王女殿下は真実を知ってしまいました
──え?
鏡面に先ほどまで映っていた私の姿はなく、かわりにどこかの風景が映っている。
声を上げようとしても、まるで金縛りにあったかのように喉が動かず、私はただ、じっと黙って鏡を見つめることしかできない。
一人の少女が鬱蒼と生い茂った森の中に入っていく様子が見え、私の意識は彼女の後ろ姿を追っていく。丈の長いマントをすっぽりと体を覆うように纏っていて、少女であることしかわからない。ただ、フードの裾からちらりと見える金髪に、妙に見覚えがあるような気がする。
道らしい道のない森の中を進んでしばらくして、少女は木で作られた簡素な神殿の前で足を止めた。職人ではない者が見よう見まねで作ったような神殿──一見、とても人智を超えた存在が居るように思えないその建物に、心当たりがある。
──ここは、エメレットの精霊の森だ! 今は建て直されているけれど、エメレットに残る資料と構造が一致している。なによりも、雰囲気がそっくりだ。
私が今見ているのはカシウスの時のような現在ではなく、おそらく過去。精霊が意図的にこの様子を見せているのは間違いがないだろう。
これは巫女としての通過儀礼にすぎないのか、それとも──ノエルが私個人に何かを伝えようとしているのだろうか?
「ユリーシャ、こんにちは」
少女は親しげに大精霊の名を呼んで、フードを外した。
──金の髪に、緑の瞳。
神殿の奥で、ゆらりと空気がうごめいた。そこに何かが居て、あまりにも強大な魔力で、あたりの様子が歪んで見えるのだ。
『よく来たな』
大地が震えるような、くぐもった声が聞こえている。これが大精霊ユリーシャなのだろうか。
『カリナ』
──カリナ?
私が知っているカリナの絵姿と、今カリナと呼ばれた少女は髪や目の色が違う。違うけれど──今のカリナのほうが、より巫女らしい気がする。
それは彼女の容姿が、エメレット伯爵家の人々によく似ているからだろう。正しくは、カシウスがカリナに──。
「忙しくなっちゃって、ごめんね。兄様ったら、開拓を進めるんだって張り切っちゃって。その手伝いでなかなか来れなかったの。さびしかった?」
『つまらなかったよ。このあたりの人間たちは話しかけるとすぐに騒いで逃げ出すからな』
三百年の昔、セファイア王国は深く、開墾が困難な森と、平野部にはぬかるんだ沼地が広がる場所だった。入り組んだ河川は度々氾濫し、わずかに住み着いていた人々を苦しめていた。
そんな中で例外とされる土地があった。平野の北部、山の裾野に広がる大精霊ユリーシャの住処とされる土地は豊かで、人々はその地に集まった。
人々は、緑溢れるその地をエメレットと呼んだ。
この周辺を治めていた有力な豪族であった初代セファイア王は類い希なる魔力を持つ妹、カリナをユリーシャのもとに派遣し、広大な平野部へ庇護の手をのばすことを求めた。カリナはユリーシャから大地の庇護を受ける事に成功したが、あまりに強い魔力に晒されたせいか体を壊し、程なくして他界した。
カリナ亡きあと、セファイア王国は成長し、エメレットを美しい緑の地のまま保つことを条件に、エメレットはセファイア王国の一部となった。
……そこまでは、全ての人が知っていることだ。
「ねえ見て、私の赤ちゃん。あの人によく似ているでしょう?」
カリナがすっぽりと体を覆っていたマントを脱ぐと、胸元に生まれたばかりの赤子がくくりつけられていた。
黄金の稲穂のような明るい金髪は、二人が母子である証明だろう。
『お前によく似ている』
魔力のうねりがそっと、本当にそうっと、赤子の頬を撫でたように見えた。
……巫女カリナは未婚の若き乙女のままこの世を去ったと聞いていた。けれど、カリナは子供を産んでいた。そんな記録はない──生きていたら、王家がその子を放っておく筈がないのに……。
『我が友よ。この子に祝福を与えよう。この子の血脈が続く限り、私はこの土地に恵みを与える』
「ありがとう、ユリーシャ。何から何までよくしてもらっちゃって……」
カリナの美しい瞳から、ぽろりと涙が一粒こぼれて、床を塗らした。
『よい。うまい酒と、友が居ればよい。……私は老いぼれでそう長くはないが、人間の寿命はさらに短い。どんどんと増えるがよい』
「あはは……それが、なかなかうまくいかないんだなあ。ユリーシャ、この子のこと、よろしくね……」
カリナが寂しそうに笑うと、淡い光に照らされて、すやすやと眠っていた赤子は目をさました。
──緑の瞳が、精霊の魔力に晒されて、金に光る。
──大精霊ははっきり「お前の血脈」と言った。巫女カリナの産んだ子供。この血脈が栄える限り、セファイアには繁栄がもたらされる。歴代のセファイア王族の肖像画を思い返してみても、特徴的な瞳を持つ者はいない。
──なら、あの子は、その子孫は今どこに……?
頭の中に、カシウスの姿と、屋敷の中に飾られたエメレット家の人々の肖像画の記憶がよみがえる。
──まさか、そんな。
私が不都合な疑念から目を背けようと必死に考えているうちに、鏡の中では場面が変わっていた。先ほどの和やかな風景とはうって変わって、沢山の沈痛な面持ちの人々が喪章をつけて集まっている。
この場面は──葬式だ。
力を使い果たした巫女カリナは、精霊との契約を終えたのち、若くして命を落とした。その葬儀がしめやかに行われているのだ。
集団の中で、一際身分が高いだろう若い青年が先ほどの赤子を抱いている。父親だろうか──いや、そうではない。
その男性の姿に見覚えがあった。初代国王──私の祖先にあたる、巫女カリナの兄だ。憂いを帯びた表情は、肉親を亡くして、忘れ形見の幼子を託されて呆然としているようには見えない。
もっと悲痛な覚悟を持っている──私には、そんな風に見えた。
場面はどんどん変わっていく。断続的なかつての記録。
薄暗いテントの中で、ろうそくの光に照らされながら、男性たちが話し合っている。
「この子供を王に据えるわけにはいかない」
「そうだ。護衛役の騎士との子供など……巫女が残した遺児としてふさわしくない」
「しかし大精霊との契約が……」
「せっかく加護を受けたのに、へたに殺しては精霊の怒りを買うかもしれない」
「この子を王の養い子として育てるのがいいのでは?」
「将来の不和になる。せっかく成長している国を二つに割ることになるぞ」
「──しかし──それが巫女カリナの意思なのでは?」
「あの娘は死んだ。この土地を開拓し、守っていくのは我々だ」
「陛下!」
陛下と呼ばれたのは、初代セファイア王だ。彼はきゅっと口を引き結び、蝋燭の炎をじっと眺めていた。
ぐるりと明かりを囲む人々は、静かに王の決断を待っている。
「……殺しはしない。この子には、ともに国を守ってもらう」
重々しく告げられた言葉に安堵のため息を漏らすものも居れば、非難の声を上げるものもいる。
「……ただし、この子は王ではない。……未来永劫、王族ではない」
場面が変わって、小さな子供が草原を走り回っていた。ふわふわの金の髪をした、快活で、明るい笑顔の子。
「あ、おじさまだー、こんにちは!」
おじさま、と呼ばれた初代セファイア王は、やさしく微笑んで、胸元に飛び込んできた子供の頭を撫でた。
「元気かね」
「うん、元気だよ!」
「エメレットは好きか?」
「うん、精霊の声が聞こえるの。だーいすき」
「そうか。お前はこの土地を守るのだ。大きくなって、好きな人が出来たら、その人と結婚して家族をつくりなさい。エメレット伯爵──そう、名乗るがよい。お前と、その家族がこの地に居る限り、この国は安泰だ」
「うん?……おじさま、むずかしくて、何を言ってるのかわかんない」
「わからなくてもいい。……ただ、家族と精霊と仲良く暮らしなさい」
──エメレット伯爵家を、滅ぼすわけにはいかないのだ。
父の言葉が、私の脳裏によみがえった。




