず神に感謝の祈りを捧げていた。
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翌日、ドリアテッサの書いた手紙を騎士ヘリダンに渡し、村長に礼を述べて謝礼を渡した。
ヘリダンがバルドに死者とけが人の扱いについて礼を述べてきたので、二人は言葉を交わした。
騎士ヘリダンは、バルドたちのことをファファーレン侯爵家が差し向けた助勢だと思っていたようで、たまたまドリアテッサと出会った放浪の騎士だと知って驚いていた。
そして、古くからの習わしにしたがい、武具と馬と所持金の半分を差し出すと申し出たが、バルドはこれを断った。
あらかじめ約定をかわした争いではなかったのだから、名誉ある集団決闘とは呼べず、略奪権を行使しようとは思わぬ、とバルドは言った。
略奪権を行使すれば彼らは敗戦のつぐないをしたことになってしまう。
彼らのつぐないは、母国に帰ってから、しかるべき場面で行われねばならない。
それに、バルドたちにはじゅうぶんな金があったし、馬と武器と防具にまったく不満がなかった。
ヘリダンは、最初にドリアテッサを襲った従騎士と従卒の遺髪と遺品を回収してから帰国するという。
それから一行は村を離れ、魔獣を探した。
二十日間も探し回ったあげく、なんとドリアテッサと出会った沢にいるのを発見した。
ここから村までは近い。
危うく大惨事が起きたところだ。
確かに大赤熊だ。
大きい。
そして美しい。
じつに美しい毛並みだ。
ヴェン・ウリルがみとれて思わず長居して見物したというのも分かる。
魔獣かどうかこの距離からは分からないが、ヴェン・ウリルが言うことだから間違いはないだろう。
岩や草ででこぼこしていて、足場がよくない。
しかしその一角以外は樹木の生い茂る斜面や山道だ。
少しでも開けた場所となると村になるが、まさかあそこに連れていくわけにはいかない。
これでは馬に乗って戦うのは無理だ、とバルドは判断して、作戦を指示した。
ドリアテッサ自身が、ただの若輩の騎士として扱ってほしいと言ったこともあり、すっかり口調はこなれている。
まず、ヴェン・ウリルとゴドン・ザルコスが沢に下りて左右から魔獣の注意を引きつける。
次に、魔獣の正面からバルドが突入して打撃を与える。
これを繰り返して、魔獣が十分に弱ったら、ドリアテッサがとどめを刺す。
このバルドの指示に、ドリアテッサは異を唱えた。
「いや。
バルド殿。
それはならぬ。
お三方が恐るべき手練れであることは、よく分かった。
しかし、これは私が望んだ戦いなのだ。
無関係の人々に危険な役をさせて自分は安全な場所で待つなど、私にはできぬ。
私が正面から突撃するので、あなたがたは援護してほしい」
このおなごは魔獣の恐ろしさをまったく分かっていない、とバルドは思った。
いくらプレートアーマーに身を包んでいても、あの大赤熊の攻撃がまともに当たれば、首の骨が折れ、あるいは関節が折れる。
もっとも、ドリアテッサは思ったより強い。
襲撃者たちとの戦いでは、馬上から敵が振り下ろした剣を小さな動きでかわし、それと同時に的確な反撃を繰り出していた。
乱戦の中でとっさにあれができるというのは、相当訓練を積んでいる証拠だ。
視界が悪く素早い動きを妨げる全身鎧を着てのことなのだから、なおさらだ。
そもそもしびれ薬を飲まされた状態で従騎士二人と従卒一人を斬り殺したというのだから、胆力もある。
鎧も立派なもので、矢はもちろん槍を受けてもへこむどころか傷さえほとんどなかった。
さらに、この二十日間、ドリアテッサは剣の鍛錬を欠かさなかった。
鎧を着けたままで振るその剣筋は、修練のあとを感じさせた。
よほど運が悪くなければ、一撃で死ぬということもあるまい。
しかもこのおなごは、言い出したら聞かぬ性質のようじゃ。
などと思っているところに、
「あるじ殿。
姫騎士殿の思うようにさせたらいい。
死ぬなら死ぬし、死なぬなら死なぬ」
とヴェン・ウリルが言った。
腹を決めたバルドは、ただ一言、
ドリアテッサ殿。
斬るな。
突け。
と言った。
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全員で飛び出した。
すぐに大赤熊は気付いた。
ヴェン・ウリルは、影が滑るように斜面を駆け下り、他の仲間を大きく引き離して大赤熊に迫った。
大赤熊は、真っ赤な目に怒りの火を燃やし、口を大きく開いてヴェン・ウリルに噛みつこうとした。
これは確かに魔獣に違いない、とバルドは確信した。
ヴェン・ウリルは、突っ込んで来た魔獣の牙を左にかわして駆け抜けた。
魔獣は怒りの声を上げて反転し、ヴェン・ウリルを攻撃しようとした。
ヴェン・ウリルは、素早く魔獣を半周回り込んだため、一瞬魔獣は標的を見失い、動きを止めた。
赤鴉と呼ばれた男は大胆にも、剣も抜かずに突っ立ったまま魔獣の動きを見守っている。
魔獣は再び吠えて、後ろ足で立ち上がり、ヴェン・ウリルに襲い掛かろうとした。
大きい。
実に大きい。
立ち上がったその身の丈は、ヴェン・ウリルの一・五倍ほどもある。
さすがのバルドも見たことのない大きさだ。
そうでなくても大赤熊は攻撃力が高い。
少々の鎧は気休めにもならないだろう。
だが、ヴェン・ウリルは逃げようともしない。
魔獣が右前足を振り下ろしてくる。
それをふわりとかわしてヴェン・ウリルは左に回り込んだ。
このときゴドン・ザルコスがたどり着き、バトルハンマーを振り上げ、魔獣の左足の膝裏辺りにたたき付けた。
魔獣が横転した。
一撃でこの巨大な魔獣を転倒させるのだから、ゴドン・ザルコスは、まったく大した男だ。
すぐに魔獣は起き上がった。
目の前にはヴェン・ウリルがいる。
四つの足で立った状態から、魔獣が右足を振り回した。
ヴェン・ウリルは今度も後ろには引かず、上半身のひねりとわずかな足運びでこれをかわした。
魔獣の尻に、ゴドン・ザルコスのバトルハンマーがたたき付けられる。
魔獣は大きな怒りの声を上げたが、後ろを向こうとはしなかった。
今や、魔獣の注意はすっかりヴェン・ウリルに向いている。
おかしいのう。
ヴェン・ウリルは攻撃しておらん。
ゴドンのほうに向き直るはずなのじゃが。
魔獣はそれほどヴェン・ウリルを手強いとみておるのか。
魔獣は、二つの前足を交互に繰り出して攻撃してきた。
ヴェン・ウリルはこれを右にかわし、左にかわし、上体をそらしてかわした。
魔獣の至近距離を離れず、攻撃をかいくぐり続けている。
驚異的な回避だ。
バルドも魔獣の近くまできていたが、二人の邪魔にならないよう、攻撃のタイミングを待っていた。
大赤熊は川熊ほど強靱ではないが、体軀はずっと大きく、また素早い。
いくら古代の魔剣を持っているといっても、防御力が上がるわけではない。
この魔獣の一撃一撃が、致命的な威力を持っているのだ。
そのとき、がちゃがちゃと鎧を鳴らしながらドリアテッサが突撃した。
走り込んだ加速を利用して、両手で持った剣を魔獣の左脇腹に突き込んだのだ。
剣は半分ほども魔獣に食い込んだ。
魔獣は悪鬼のように顔をゆがめて叫び声を上げ、おのれの腹を刺した敵に右前足をたたき付けた。
ドリアテッサは、かわす間もなくはじき飛ばされた。
剣は魔獣の腹に刺さったままだ。
魔獣は意外な素早さで駆けだし、地に倒れたドリアテッサを右前足でたたきつぶそうとした。
だがドリアテッサに届く寸前で、その速度ががくんと落ちた。
ヴェン・ウリルが魔獣の右足首を斬り飛ばしたからだ。
それが、バルドに駆け寄る時間を与えた。
バルドの古代剣が一閃し、魔獣の首を断ち落とした。
魔獣は突進した勢いのまま大地に倒れ込み、血が噴き出た。
頭部はごろんごろんと横に転がってとまり、目の赤い光は消えた。
珍しくも驚きを顔に浮かべてヴェン・ウリルがバルドとその剣を凝視している。
だが、驚いたのはバルドも同じだ。
一撃で魔獣のあのごつい足首を骨ごと切り落とすとは。
ヴェン・ウリルの剣は、おそらく、いや間違いなく魔剣だ。
そして、ドリアテッサの剣。
あれもおそらく魔剣だ。
ドリアテッサは起き上がり、魔獣の首に近寄った。
まだ生きているかと思わせるほど生々しいその首の前にひざまずき、両手で首をつかんだ。
嗚咽している。
魔獣の首が欲しいと願ってはいたが、それがいかに見込みの薄い願いであるかは知っていたのだろう。
華やかな暮らししか知らぬ貴族の娘が、こんな辺境の奥地に踏み込み、頼みとする仲間たちから裏切られ、襲われた。
それでもなお、たった一人で魔獣を狩ろうとした。
心の中ではどれほどの心細さを抱えていただろうか。
泣けばよい。
その首には泣くだけの価値がある。
そしておぬしには泣くだけの資格がある。
気迫のこもったよい突きじゃった。
あの魔獣の吠え声は、並の騎士なら腰を抜かすほどのものじゃった。
よう耐えた。
よくぞ気迫の突きを打ち込んだ。
見事じゃったぞ。
バルドは心の中で女騎士をねぎらった。
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「この魔剣は、〈夜の乙女〉という。
ファファーレン侯爵家の家宝なのだが、私が魔獣退治をどうしてもやめないと知って、わが兄が持たせてくれたのだ」
それは細身だが肉厚の、素晴らしい剣だった。
刺突剣のようでもあるが、鋭い刃も備えている。
金で売り買いできる品とも思わないが、もし買えるとしたら、とてつもない値になるだろう。
このような剣を、おなごに持たせるとはのう。
何かが間違っておる、とバルドは思った。
ヴェン・ウリルの佩刀が業物であることには気付いていたが、まさか魔剣とは思わなかった。
銘は明かせないという。
「あるじ殿のその剣こそ、いったい何だ」
と訊かれたので、村の雑貨屋で買った鉈剣じゃ、と答えておいた。
「なにを馬鹿な。
ふむ。
だが天意を受けた人のことだからな。
そんなこともあるかもしれん」
と、ヴェン・ウリルは言った。
ともあれ、ゆっくり話をしている場合でもない。
皆で協力して魔獣の毛皮を剥いだ。
頭は、中をほじりだして水で洗った。
村に着いたら灰をもらって詰めることにする。
魔獣から流れ出る血の量と匂いはすさまじいもので、ドリアテッサは早々に気分をくずし、離れた場所で休んだ。
戦闘中、魔獣の打撃を受けて吹き飛ばされていたが、鎧の性能と体重の軽さが幸いしたらしく、特に傷も痛みもないという。
だが、体の芯に痛手を受けていることもあるから、しばらくは安静にしていたほうがよい。
作業をしているあいだに野獣が来ないか心配したが、来なかった。
生きている魔獣は周りの獣を凶暴化させるが、死んだ魔獣の血肉の匂いは、むしろ獣を遠ざける。
不思議な話だ。
巻いた皮はかさばるし重いが、置いていくには惜しすぎた。
この皮でゴドンとヴェン・ウリルの鎧をあつらえよう、とバルドは思った。
頭部はバルドが、皮はゴドンが持つことになった。
初めドリアテッサは頭は自分が持つと言って譲らなかったが、どう考えても無理だった。
ドリアテッサの馬はクリルヅーカという名の牝馬で、敏捷で利口だが体型は小さめだ。
金属鎧を着込んだドリアテッサとその荷物が乗るだけで十分な負担となっているのだ。
その点、バルドの乗るユエイタンは極めて大柄で、まだまだ余力がありそうにみえた。
ユエイタンの横に並ぶと、クリルヅーカは子馬にしかみえない。
用意した袋ではまったく間に合わなかった。
村で大きな袋か布を売ってもらわねばならない。
水が乾ききらない魔獣の首を蔦で縛って乗せると、ユエイタンは嫌そうにした。
すまんのう。
バルドは声に出して謝った。
10月13日「盗賊団討伐(前編)」に続く




