令嬢はパンケーキをご所望なのです
一夜が明けた。気持ちのいい朝だ。
ノエルは庭に張り出した日当たりのいテラスで、湯気の立ったパンケーキをうっとりとした瞳で眺めている。
今日から継母と継子、二人の攻防が始まるのだ! と緊張していた私とは正反対に、ノエルは入浴から就寝まで私にべったりで、遠慮のえの字もないほどだった。そうなってくると私も悪い気はしないもので──一晩のうちに貞淑な夫人だった私はこの小さなノエルにすっかり籠絡されてしまった。
──だって、見れば見るほど愛らしいんだもの。仕方がないわね。
「すてき〜……」
風が吹いて、バターと紅茶の香りが鼻腔をくすぐった。ノエルもそれを感じ取ったのか、ほぅ……とため息をついた。
「ええ。本当に素敵な朝だわ」
紅茶を一口飲んで、微笑むとノエルもパンケーキから目を離してにっこりと笑顔を返してくれる。
「では、いただきます」
「い、いただきます」
朝食はいつも野菜を一晩煮込んだスープだ。食べやすいように細かく刻まれた具をゆっくりと噛み、嚥下してゆく。
普段より量は気持ち多めだが、完食できそうだ。
普通の考え方をすると、愛人の子供が突然現れた場合は心身に不調をきたしてもおかしくはないのだが、ノエルが現れてから、すこぶる体調がよい。
きっと彼女を守ろうとする意志の力が私に活力を与えてくれるのだろう。
ノエルは私の真似をしてスープカップを手に持っているけれど、私が一向にパンケーキに手をつけないので、まだ食べてはいけないのだろうとそわそわしている。
「私の事は気にしないで。好きなものから食べていいのよ」
「で……では、えんりょなく」
ノエルが食事をするのを、私はただ黙って眺めている。昨日の一回で、見よう見まねながらある程度の作法を覚えたのか、ナイフとフォークを手にパンケーキを食べる仕草は様になっていた。やはり物覚えはいいようで、期待できる。流石カシウスの子と言ったところだろうか。
「おいしいかしら?」
「……なんて言ったらいいのかわかんないぐらい、おいしい」
ノエルは目をつぶって、ゆっくりとパンケーキを味わっている。小さな口元がむずむずしていて、なんてかわいいのかしら。
「とろとろ、ふわふわ、あまあま……」
「ふふ。お嬢様のお気に召したようね」
そのまま、ノエルがパンケーキを食べていく様子を引き続き眺める。溶けたバターがパンケーキの表面を滑り落ちてしまって慌てるノエル、付け合わせの生クリームだけちょこっと舐めてみるノエル、苺と杏、どちらのジャムがいいか真剣に悩むノエル……。
「ああ……」
──かわゆすぎるっ!!!!
お行儀の悪いことだけれど、思わずテーブルに突っ伏してしまう。カシウスにそっくりなのに、どうしこんなにも小さくて愛らしくて可愛らしいのか。
「こんなにも可愛らしい生き物がこの世界に存在するなんて……」
はやく、カシウスと並べてみたい。性別は違うけれど、同じ生地で同じ意匠の服を仕立てて、三人でお揃いの服を着て肖像画を描いてもらうのだ。きっと、素敵な絵になるだろう。
「アリエノール?」
「なっ、なにかしら?」
食事も忘れて、私は妄想の海に飛び込んでいた。いけないいけない、私はあくまで継母。彼女のお手本となるように、立派な貴婦人でいなければいけないのに……。
「はい」
ノエルがパンケーキを一切れ、私に差し出してきた。あまりじろじろ見つめていたので、遠慮してしまったのかしら。
「もうお腹がいっぱいなのかしら?」
「アリエノール、ご飯ない。ノエル全部食べたいけど、元気だから我慢する。アリエノール、栄養足りてない」
朝はいつも水分しか喉を通らない。それが私にとっての普通で、わざわざ廃棄するのももったいないので、私の分は用意させていないのだ。けれど、彼女はそれを食材が足りないのだと解釈したらしい。体のことを言うべきか、素直に親切を受け取るか……。
「ありがとう。いただくわ」
せっかくなので、優しさを受け取る事にした。
「はい。おいしいよ」
ノエルは小さな腕を精一杯のばして、フォークで私の口元にパンケーキを押し込もうとする。「あーん」をされるなんて、物心ついてからは一度もないけれど……。
「あーん!」
「あ、あ、あーん……」
口にしてしまってから、別に言葉はいらないのだと気が付いた。給仕係のダニエラが私をにやにやしながら見つめている。恥ずかしい。
口の中に入れると、形を保っていたはずのパンケーキはふわりと泡雪のように溶けてしまった。目を閉じて味わって、目を開くとノエルがにこにことしている。これでは大人と子供が逆だわ。
「おいしいでしょ!」
「そ、そうね……たしかに、これはなんて言ったらいいかわからないぐらいだわ……」
「はい、もうひとくち!」
「こんなにおいしいなんて、知らなかったわ」
料理長の腕を疑っていたわけではないし、屋敷には毎朝新鮮な食材が運ばれてくる。けれど、私は日々を生きる事に精一杯で、食の喜びというものを、あまり味わってこなかったのだ。
それがどうだろう、ノエルが来てから世界が一気に色づいたみたい。
「ね。エメレット味だね」
「エメレット味?」
「そう」
ノエルは満足げに頷いた。……素材の味が生かされている、という意味だろうか。彼女の言葉は時々、不思議だ。




