11 帰還
道の先に銀のきらめきが見えた途端、沿道に詰めかけていた人々から歓声があがった。石畳に蹄の音を響かせて現れたのは、堂々たる騎士達の姿。銀の鎧を輝かせて凱旋した騎士がデアベリーの門をくぐれば、歓声はさらに大きくなり、五色の紙吹雪が通りを舞って、実りの季節にふさわしい歓喜の到来を彩った。
トロール被害者の救助や、ハルバラドの町機能の復旧に尽力した騎士達の、ようやくの帰還だった。それでも一時の想定よりは早い帰還ではあった。
ハルバラド共和国にサマクッカ帝国の軍隊が入ったことは、ディーリアにも伝わっていた。トロール討伐という目的を同じにしていたためすぐに衝突が起こりはしなかったが、互いに武器を携えている以上は緊張を避けられない。トロール被害が沈静化した後がどうなるかを誰もが警戒、注視していたが、蓋を開けてみれば、実際に起きたのは二国間の紛紜ではなく、帝国軍の撤退だった。
原因は、砂漠を進軍していた帝国軍本隊の分裂。対立が噂されていた総大将ドルジンと副官カイシャンがついに決別し、カイシャンが軍の半数を引き連れて帰国してしまったのだ。思わぬ事態に、遠征していた帝国の部隊は本隊と合流するため、南の森から砂漠へと引き返していった。
休息もそこそこの騎士達を待っていたのは、彼らの帰還を祝う宴だった。ディーリア国王の名の下に開かれた大宴会は、王宮一階の一番大きな広間で行われた。騎士を擁立した家はもちろん、騎士の帰還に合わせてデアベリーに集った貴人すべてを招いた盛大なものだ。
金の鎖で吊るされた宝冠のようなシャンデリアの下、盛装した騎士達は家族や友と再会を喜び合った。親しき者と抱擁を交わし、楽団の演奏を聞きながら、会わない間のできごとを語り合う。
一通りの挨拶を終えて妹のベロニカと談笑していたエリヤは、こちらに歩み寄って来る親友の姿を見つけ、両腕を開いてそれを迎えた。
「よく生きて帰ったな、友よ」
再会の抱擁を交わしながら、ブレイガム男爵ニコラスは調子よく言い、まったく変わらない親友にエリヤはつい笑ってしまった。
「当然だ。そちらこそ、特使としてモンスデラまで行っていたらしいじゃないか。よく無事だったな」
「もちろんだとも。わたしには、幸運の女神がついていたからね」
胸を張ってニコラスは言い、エリヤのかたわらに立つベロニカに向かって片目をつむった。髪と喉元に真珠を飾ったベロニカは、まあ、と控えめに声をあげて、レースの扇を口元にあてた。
「よくおっしゃられますわ。男爵閣下こそ、以前から抜け目ない方とは存じていましたけれど、あそこまでするなんて思いもしませんでしたわ」
「誉め言葉として受け取らせていただきましょう。わたしがあれだけ動けたのは、大胆な女神に触発されてのことだけれどね」
ニコラスがお得意の甘い微笑みを浮かべ、ベロニカは胡乱に目を細めた。だが扇で隠したその唇は、笑みを描いていた。
詳細を知らされていないエリヤは、二人のやりとりに疑問を覚えた。
「モンスデラで、なにかあったのか」
ニコラスとベロニカは同時にエリヤに向き直った。一瞬の目配せの後に、ベロニカが先に口を開いた。
「大したことではありませんわ。モンスデラの官邸に、帝国軍の副官が滞在していらっしゃって、少しお話する機会があっただけです」
「帝国軍の副官と? どういうことだ」
エリヤはつい声を大きくして、問い質す口調でニコラスに向いた。若い男爵は笑みを崩すことなく肩をすくめた。
「君の妹君には驚かされたよ。恐ろしい女性だ。こんな女性が近くにいて、よく君はそんなにのん気でいられるな」
「閣下にだけは言われたくありませんわ。あの時は、お話した相手が少々単純で直情的だっただけのことですわ。まさか本当に、帰国されるとは思いませんでしたけれど」
「と、まあそういうことだ」
エリヤにはさっぱり流れが飲み込めなかったが、少なくとも自分が不在の間に二人がすっかり親しくなったことだけは理解した。
楽団の奏でる曲が変わった。よく似た曲調の連なりは歓談の喧騒に心地よく溶け、広間中央で踊る者達の他に気にする者はいない。談笑を続けるエリヤの肩を、ニコラスが軽く叩いた。
「あれは、君の女神じゃないか」
男爵が囁きながら示した方に目をやり、エリヤは息をのんだ。吹き抜けになっている広間二階の回廊。そこを歩く、少女の姿があった。
少女は、プラチナ色に輝くドレスを着ていた。シャンデリアが振りまく光を浴びて、銀の縫い取りとガラスのビーズが、全身に無数のきらめきを纏わせている。胸下からたっぷりと布をとったスカートは、少女の後ろに光の尾を描き、輝く粒の軌跡を残していく。ドレスと同色の髪を結い上げ現わされている華奢な首には、四色の石が連なった首飾りが彩りを添えていた。
赤い髪の若者のエスコートを受け、少女は回廊をゆっくりと巡り、広間奥の金の階段を下った。その後ろからは、黄色い髪を結った少女が、プラチナの少女と合わせたのだろう金の刺繍のドレスを纏い、丈高い苔色の髪の男に手を引かれて続いた。
大広間に降り立った彼らは、迷いのない足取りでエリヤの方へ向かってきた。
「あれは、ニーナとカディーですの? なぜ王宮に」
隣でベロニカが囁いたが、エリヤにはそれに答える余裕はなかった。
棒のように立ち尽くすエリヤの間近まで、少女達がやってくる。
「ニーナ」
やっとのことで呼びかければ、少女は嬉しそうに表情を綻ばせ、赤髪の若者の手を放してエリヤの前に立った。
「よかった、すぐに会えて。お帰りなさい、エリヤ」
動揺の中でエリヤはなかなか言葉が見つからなかったが、どうにか返事だけは絞り出した。
「ただいま、ニーナ。しかし、なぜ君がここに」
トロールの強襲と暴動が終息した後、ニーナは一足先にディーリアへ帰国していた。エリヤはすぐに帰ることができるはずもなく、ようやく帰還しても、忙しさのあまり、まだニーナと会えずにいたのだ。彼女の顔が見られたことに喜びと安堵を感じた半面、思わぬ場所での再会に驚きは隠せなかった。
ニーナは琥珀の瞳にシャンデリアの光を映し、微笑んだ。
「エリヤを出迎えたいだろうって、レイモンドおじさんが取り計らってくれたの。せっかくだから楽しみなさいって、みんなの分の衣装まで用意してくれて」
ニーナの後ろで、三人のジンが軽く礼をとった。髪色を引き立てる深い色の装いをしたカディーとルーペスの立ち姿は、堂々としたものだ。金色のドレスを来たシルキーだけが眉尻を下げて、気後れの様子を見せていた。
「わたくしはよいですと、言ったのですが……」
小声で言ったシルキーに、ここまで彼女をエスコートして来たルーペスが笑みを向けた。
「せっかくジュリアが着付けてくれたのだから楽しみましょう。滅多にない機会ですし」
シルキーは困惑気味の笑みを返したが、ルーペスの言う通りだと思ったのか、それ以上否定的なことを口にはしなかった。
不意に、ブレイガム男爵がエリヤとニーナの間に顔を割り込ませ、気取ったお辞儀をした。
「お久しぶりです、ニーナ嬢。見違えられて驚きました。わたしを覚えておいでですか」
話しかけられると思っていなかったらしいニーナは、やや戸惑った表情をしてから、記憶を辿ろうとするように視線を動かした。そんなニーナにニコラスは苦笑して、自ら助け舟を出した。
「一度しかお会いしていないのだから無理もありません。ディザーウッドで、エリヤと一緒にお世話になりました。ブレイガム男爵ニコラス・ヘネシーです」
「あ、あの時の」
言われてやっと思い出したらしいニーナの手の甲に、ニコラスは満足げな表情で敬愛のキスをした。
「ニーナ、わたくしのことは、もちろん忘れてなどいないでしょう」
ニコラスの反対側から、ベロニカがさらに身を割り込ませて早口に言った。
「ベロニカ、本当に久しぶりね。ごめんなさい、ずっとなにも知らせていなくて」
ニーナが覚えていたことに気をよくした様子で、ベロニカは品よく笑い声をたてた。
「よろしくてよ。カディーも一緒に元気なことがこうして分かったのだから。それより……」
ベロニカはニーナに顔を寄せると、耳打ちするように言った。
「後ろにいらっしゃる、緑の髪の殿方をご紹介いただけないかしら」
ニーナは目をぱちくりした。
「ルーペスを?」
「ルーペス様とおっしゃるのね。そう……」
記憶に刻み付けるようにゆっくりと反復し、ベロニカはルーペスへ意味ありげな眼差しを送った。
ニーナの相手をすっかり取られてしまったエリヤは、仕方なく少女から視線をそらして顔を上げた。すると、彼女の後ろに立つカディーと目が合った。緋色の長髪を背中でくくったカディーは無言でたたずんでいたが、エリヤと真っ直ぐに目線が交わると、青紫の目をわずかに細めた。





