出戻り姫の憂鬱①
……こんなにも急に、別れが来るなんて、考えてはいなかった。
死が二人を分かつまで私はこの地に……いいえ、死んだ後もノエルやカシウス、領民たちの心の中に生き続ける事ができるのだと思っていた。
さよならを言うのは必ず私で、意識が消えてなくなれば悲しいこともなくなる。私は『残す側』であって、あけすけに言うならば、いつも悲しませる側にいるはずの私はもうこれ以上悲しい思いなんてしなくていいのだと傲慢に考えていた。
その結果が今だ。
私はこんなにもあっけなく、なにもかも無くしてしまったのだ……。
「アリー様!」
迎えの馬車に乗り込むと、慌てた様子のエレノアが駆け寄ってきた。片方の手にはトランクを抱えている。エメレットでの始まりも終わりも私と命運を共にするつもりなのだろう。けれど、彼女を連れて行く事は出来ない。
「精霊が旦那様の子に化けたのを看過できなかった我々にも責任があります。必ず旦那様を説得いたします。ですから早まらないでください。こんなにもエメレットに尽くしたアリー様が、この地を追われるように去るなんて……」
「いいの。私は自分の不安を言い訳にして、都合の悪いことから目を逸らして、カシウスの自尊心を傷つけた。離婚を言い渡されて当然よ」
手にはくしゃくしゃに握り潰された離縁届がある。これは悪夢ではなくて現実なのだ。
「私もここではよそ者です。どうか一緒にお連れください」
馬車に手をかけたエレノアの手に、そっと自分の手を重ねる。
「いいの、エレノア。ここに残りなさい。これは命令よ」
「アリー様!」
エレノアは悲痛な声を上げた。
「……いままで、よく仕えてくれたわ。これからはあなたの幸せを見つけてね」
彼女の気持ちはとても嬉しいけれど、離縁を言い渡されたのは私だ。この土地で大人になり、人間関係を築き上げて、配偶者を自分の力で見つけた人たちの邪魔をすることはしたくない。
「アリー様がいなくなるなんて……皆、そのような事は望んでおりません!」
「……いつ、いなくなってもいいように準備はしてきたつもりよ。それが今日と言うだけだわ。命があるだけで儲けものね」
「アリー様、私、私はっ……」
エレノアは私より年上だけれど、私よりもずっと涙もろい。
「たまに森に様子を見に行ってあげて。ノエルには悪気がなかったのだし、きっかけかもしれないけれど、根本的な原因ではないわ。彼女を敬って、大事にしてあげてね」
カシウスは思慮深い人だ。彼が離縁という決断に至ったのだ、数時間の感情的な思考の結果とは思えない。彼はおそらく、そのために戻って来た。離縁について、ずっと考えていたのだ。
「元気でね。……今まで、ありがとう」
これ以上喋ると、未練が残ってしまうと目を逸らした時、書斎の窓からカシウスが私を見送っているのが見えた。視線が合って、カシウスはふいと顔をそむけ、カーテンの陰に体を隠した。
「さよなら……」
別れの言葉は彼には届かない。私の結婚生活は終わりを告げる。
さようなら、私の故郷。
悲しみで心臓が破裂してしまえばいいのにと思うけれど、体はいつも思ったようにはならない。私は発作もなく無事王都に辿り着き、セファイア城で国王である父、王妃である母と再会した。
「おお、アリー。……想像より壮健そうでなによりだ」
「本当に。長旅でしょうに、顔色がよくて安心したわ」
両親に暖かく迎え入れられて正直なところ……困惑している。
あからさまに冷たくされたことはないけれど、内心ではずっと、政略結婚にも公務にも使えない王女だと見捨てられたのだと思っていた。しかし、両親の笑顔を見るとそうではないように思える。私を王都に連れ戻したいと願っている、というルベルの伝言は本当だったのだろうか。
「エメレットのおかげです。向こうは空気が綺麗で、環境の良いところでしたので」
ノエル騒動についてはエメレット領の外へは漏れていないはず。だからカシウスと私は円満に離縁して、両親は私が二人に末期の水を取ってもらうために戻ってきたと思っているだろう。
「そうか、そうか。エメレット伯爵はお前をのびのびさせてくれたと聞いている。彼には、しっかりと礼をつくさねばな」
「よろしくお願いします」
妻としての私がいなくなったあとも、国が建国時からの名家であるエメレット家を厚遇する事は決定事項だ。離婚した女性には半年の結婚禁止期間があるが、男性にはない。すでに、両親はカシウスの再婚相手の目星をつけているのかもしれなかった。
「ああ、良かったわ、アリーが無事に戻って来て。でも旅から戻って来たばかりとは言え、王女にしては地味すぎるわ」
母が私の手を取り、やさしく微笑んだあと、申し訳程度の装飾しかついていない服を見て顔をしかめた。
「このような服の方が、体を締め付けないので具合が悪くなった時にすぐ休めるのです」
「あなたの言い分は分かるわ。けどね、今後のためにもドレスに慣れておかないとね」
「巫女の件、私には荷が重いかと……」
今後と言われても……。両親は私が思っていた以上に楽観主義なようだ──顔を上げると、母の顔が不思議なほどに落ち着いていることに気が付いた。余命わずかな娘を見る目ではないような……。
「いえ、巫女の話もそうだけれど……あなたの結婚の話よ」
「え?」
母の手が、記憶よりもずっと小さい事に気が付いた。なんだかんだと、私の体も成長しているのだ。
「アリエノール、あなたはルベル……メイユール公爵家に嫁ぐのよ」




