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【書籍化】夫の隠し子を見つけたので、溺愛してみた。  作者: 辺野 夏子


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離縁のすすめ

 急いで戻ったものの、屋敷の皆がみな一様に慌てふためいていて、予定より早い来客の訪れを知った。


 私の従兄弟であるルベル・メイユール公爵がもう到着しているのだ。ルベルは若くして公爵位を継ぎ、社交界では彼の心を射止めんとする女性が列を作っていると言う噂だ。……私はその現場を見たことがないけれど。


「アリー、元気だったかい」


 お気に入りの緋色の上着を着たルベルが、両手を広げて私を出迎えた。


「閣下。お待たせしてしまって申し訳ありません」

「僕と君の仲だ。敬語はいいと言っているだろう」


「私は伯爵夫人だもの、最初の挨拶まではそうもいかないでしょう?」


 軽く片目をつぶると、ルベルは柔らかく微笑んだ。


 ルベルは病弱な私の事を気にかけて、忙しい合間を縫ってお見舞に来てくれる。子供の頃は何時も一緒に居たから、まるで本当の兄のような存在だ。忙しいだろうに、義理堅い人だ。


「いや。今日は君の顔を見に来ただけだ。地霊契祭の準備に入ると忙しくなるしね」


「王都はさぞ賑やかなのでしょうね」


 給仕係のダニエラが、汗びっしょりのままカートを押して入って来た。慌ただしくお茶と氷菓子の用意をして、そのままそそくさと去る。動き自体はとくに失礼な事もないけれど、なにしろその動きが普段の五割増しかと言わんばかりの速度で、一刻も早く向かいたい場所がある、そんな感じだ。


「精霊祭自体は毎年行っているけどね、何しろ建国して初めての催しだからね」


 ルベルはダニエラの事を気にする風もなく、にこりと微笑んだ。


「楽しみだわ。ささ、送ってくれた魔道具で作った氷菓子よ、エメレット産のワインと蜂蜜で……あら、スプーンがないわ。もう、こんな時に皆どこに行ってしまったのかしら」


 公爵より大事な来客などいるはずもないのに、お茶の用意だけがしてあって、人の気配はまったくない。人材が潤沢とは言えないので、常にギリギリの人員で回してはいるけれど、これはいささか手薄すぎる。


「まあ、個人的な訪問だ。いちいち挨拶をされていては君と話す時間がなくなってしまうから、こちらの方が好都合だ」


 ルベルは私の手を取り、口づけた。我が従兄弟ながら気障な人だと思う。


「体調は良さそうだね」

「ええ。いただいた氷菓子の魔道具も、皆喜んで毎日作っていますよ。テラスで森を見ながら一緒に頂きましょう」


 絡められた手を振りほどいて口にした言葉に、ルベルは申し訳なさそうに顔をしかめた。


「アリー、今回ここに来たのは、君に菓子の感想を聞くためじゃないんだ。君の今後について、話をしに来た」


「……離婚の予定はありません」


 ゆっくりと首を振る。彼が何を言うのかわかっている。ルベルは会う度に離婚を勧めてくるけれど、彼は独身で、婚約者の一人も作らないから、結婚がどんなに重いものなのか知らないのだ。


「君が格下の伯爵家に降嫁することになったのは、国王陛下の温情による救済措置だ。当主であるカシウスは成人し、領主の地位を得た。……君の使命は終わったんだ、第二の人生、好きな風に生きていいんじゃないか」


「私、自分が不幸なつもりはないけれど?」


 自分の事は、自分が一番分かっている。私は私の宿命に、折り合いをつけてきたつもりだ。


「これは僕ひとりの意見ではない。両陛下もアリーが王宮に戻り、地霊契祭の巫女として国民にお披露目をされるのを望んでいらっしゃる」


「私に?」


 地霊契祭はこの国に伝わる伝説──国を作った時にこの地の守護を約束してくれた大精霊ユリーシャに感謝を捧げる祭りだ。その契約は三百年後──つまり今年まで。三百年ごとに代替わりする精霊を迎え、次の豊穣の三百年へ向けて契約をする──次の精霊の代替わりまで国を守り、その約束の内容を精霊に伝えよ、と約束されたものだ。


 その時、初代巫女のように、国から巫女を一人、選ぶ手筈になっている。


「そんなお話、聞いたこともないわ」


 あくまで式典としての取り決めだ。巫女は別に王家の血を引いていなくてもかまわないはず。


「それは君の体調が、いつ悪化するかわからなかったからだ。けれど、今の君の容体は安定しているように見える。ぜひ巫女として王都に凱旋し、そのまま王宮に戻って、ゆっくり暮らすのも悪くないと思わないか」


「……夫が帰ってこないことには、決められません」


 ルベルは大げさなため息をついた。


「カシウスは君に見向きもしないんだろう。不義理なことだ」


 ──私だけは、彼の味方でいてあげないと。


「彼は口下手なのです。若い時から責任を一身に背負って、気負いすぎなのです」


 カシウスは私にすべての権限を譲渡しているため、私が夫の期間を待たずして答えを出すことは簡単だ。単純に、私はこのエメレットの土地と人が好きで、人生の半分以上を過ごしているのだから、この地に骨をうずめたいと考えている。だから、これはいつもの言い訳だ。


「カシウス・ディ・エメレットが了承すればいいんだね」


 ルベルは私に念を押した。


「ええ、彼がいいと言えば」

「そうか。わかったよ。夫婦でよく話し合ってくれ。よい報告を期待している」


 ルベルにとっての良い報告は私にとっては悪い報告だ。悪い人ではないのだけれど、私の気持ちが置き去りにされているのが、いつも少し嫌な気分になる。


「お見舞、ありがとうございます。また近いうちに会えるとうれしいわ」


「いつでも君の力になるつもりさ」

「ええ、ありがとう」


 ルベルの乗った馬車を見送っていると、バタバタとした足音とともに、エレノアが走ってきた。私と一緒に屋敷に戻ってきたはずなのにエレノアときたら、今の今まで一体どこにいたのだろうか?


「もう、エレノアったら。公爵様にお顔も見せずに。失礼でしょう」


「……た、た、たい……大変、もももも申し訳……ありませぬ。多少……ささいな……つまらぬ事で……立て込んでおりまして」


 エレノアの顔は土気色で、暑さのせいだろうか、全身に汗をびっしょりかいていた。


 少し強く注意をしたけれど、生真面目なエレノアが大貴族であり私の従兄でもある公爵の来訪をないがしろにするとはとても考えられなかった。

 相当に大変な事があったのだろう。それか、体調が悪いのかもしれない、何しろ顔が真っ青だ。先ほどはからかってしまったけれど、もしかして、悪阻とか……?


「大変そうだから、下がっていいわよ」

「は、はい。ありがとうございます。失礼します」


 エレノアはまるでゼンマイ仕掛けの人形のように、不自然な動きをして去っていった。入れ違いに、執事のレイナルトがやってくる。彼も動きがおかしい。酔っ払っているわけもないのに、足元が若干ふらついているのだ。


「レイナルト。あなたまで挨拶に来ないなんて公爵様に……」


「旦那様のっ!」

「?」


 レイナルトまで顔色が悪かったので、私に手に握られた手紙がぐしゃぐしゃになっている。


「カシウスの?」

「……失礼しました。旦那様からのお手紙を預かっております」


 レイナルトはぐしゃぐしゃになった手紙を差し出してきた。


 カシウスとは二週間に一度、手紙のやり取りをしている。相変わらず、殺風景な、業務報告みたいな手紙だ。


 アリエノール。お元気ですか。こちらは変わらずです。この手紙がエメレット領に到着する頃には、セファイア行きの船に乗っているころでしょう。じきに良い報告ができると思います。


「何か、書いてありました?」


 レイナルトは体を伸ばして、手紙を盗み見ようとしている。もしかして、結婚の報告をしていて、二人はその返事待ちだったのだろうか?


「いつもと同じよ。でも、もうすぐ帰って来るんですって」

「帰ってくるんですか!? もうすぐ!? 今更!?」


 レイナルトは絶叫してのけぞった。陽気な人ではあるけれど、度を越したひょうきんではない。……彼はカシウスと使用人の枠を超えて親しい仲なのに、そんなにも絶望的な声を上げなくてもいいのではないかしら。


「幼なじみのあなたまでそんな事を言うなんて、カシウスが聞いたら傷つくわ」

「いえ。戻って来てくれる事は……とても、ありがたく思います。それでは…俺は、使用人の会議がありますので」


「あ、そうそう。会議をするなら……」

「アリー様は、ダメですよ」


「分かっているわよ。カシウスね、よい報告ができると思う、って」


 私の言葉に、レイナルトの顔はからからに乾燥した葉っぱのようにくしゃくしゃになった。


「よい、報告……って言うのか、あれ……?」

「どうしたの?」

「い、いえ、何でもありません。アリー様。失礼いたします」


 レイナルトはそそくさと去っていった。なんだか、今日は妙な事ばかりだ。カシウスのよい報告とは、なんだろうか。彼がそんな前向きな事を言うのは珍しく、妙に気にかかった。

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