【二十三章】理不尽
あの壁画に描かれていた獣に色を付けたらきっと目の前の獣になるのだろうと思われるほどそっくりな金色の獣。
山のように大きくて、どこもかしこも金色に輝いていて、そして毛むくじゃらで柔らかいのかかたいのか分からない毛をしていて……。
時の獣──。
そうとしか言えない金色で気高ささえ感じる獣。
それはアイラから見ると真横を向いていて、まさに壁画通りの格好。獣の顔の辺りは常に光っているので顔がどうなっているのか──。
「あ」
アイラは気がついた。
獣が光っているわけではなく、獣の口に向かって流れ込んでいるなにかが光っているのだ。
獣はただ大きな口を開けて光るなにかを受け入れているだけのように見えた。
それにしても、ここはどこで、この獣はなにで、あの光っているのはなんだろう。
アイラがそんなことを思っていると、後ろに気配があったので振り返った。
「え……」
そこにはとても見覚えがあるけれどそれがすぐにはどうして見覚えがあるのか分からない人が立っていた。
長く真っ直ぐな白い髪に赤い瞳。
違いはそれだけで……。
そう、目の前にいるのは色と髪型が違うだけのアイラ。
驚いて目を見開いているアイラとは対照的に目を細めて楽しそうに笑っている。その違いに鏡ごしの自分の姿ではないということはすぐに認識はしたが、それ以外は気持ちが悪いほどよく似ていた。
「あなたはよくやってくれたわ」
目の前のアイラに似ているけれどアイラではないだれかが口を開いた。見た目は似ているけれど、声は似ていない。アイラは違いを見つけてほっとした。
「初めまして、と言うべきかしら? それとも──十八年ぶり、とでも言えばいい?」
「────っ!」
「ふふっ。久しぶりね、私の娘・アイラ」
アイラは驚きすぎて声を出せなかった。
一目見ただけでいやでも血の繋がりを感じさせるから血縁者だろうことは推測はしていた。しかしまさか母親とは思わず……。
それにしても、本当にアイラの母ならアイラと見た目が変わらないように見えるのはおかしくないだろうか。
確かに世の中には年齢と見た目が合わないという人はいくらでもいる。それでも目の前の人はどこか超越しているかのような感じがするのだ。
そう、あの教会や時計のように長い年月が経っているのにも関わらず時を止めてしまったかのような──。
「え……」
アイラはひとつの事実に気がついた。
いやしかし、それはどうなのだろうか。
あの壁画に描かれていた女神に似ている──いや、時の女神そのものではないか、と。
「アイラがなにに戸惑っているのかはよく分かるわ。そして、その思いついたことに対して否定したいっていう気持ちも。でもね、アイラ。真実から目をそらしても真実は変わらないのよ」
「う……そ」
「嘘をついてどうするの?」
「…………だって」
「どうしていまさら名乗りを上げてるのか?」
「そうよ。どうして」
「それはね、アイラ。あなたがあの男のものになろうとしていたからよ」
あの男と言われてそれがすぐにだれなのかアイラには分かった。それは一人しかいない。
「師匠は……」
「あなたは時の獣と時の女神の娘なのよ? 人間にしては魔力があるみたいだけど、しょせんはアレは人間じゃない」
「でも! 時の女神の物語ではっ!」
「村の青年と結ばれたと?」
「────…………」
「あなた、あの壁画を見たのでしょう?」
「……はい」
「あれのどこにも村の青年なんて描かれてないわ」
「え……だって」
「あなた、あれを見て疑問に思ったから確認にまた来たのでしょう?」
アイラは行動を指摘されて、びくりと身体を震わせた。
もしかしなくても、ずっと見られていた?
「あの男が鎖に気がついてしまってから追いにくかったけれど、ずっとあなたのことは見ていたわよ」
楽しそうな笑みを浮かべる目の前の女性にアイラの背筋はぞっと凍り付いた。
そして今はアイラの中に埋め込まれてしまっている鎖は──アイラを監視するためのものだったと知り、震えが走った。
「ねえ、アイラ。私があの時の女神の教会にあなたを預けたのはあんなくだらない男にやるためではないのよ」
「しっ、師匠は! 確かにちょっといい加減なところがありますけど、根は真面目です! それに、あなたにくだらないなんて言われるような人では──」
「黙りなさい」
「っ!」
「あなた、自分の立場が分かっているの?」
「脅したって……」
「あの男がどうなってもいいの?」
「…………。師匠を盾に取るなんて、ひどいです」
「ひどくないわ? 使えるものはたとえそれがゴミであっても有効活用しないとね」
アイラはユリウスのことをゴミと言われ、絶句した。いくら目の前の女性が本当に母だとしても言っていいことと悪いことがある。
アイラはずっと自分の両親についていろいろ思いを馳せていた。
アイラは教会に捨てられたのではなく、なんらかの事情があって預けられたのだと。もしかしたら両親はこの世にいないのかもしれない。
──確かにこの世にいなかった。きっとここはアイラたちがいる世界とは別の場所なのだろうから。
そして目の前のアイラの母と名乗る女性はアイラを教会に預けたと言ったけれど、捨てられたのだろう。
──捨てられたと思いたい。
いや、捨てられる云々の前に、こんなひどいことを平気でいう人が母だと思いたくない。
「師匠はゴミではありません!」
「あら、そうね。それは失礼。だって私のだんなさまの食料ですものね。人間がゴミならば、ゴミを食べさせていることになるものねぇ」
「……食料」
「そうよ。あなたのお父さまは選ばれなかった未来を食べているの。とても立派なお仕事でしょう?」
「未来を、食べる」
「そう。人間は常に未来を選択しているの。だけど選ばれなかった選択肢をそのままにしておけばどうなるかしら?」
「……分かりません」
「少しは考えてから答えなさい」
「ここに来る前に考えました。選ばれなかった選択肢はどこに消えたのかって」
「消えたのではないわ。世界に要らない選択肢があふれかえらないように食べているの」
「……食べる」
「そう。この時の狭間に流れてくる選ばれなかった未来たちをね」
アイラは金色に輝いている獣に視線を向けた。獣の口に飛び込んでいく光たちは選ばれなかった『未来』。
「でもね、いつも選ばれなかった、未来になったかもしれないものたちばかりを食べることに彼が飽きたの」
「あ……きた?」
「そう。だって彼が食べさせられているのは未来になれなかったもの。いわゆる残飯でしょう?」
「…………」
「だから私と彼は考えたの。『もしも選ばれなかった未来ではなく、選ばれた未来を食べることができれば』って」
「────っ!」
「それで私と彼はあなたを作ったの。地上に降りて、ね」
「…………」
「時の女神伝説はその時に生まれたの」
「だってあれは……」
「時の女神はもちろん私。村の青年はあなたのお父さまである彼が地上に降りたときにとった姿なのよ」
「あ──」
だからあの壁画には真ん中に描かれた青年の後ろに獣がいたのだ。
あの壁画は間違っていなかったのだ。
「村の青年がひとりであの教会を造れるわけがないでしょう? しかも、時止めの魔術までかけられて。これはね、アイラ。すべて私たちが計画したことなの」
そんな昔からの計画だったのか──。
しかし、なにかがおかしい。
あれはクロヴァーラ国ができるよりも古い教会のはずだ。そうなるとアイラはいったいいくつになるのだろうか。
「あなたは私の中にすぐに芽生えたわ。でも、あなたの力が強すぎたのか、それともここのせいなのか分からないけれど、とても長い間、あなたは私の中にいたの」
アイラは信じられなくて首を振った。
「長い──とても長い間、私たちはここで三人で過ごしたわ。楽しかった」
楽しかったと言われても、アイラにはまったく記憶にない。
「なのにあなたときたら勝手に産まれてしまうから困ったわ」
「え……」
「教会に安置されてる時の女神像の下に勝手に産まれたから、焦ったわ」
勝手にとはひどい言いがかりだ。子どもというのは時が満ちれば自然と産まれるものなのだから。
「でも、あなたはとても上手くやってくれたわ。選ばれたはずの未来を戻して新たに未来を作ってくれたんですもの」
「あ……」
ユリウスと話をしていて疑問に思ったのだ。
本来あったはずの時の流れはどこに消えたのか、と。
それは新しい時が誕生したことで選ばれなかったものになり、ここへ流れて──。
「食べた、の?」
「ええ、食べたわ。存在していたのに新たな未来から『要らない』と吐き出された魂も」
「そ……んな」
「いいのよ、アイラ。だってあなたのことを消そうとしたんですもの」
「でも……」
「たくさんの未来が詰まった魂はとても美味しいって。もっと食べたいって言うから、私が少しお手伝いをしてあげたの。ね、アイラ。私が考えた未来はどう、楽しかったでしょう?」
「な……に」
「ただ、失敗したのはあの男の存在ね。アイラの鎖を断ち切ってしまうから追えなくなってしまったのよ」
ユリウスがアイラを庇って死んだときのことだろう。やはりあの時、鎖は中に埋め込まれたのではなく、切られたのだ。
「でもあなたが自ら王の盾になって死んでくれたから、また追えるようになったの」
「…………」
「とても美味しいって言ってるわ。だからもっと何度も死んで、本来の未来を食べさせて」
「そ……んな! ひどい!」
「ひどくないわ。だってそのためにあなたを産んだんですもの」
こんなひどい話はあっただろうか。
自らのために子どもを産み、利用する。それを隠そうともしない。
「な……にが、時の女神よ」
「なぁに? 女神だから慈悲深いとでも思っていたの? それは人間の勝手な願望ね。そんなものを私たちに押しつけないでくれる?」
「…………」
「私たちは世界の理に沿っているだけよ?」
「あなたのしていることは、世界の理を壊しているだけじゃない!」
「そんなことはないわ。だって私たちは理から外れたことはできないんですもの。できているということは間違ってないってことよ」
「それでもっ」
世界の理には反してないのかもしれないけれど、倫理的にはどうなのだろうか。
本来ならばアイラは何度も死ななくてよかったはずなのだ。それなのに時を強制的に戻させられ、何度も痛い目に遭った。
そしてそれをさせているのが実の親という。
「あなたたちには心がないの?」
「失礼ね。あるに決まっているでしょう」
「それなら、子どもが痛い目に遭うのを平気で見ていられるなんて、おかしいわ!」
「そう? だってあなた、死なないじゃない」
「そういう問題では……」
そうなのだ。
いくら死なないとはいえ、斬られたら痛いのだ。それが本来ならば感じなくてもよかったものだと知れば、あまりの理不尽さに怒りがこみ上げてくる。
アイラが怒ろうとしたとき、後ろから聞き慣れた声がした。
「……さっきから黙って聞いていればずいぶんとひどいことばかり言ってるな、時の女神さんよ」
「師匠!」
振り返るとそこには座り込んでいるユリウスがいた。




