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辺境の老騎士  作者: 支援BIS
第1章 古代剣
33/186

第8話 革防具職人ポルポ(中編)



 5


「じいさん。

 体、でっけえなあ」


 採寸をしながら、ポルポは言った。

 単に大柄なことに驚いたのではなく、しっかりした筋肉や骨に感心しているようだ。

 時々、あごに手を当てては、何事かを考えている。

 かと思えば、バルドの体のあちこちに手のひらを当てて、感触を確かめている。


 作業台の上には、きれいになめされた川熊の魔獣の毛皮が広げられている。

 あまりに美しい革に仕上がっているので、最初はとても魔獣の毛皮だと信じられなかった。

 色も青みがかっている。

 染めたのだろうが、いったいどうやれば魔獣の毛皮を染色できるのか。

 だがすぐにバルドは、さらに信じがたい光景を目にすることになった。


 採寸しては、木炭で革に印を打っていたのだが、切り出し刀を手に取ると、魔獣の革に、その刃を突き立てたのだ。

 バルドは目を見開いた。

 魔獣の皮がいかに強靱か、バルドはよく知っている。

 それを斬り裂くことがいかに困難か、痛切に知っている。

 なのに、まるで馬皮か牛皮でも裂くように、魔獣の革が斬り込まれていく。

 ゆっくりと、しかし揺るぎなく着実に。

 緩やかな曲線を描いて、革は切り分けられていく。

 やがて、型が切り抜かれた。


 ここでポルポは、ふうっと気を緩めた。

 バルドも思わず、ふうーっと息を吐いた。

 ゴドンも、ジュルチャガも、ふうっ、と息を吐いた。

 みな、作業に見入って息をするのも忘れていたのだ。


 一息入れて、ポルポは作業を再開した。

 さらに、その中央部分に穴が切り抜かれた。


 そこまで作業すると、切り出した革をバルドにかぶせた。

 穴に頭を通す。

 革は、背中から腹までを覆う形に整えられていた。

 バルドの体にぴったり合うように。


「ふつう革鎧は、いくつもの部分に分けて作る。

 そのほうが強靱な鎧になるんだ。

 大きく裂けにくいし、動きやすいし、大きく損傷したら、その部分だけ取り替えりゃあいいからな。

 だけど、この魔獣の毛皮を使うんなら、細かく分けねえほうがいい。

 もともとが金属鎧以上に強いうえに、穴が開いてもそこが弱点にならねえんだ。

 どのみち、これに匹敵する補修材なんか、手に入るもんじゃねえしな。

 そのぶん、ほんのちょっと動きを妨げるけど、じいさんの戦闘スタイルなら問題ねえだろう。

 金属鎧に比べりゃあ、うんと柔軟だし、使い込めば使い込むほど動きやすくなるはずだ。

 たいがいの剣じゃあ、こいつに傷も付けられねえ。

 胸の所は」


 とんとんと指で胸に丸いしるしを書きながら、ポルポは説明を続けた。


「少しずつ大きさの違う革を三枚貼り合わせて強度をだす。

 三枚の革は、それぞれ違う場所から取るんだ。

 そしてそのあいだに腹の部分の革も綴じ込む。

 そうすることで、どんな打撃にもびくともしなくなる。

 まあ、縫い合わせは馬鹿みたいに難しくなるけどな」


  縫い合わせるじゃと!


 バルドは思わず声を上げた。

 魔獣の皮は、切れ込み一つ入れるだけでも大変な労力を要する。

 針で縫うことなど不可能なはずだ。

 だが、ポルポはバルドの驚きを違う意味に取った。


「おおよ。

 へたな縫いを入れたら、せっかくの革が台なしだけどな。

 こいつを使う」


 ポルポは、部屋の隅においた壺のふたを取った。

 中には、黒っぽいどろどろした液体がある。

 獣じみた匂いがする。


「チャトラ蜘蛛の糸だ。

 四十八本をより合わせてある。

 (つえ)えぜえ。

 この糸だけが、魔獣の毛皮を縫い付けられる。

 魔獣の毛皮から出たエキスを煮詰めて、それに漬け込んでるんだ。

 こうやって漬け込んだ糸は、毛皮とよくなじむ。

 革を傷めず、革から傷められない。

 あと一晩漬け込んだら、乾かして蝋を塗り込む。

 滑りをよくするためにな」


 チャトラ蜘蛛から取る糸は、非常に美しく、軽い。

 最上級の服の素材となる。

 ポルポによれば、より合わせたチャトラ糸は、鉄でも容易に切れず、引っ張る力に対する強さはほかに比べるものがないという。

 魔獣の毛皮のエキスに浸したチャトラ糸は、もはや魔獣の革そのものと同じほど強靱らしい。


 たっぷりと時間をかけて型どりをしたあと、三日後に出来上がるから取りに来い、といわれてバルドたちは追い出された。






 6


「あれ、聖硬銀(マナディート)だったよね」


 ポルポの工房からの帰り道、ジュルチャガが言った。

 バルドは驚いて立ち止まり、ジュルチャガをまじまじと見つめた。

 聖硬銀。

 それはまさに魔剣(エルグォードラ)の主材質とされる金属である。

 この世で最も硬い物質だ。

 人の叡智の結晶といってよい。


  あれ、とはどれのことじゃ。


 と、バルドは訊いた。


「やだなあ。

 全部だよ。

 切り分け刀も。切り出しも。止め釘も。

 あのぶんだと、縫い針もそうなんじゃないかなあ。

 すごいよね。

 一財産だよ。

 あ、なめし刀だけは、普通の(はがね)みたいだったけどね。

 いやあ、あの職人さんの親父さんは、ザルバン公国でも有名な革鎧職人さんだったそうだけど、さすがだね」


 聖硬銀は買おうとして買えるものではない。

 素材も希少で、腰が抜けるほど高価なことはもちろんだが、製法を知る冶金技師は、すべて大陸中央の王侯のお抱えだという。

 ポルポの父親は、ザルバン公国が滅び、伯爵がこの地に落ちのびてクラースクの街を作ったとき、付き従って辺境に来たのだろう。

 聖硬銀なら魔獣の革を切り裂けるのも納得できる。

 とはいえ、あれほどきれいに、ただ一度の斬りつけで切り分けられるというのは、やはり職人ポルポのおそるべき技前を示している。

 しかも、簡単なしるしを付けただけで、複雑な形状を頭の中に描いて、その通りに切り分けていったのだ。

 見事な技だった。

 思わずみとれてしまった。

 ただ革を切るというだけの作業に、極上の酒の酔いにも似た陶然とした気分をバルドは味わった。


「あ、ここだ、ここだ。

 バルドの旦那、ゴドンの旦那。

 今日はここで晩飯ね」


 ジュルチャガは、ぴったり三十日で帰って来た。

 リンツまでを十五日で走ったことになる。

 相変わらず信じがたいほどの脚力だ。

 そしてリンツ伯から預かった金を渡すと、バルドとゴドンをせき立てて、裏通りの安宿に移らせた。

 どういう交渉をしたのか、馬は役人用の駅停に預けた。

 どこで調べてくるのか、食事のたびに違う店に案内した。

 店はどこも安く、とびきりうまい物を食わせた。

 バルドはジュルチャガがやり繰り上手なのに感心し、まとまった金を預けると、会計係を命じた。

 何しろ、バルドとゴドンの二人でいたときより使う金は少なく、食べる物はうまい。

 しかも、ジュルチャガもクラースクは初めて来たのに、観光案内までしてくれる。

 どこに行くにも道に迷うということがない。

 ジュルチャガは、恐ろしく役に立つ男だった。


 店に近づくと、肉の焼けるいい匂いがしてきた。

 鳥肉を焼いているようだ。


「ここはね。

 コルコルドゥルを食わせてくれるのさ。

 おっちゃん!

 こっち、三人新規ねっ。

 身と皮と内臓と、ありありありのお任せコース、どんどん持って来てっ。

 あと、プラン酒の白酒、樽でお願いっ」


 店の主人は、もうもうと煙が立つ中で、次々と肉を焼いている。

 客は青空天上で、思い思いに椅子と机代わりの木箱を並べ、酒を飲み、話に興じている。

 ジュルチャガは落ち着きのよい場所に、手際よく三人分の席をあつらえた。

 すぐに店員が来て、木箱のまん中に大皿を置き、酒樽と三人分の椀をその横に置いた。

 何年も通い詰めているような自然な仕草で、ジュルチャガは椀にひしゃくで酒をそそいで二人に渡し、自分も手に取った。


「旦那、乾杯」


 うむ、乾杯じゃ、とバルドが言いながら椀を掲げると、他の二人も唱和した。

 ぐっと白酒をあおる。

 うまい。

 最初の一杯というのは、どうしてこんなにうまいのだろう。

 プラン酒には、プランの白い粒を残した泥酒と、澄んだ部分を濾し取った澄まし酒がある。

 この白酒というのは泥酒の一種なのだろうが、粒が非常にきめ細かい。

 まるで乳のようだ。

 のどごしもまろやかである。

 店員が肉を運んで来て大皿に入れた。


「うわあ。

 うんまそうだなー」


 本当にうまそうだ。

 一切れを口に運ぶ。

 薪のすすと皮付きの鶏肉の脂が混ざり合い、何ともいえないよい匂いがする。

 うまい。

 柔らかで、汁気がたっぷりで、量感も十分だ。

 初めて食べる鳥なのに、なぜか懐かしい味がした。


「オーヴァの向こうの国々じゃあ、どこもコルコルドゥルを食ってるらしーよ。

 これから辺境でも、だんだん増えるんじゃないかなあ」


 と、ジュルチャガが例によって情報通なところをみせた。

 次に出てきたのは、内臓だった。


「こりこりしとるな。

 これは何じゃ?」


「あ、ゴドンの旦那、気に入った?

 そりゃ、筋胃の腑だね」


「おおっ。

 これはまたこくがあるのう」


「心の臓だね」


 その次には、じゅうじゅうと脂の焦げるよい匂いをさせて、皮焼きが来た。


「あ、これ渡しとくね。

 適当に振り掛けるといーよ」


 ジュルチャガが、先ほど果物売りの商人から買ったエイボの実を割って二人に渡した。

 柑橘系の果物特有のさわやかな芳香が、鼻孔に心地よい。

 エイボを絞って掛けると、一段とうまい。

 うますぎる。

 そのあと、足の肉や、肝の臓、脾の臓、腸の腑などが次々に出てきたが、ざっくり振られた塩とエイボの組み合わせは無敵といってよく、食べても食べても飽きが来ない。

 三人は、非常な量の鳥を食べた。

 最後には、店長が、よく食ってくれた礼だと、鳥のスープと炊きプランを、卵付きでサービスしてくれた。

 白いスープは甘く、臓腑の奥底に染みた。

 ゴドンが卵をスープに入れようとしたら、ジュルチャガに怒られた。


「何やってんだよ、ゴドンの旦那。

 そうじゃないよ。

 これは、炊きプランに掛けるんだよ。

 まず、よーく混ぜてね」


 ジュルチャガを見本に、バルドとゴドンは、よく卵を混ぜた。

 そして湯気を立てている白い炊きプランに掛け、さらに混ぜた。


「いいかい。

 生卵を混ぜた炊きプランは、()(もん)だと思っちゃだめだ。

 飲み物なんだ」


 と言いながら、さくさくと卵掛けプランをかき込んだ。

 バルドとゴドンも、それをまねた。

 特にゴドンは、ひどくコルコルドゥルの卵に興味を引かれている。


「なかなか大きくてうまそうな卵じゃのう」


「うまそう、じゃなくて、うまいんだ。

 餌によって卵の味が変わったりするらしいよ。

 コルコルドゥルの雌は、この卵を十日に六個産むんだって」


「うおおおおっ。

 な、何というのどごしの良さ!

 うまいっ。

 うまくて気持ちよい」


 ゴドンが大声を上げた。

 バルドも同じ気持ちだった。

 少し離れた場所では、店長が、忙しく鳥を焼きながら、自慢げに鼻を鳴らした。


 そんなとき、別の客同士の会話が、三人の耳に飛び込んだ。

 革鎧職人のポルポが、人殺しの罪で捕まったというのだ。






8月13日「革鎧職人ポルポ(後編)」に続く

※この物語はフィクションです。卵かけごはんは飲み物ではありません。

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