旦那様は寝耳に水だそうです
「アリー様、朝食前に申し訳ありません。少しよろしいですか」
私を呼びに来たのはレイナルトだ。
「どうしたの?」
「聞いて驚かないでください。旦那様から通信が入りました」
「……まあ!」
カシウスは長いこと、留学と外交のために世界中を飛び回っていた。魔力通信が入るということは、それはつまりカシウスが手紙の通りセファイア領内に入った事を意味する。
ノエルを連れて通信機のある部屋に向かう。
『アリエノール、お久しぶりです』
私をアリエノール。と正しい名前で呼ぶのはカシウスだけだ。受話器越しに聞こえるカシウスの声は相変わらず平坦で、感情を押し殺しているように聞こえる。
「ええ、お久しぶりね、本当に」
手紙はきっちりと届くけれど、カシウスに会ったのは五年前が最後だ。私の記憶では幼さが残る少年のままだけれど、噂に伝え聞くところでは随分背が伸びて、立派な青年になっているらしい。
『……先ほど、セファイアの港に到着しました。手続きを済ませて、三日ほどでエメレットに戻ります』
「待っているわ。私、今とても体の調子がよいの」
『そうですか……。それはとても、嬉しい報告です。何か入り用の品はありますか』
「大丈夫よ。ルベルがしょっちゅう色々なプレゼントを持ってきてくれているから」
でも、ノエルには何か必要かしら? 彼女の方を見ると、ノエルは私から少し離れたところで、じっとこちらの様子を窺っていた。手でまねいても、こちらに近づいてくる様子はない。
『……長い留守になりましたが、よいご報告ができると思います』
「あら、なんでしょう?」
冷めていて、悲観的なものの考え方をするカシウスがこんな思わせぶりな事を言うのは珍しい。手紙にも書いてあったことだ、ノエルの事ではないだろう。とすると……検討がつかない。
「気になるわ。私にだけ、教えてくださいな」
『帰郷したときのお楽しみと言う事で。……随分、声が明るい。お元気そうでなによりだ』
「わかる?」
つとめて冷静に聞こえるようにしていたつもりだけれど、カシウスにはあっさりと気取られてしまったようだ。周りの人はカシウスの事を血も涙もないやさぐれた仕事大好きの不実な男のように言うけれど──彼は私をいつも注意深く観察して、気を遣ってくれている。ただ、私とカシウスの間に引かれた線からお互いに一歩も出ない、と言うだけで。
『何かいいことがありましたか』
「あなたが帰郷すると言われて、わくわくしない訳がないじゃない?」
『不義理をした形だけの夫が戻ってきても、楽しくはないでしょう』
「あら、そんなことはないわ」
ノエルがやって来てから、屋敷の中はとても明るくなった。最初は不祥事に戸惑っていた使用人たちも、三日もすればすっかりノエルの虜だ。皆、ノエルを見てカシウス坊ちゃんの子供の頃はああだった、こうだった、と思い出話をしてくれて、そのたびに私は手に入れられなかった子供の頃のきらきらした記憶を自分のものにできるような気がしていた。
いつの間にか、通信が入っていると聞きつけたのか、半開きになったドアの向こうに使用人たちが様子を伺っているのが見える。
なんだかんだ、皆カシウスの事が気に掛かるのだ。
「皆待っているわ。あなたの事をね。もちろん私もよ」
カシウスが帰ってきて、ノエルと三人でここ、エメレットで生活する。とても楽しくなるだろう。そうすれば、きっと私とカシウスの距離も縮まる。いいことしかない。
そしていつか、ノエルの母親の話を聞くのだ。きっと素敵な人だから。
『アリエノール……俺は、あなたに、不義理をしたのに……』
不義理と聞いて、胸がちくりとした。いけないわ。その件については、絶対に責めたりしないと決めたのに。
通話器を耳に当てながらぶるぶると頭を振る私を、レイナルトが怪訝な目で見ていた。
「私はあなたに怒ってなんていませんから。大丈夫よ、ノエルのことは私に任せてください。きっと立派に育ててみせるわ」
『……ノエル……?』
通話機の向こうから何か考え込む様な、困惑するような。そんな声がしたのちに、沈黙があった。
『ノエルとは? 犬でも飼いましたか?』
「……ふふっ」
『……それか、猫?』
ノエルの名前を聞いて動揺した様子はなかった。彼はやっぱり、ノエルの事を何も知らされていないのかもしれない。
「本人を前にしてしらばっくれるのはやめてあげてね、あなたの子供なのだから。ノエルがかわいそうよ」
『子供?』
カシウスは腑に落ちない様子で、私の言葉を繰り返した。
「そう、あなたの子供よ。ノエル。4歳ぐらいかしら? あなたにそっくりで、とってもかわいい子よ」
ノエルに通話を変わろうと思ったのだけれど、彼女はいつの間にかいなくなっていた。
『……俺の?』
「そうよ。あなたの子供」
『は………はあああああああああああああああああああああああああ!?』
通信機の向こうで素っ頓狂な叫び声がして、私は夫が声を荒げるのを始めて聞いたのだった。




