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ミシェルがとまどうビュリダンを連れ出したのは、噴水の広場。商業施設でにぎわっている、大勢の人々が集まる人込みの界隈だ。
「こっちよビュリダン!」
広場を見渡す階段の上に、腰掛けたミシェルは、ビュリダンを横に座るように促した。
ミシェルの手には、二つの双眼鏡。もちろんダンテの棚から断りもなく、勝手にもってきたやつだ。
「ミシェルさん、こんなところで何をするんですか?」
困惑気味のミシェルは、双眼鏡を手渡すと、にやりと笑う。
ここからはミシェルの得意分野なのだ。
「いい、ビュリダン。貴女はもういい大人だから、家族が求めるいい子でいなくていい事は、よく理解したわね」
ビュリダンは、強く、うなずいた。
あの後、ミシェルはさんざん朋子ちゃんの話を、そしてミシェルの田舎の話を、ビュリダンに聞かせてやったのだ。
祝福の言葉と、呪いの言葉は、ある意味同義だ。
馬鹿だアホだと呪いの言葉を言われ続けて育った子は、全く自信のない子に育つ。
お前は天才だとか、貴方は特別よ、と一見すると良い言葉を言われ続けて育った子は、根拠のない全能感で、過剰な自信と、現実的な能力の部分のギャップに、苦しむ。
(ようは、例え親からであっても、いい言葉であっても、話は半分に聞いておけという事よ。信じたいものしか信じない方がいいし、自分の頭で考える余地は必要っていう事)
ビュリダンは、地頭のよい娘だ。
自分がいい子であるという責任感に、そしていい子でなければ、愛する家族に愛してもらえない、と、思い込んでいた事に、ようやく気が付いたのだ。
「あんたの妹は、出来ちゃった婚でしょ。そんな妹を、あんたは愛さないの?そんなわけないでしょ」
ビュリダンの、長い家族の話を聞いていたミシェルにそう指摘されて、ビュリダンは愕然としたのだ。
そう、こんなガチガチのいい子はビュリダンの家族では、ビュリダンだけで、妹は幼馴染と結婚して、それはいいのだが、順番をまちがえちゃったとの事だ。当時は大変だったらしい。
順番間違えるなど、とてもいい子の行いではないが、生まれた子供も、夫となった幼馴染も、妹も、今は家族に何も変わらず愛されている。
要するに、いい子でいなくちゃ家族から愛されないというのは、ただのビュリダンの思い込み、強迫観念なのだ。
にやりと悪い笑みを浮かべるミシェル。
「じゃあ、リハビリといきますか」
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「ほら、あの赤い帽子の人なんて素敵、あ、あっちの黒いマントの人なんていいわ。やだ、あの魚屋さんのお兄さんもいい二の腕の筋肉ね。今までそういう目で見たことなかったけど、こうしてみたら合格よね」
うきうきと双眼鏡を眺めているミシェルに、ビュリダンは戸惑う。
「あの、ミシェルさん、何をしてるんですか?」
ミシェルは鼻歌を歌うように、続けた。
「私が今日、一緒に夜遊びするなら、どの男性と遊びたいか、って空想して、いい相手を探してるの。どうせ空想よ!最高の男といきましょうよ。ビュリダンは?あの緑の外套の人なんていいんじゃない?」
別に本当に飲みに行くわけではない。
空想だ。妄想だ。独身女の、品の悪い遊び。
だが、誰が傷つくわけでもない、ビュリダンのリハビリだ。
ビュリダンに必要なのは、小さなビジョンから、自分の本当の望みに、正直になる所からだ。
「え、わからないです、ミシェルさん・・」
「じゃああの店先で宝石えらんでる紳士は?」
「あ、ちょっと年とりすぎてるわ・・」
「じゃあその横にいる髭の人は?」
「えー、お茶くらいならいいかもしれません・・」
「えー!私だったらお茶もいやよ!ビュリダンはもっと欲張りなよ!ただの空想なんだから!」
ケラケラとミシェルは笑った。そう、これはただの遊びだ。
ビュリダンは、くすり、と笑ってミシェルの遊びに付き合う気になったらしい。
どれどれ、と双眼鏡を眺めて、ミシェルの下品なコメントにつきあう。
「あの黒髪の人は結構素敵だけど、清潔感がないのが残念ですね」
「あそこの学生さんはすんごい可愛いけど、ちょっと若すぎ!残念!」
「あら、ミシェルさんは若い子はダメですか?」
「若くてもいいけど、あれは犯罪よ!まだ子供じゃない」
そうこう、ケラケラ笑いながら、ああでもない、こうでもないといろんな人々を眺めてコメントする。
ミシェルはいい子では、決してない。
いい子の枠に価値をみいださない、そんなミシェルと話をしていて、リラックスしてきたのだろう。
ビュリダンが、急に反応した。
「あ!あの方なら、一緒に夜遊びしても、いいかもしれません!」
ビュリダンが指差した方向に見えるのは、ミシェルも知っている、完璧に美しい顔。
顔面だけは国宝級の、ダンテだった。
なにやら薬の原料でも買いに来た様子で、大きな荷物を抱えて、広場をゆっくり、歩いていた。
双眼鏡越しの遠目から見ても、その美貌は宝石のように輝いて、発光しているかの様だ。
この、「いい子病」の重病人を以って、夜遊びしてもいいなど言わしめるなど、イケメンは本当にすごい。
チャンスだ。
「・・じゃあさ、ビュリダン、あの人と夜遊びに行くとき、どんな服きていったらいいと思う?」
「え・・そうですね、こう、華やかなレースが沢山ついている、バラ色の服で、背中が開いてるカットのものですね」
ほら。でてくるじゃないか。イケメンとのデートに着ていきたいお洋服が!
まだ、本当はビュリダンはどんな服が好きなのか、そんな所までは分からないにしても、ダンテと今晩デートに着ていきたい服なら、わかるのは大発見だ。大進歩だ。
もう一押し。
「ねえビュリダン、朝までご一緒に、ってなった時、あなた、今の装飾もない真っ黒な下着でいく?」
ビュリダンは、もはや青い顔をして、ぶんぶん首を横に振る。
「いや!絶対無理です!レースでできた、服と同じ色の、上下セットのを購入します!」
即答。お見事。
ミシェルは心の中で、ビュリダンにこうも言わしめたダンテに拍手を贈る。
ミシェルは、にっこりと笑って、ぽん、とビュリダンの肩に手を置くと、
「そういう事よ、ビュリダン。あの人と、デートが週末まっていると思って、今日一日過ごしてみなさいよ。人生かわるわよ」




