2 血縁
近衛の取り次ぎで入って来た者に顔を向け、ディーリア国王レイモンドは目を細めた。やって来た男もレイモンドと目が合うと、わずかに眉を寄せる。そうして厳しい表情をすると、向かい合う二人はよく似ており、誰であっても血縁と知れた。
訪問者はレイモンドよりもやや明るい色の金髪を揺らし、無言のまま執務室の奥へと進んでくる。しかし部屋の主の前で礼を取ることはせず、隅の長椅子へと勝手に腰を落ち着けた。
レイモンドは小さく嘆息してからペンを置き、書物机から立ち上がって彼に歩み寄った。
「兄上、召致に応じてくれて感謝する」
兄ダミアンは座ったまま、上目を遣ってレイモンドを見やった。
「珍しいな。お前がわたしを呼び出すとは」
相手が王であることは介意せず、ダミアンはあくまで兄弟として返していた。不遜な兄に眉をひそめながら、レイモンドはテーブルを挟んだ向かいの椅子へと腰を下ろした。
「理由は、言わずとも分かっていると思っていたが」
言ってはみたものの、案の定、ダミアンは黙ったままやや目を伏せただけだった。ため息を堪え、レイモンドは膝の上で指を組んだ。
「公領の競技場に集めている軍隊は、一体どういうつもりだ」
ダミアンは、ちらとだけ目線を上げた。
「わたしの領地にわたしの兵士がいて、なにか問題でも?」
「私軍が問題なのではない。これ見よがしな練兵と、規模が問題なのだ。領地の守備だけなら、あれだけの兵は無駄でしかない」
レイモンドは声に鋭さを込めたが、ダミアンは鼻を鳴らした。
「無駄とも限らん。今は帝国が迫って来ている時だ。モンスデラが落ちればディーリアに帝国軍の手が届くのも時間の問題である以上、迎え撃つ手はあるに越したことはない。臆病な王の代わりに、備えをしてやっているのだ。出し渋っている援軍も、わたしのところから出してやっても構わないが?」
取り繕う気もないらしい嫌味に、レイモンドの口元が自然と歪む。
「戦争をするための軍を派遣する気はない。その逆はあったとしてもな」
「戦争のなにがいけない」
ダミアンは顎を上げ、蔑むようにレイモンドを見た。
「戦争は犠牲を生むものだが同時に、活性をもたらす。東の国を見てみろ。戦争による荒廃からの復興の迅速さ、そして驚異的な発展を。ディーリアで十数年、あるいは二十年とかけてきたことを、奴らは戦争という手段でほんの数年で成し遂げている」
やや考えながら、レイモンドは顎を撫でて唸った。
「だとしても、我々は戦争をするべきではない。ディーリアは侵略なしに確立された大国だ。その矜持は失ってはいけないはずだ。それに、モンスデラはまだ落ちない。かの国は帝国と折衝を試みているらしい。当分、情勢は膠着するだろう」
「そのままモンスデラが帝国と手を結んだら同じことと思うが」
口の片端を上げるダミアンに、レイモンドは頷く。
「もちろん、それはさせない。特使としてブレイガム男爵をモンスデラへ派遣する」
ダミアンがあからさまに眉をしかめた。
「あの小僧を? あのような未熟で浮かれた小領主になにかできるとも思えんが」
下の者を軽視するダミアンへの不快感が、レイモンドの胸にもだける。しかし王はそれを表には出さなかった。
「確かに彼は若い。しかし凝り固まった我々よりもよほど広い視野を持っている。国として介入するにあたっての事前調査の段階なので、今回の男爵に国家間交渉権はないが、彼ならば必ず成果を上げて来るだろう。たとえ転んだとしても、ただでは起きぬ男だ」
レイモンドは本心から言ったが、ダミアンは鼻で笑っただけだった。
「あの若造になにを期待しているかは知らないが、あやつは革新派寄りではなかったか。革新派を派遣しては、お前のいやがる戦争を呼び込むだけではないか」
「男爵は中立だ。先を行く考えを持つ若者ゆえ革新には寄ってはいるが、戦争を望んではいない」
「わたしとて戦争を望んでいるわけではない」
ダミアンは体を反らせて、鷹揚に足を組んだ。
「望む望まないではなく、必要だと言うことだ。いつまでも過去の誇りに縋って眠たいことばかり言っていては、ディーリアは瞬く間に覇権を失うことになるだろう」
冷ややかに言うダミアンの目を、レイモンドは真正面から見た。
「あるいは、そうかもしれない。だが、それを判断するにはまだ早い。軍を退け、兄上。まずは特使の帰還を待つ。軍をどうするかを決めるのは、確実に戦争が避けられないとなったその時だ。これは国王としての命令だ」
「どのようにしようと、結果は同じと思うがな」
息を漏らすように冷笑して、ダミアンは立ち上がった。
「いいだろう。王陛下のご命令とやらにひとまず従おう。だが、特使の働きが芳しくなければ、すぐさまわたしの軍を出す。もたもたしていては、本当に国を失うことになるぞ。失礼する」
ダミアンは言い終わると同時に体の向きを変え、革靴の踵を鳴らして執務室を出て行った。
深く息を吐いて、レイモンドは椅子の背もたれに体を預けた。身内でありながら、相対してこれほど神経を使う相手もいない。同じ母を持ちながら、どこでこれほどの違いができてしまったのか――もっとも、兄は実母の存在を知らないのだが。
「相変わらずですね、ダミアンは」
一人になったと思った室内で急に声がして、レイモンドは驚いて顔を振り向けた。執務室の最奥の隅に、王の私的な部屋と繋がる扉がある。室内で最も飾り気のない焦げ茶の扉の前に、大変背の高い若者が立っていた。彼はレイモンドではなく、ダミアンが出て行った出口の方を見ていた。
「あのような考え方だから王に選ばれなかったのだと、なぜ気付けないのか」
男は、人ではありえない瑞々しい苔色の髪を揺らしながら、小さく肩をすくめた。母に仕える地のジンの出現に、レイモンドは思わず目をすがめた。王の渋い顔に、ルーペスはちらとだけ笑んだ。
「ダミアンがいたので、勝手に待たせて貰いました」
ルーペスの悪びれない様子に、軽くため息をつく。だがジンが時折ふらりと顔を見せるのはいつものことなので、レイモンドはとやかく言わなかった。
「兄上の言うことも、分からないではない」
椅子の肘かけに腕を乗せ、レイモンドは口元に手を添えた。
「ディーリアも、女神が作った国とはいえ、人が統治する以上は永遠ではありえないだろう。いずれサマクッカ帝国のような国に侵攻され、とって変わられるかもしれない――そうなった場合、イヴはどうなる」
「そうですね……」
呟くように言いながらルーペスは歩み寄って来て、座っているレイモンドの隣に立った。
「女神がどのようなお考えかまでは、わたしにも分かりかねますが――たとえ王朝がすげ変わったとしても、イヴを守ることができるものであれば、それほど問題ないかもしれません。ただ、わたしの意見として言わせていただくと、東の帝国にイヴを任せられるとは思えないし、任せたいとも思いませんね。彼らはあまりに攻撃的で、欲望に忠実過ぎます。イヴを手に入れたら、利用せずにはおれないでしょう」
「それが、自身と星を脅かすとしてもか」
「分かっていても、それをせずにいられない人間はいる。ダミアンがその類と言えるかもしれませんね」
沈黙して思い悩むレイモンドを見下ろし、ルーペスはどこか慈しむ眼差しを細めた。
「眠れていますか。ジュリアが心配してますよ。仕方がないとはいえ、自分の子らがいがみ合っていることに、我が主は心を痛めていらっしゃる」
「……それで、見に来たのか」
ルーペスの現れた意図が分かり、レイモンドはこめかみを押さえた。
レイモンドは、母ジュリアに対して家族の情のようなものはそれほど強く持っていない。王位に就くまで、先王を父と信じ、母はいないものとして過ごしてきたのだ。即位の日に現れたジンの導きで引き合わされた母と妹に、当時も戸惑いはあっても大した感慨はなかった。
妹は初対面後もたびたび執務室に顔を見せていたので、少しずつでも情を抱くようになっていた。だが、ほとんど塔から出て来ない母に対しては、疎む気持ちはなくとも、どこか冷めていた。
それでも、ジュリアは母として振舞いたいらしい。我が子が四十路になってもなお、子離れできないのかとも思うが、おおよそ外界との縁が希薄なイヴの性なのかもしれない。
「気になるのなら、自分が来ればよいものを」
ぼやくように言えば、ルーペスが困ったように苦笑した。
「そう言わないであげてください。これは、わたしの意思でもあるんですから」
レイモンドの座る椅子に手を添え、ルーペスはゆったりと諭すような口調で言った。
「ジュリアは元々、外を好みません。それでも彼女はイヴとして努力し、三人もの子を成した。もう十分に義務を果たしたんです――エベリーナの分まで。あとはわたしが、少しでも彼女が心穏やかに過ごせるよう、手足となり、耳目となり支えていきます。あなたの様子を見守るのも、その一環です」
忠義に厚く献身的なルーペスに、レイモンドは思わず息を漏らした。
「ジンの鑑だな」
「他のジンとは年季が違いますから」
当然とばかりに微笑んで、ルーペスはレイモンドから離れた。
「帝国の征西はもちろんですが、武器が南に流れているのも気になります。南にはニーナが行っていますからね。わたしも動向を気にかけておきましょう」
ルーペスは静かな足取りで、執務室奥の扉に向かい、取っ手に手をかけた。
「あまり、ジュリアを心配させないであげてくださいね」
釘を刺すように言い残し、背の高い姿は扉の向こうに消えた。
ようやく本当に一人になったレイモンドは応接用の椅子から立ち上がり、書類が山と積まれた書物机へ移動した。座り慣れた革の座面に腰を落ち着けるが、すぐにはペンを取らず、足を延ばして息をつく。
(勝手なことばかり言うものだ)
ルーペスの関心事は帝国の脅威や王国の情勢よりも、主人たるジュリアの安寧だ。それゆえに出る言葉には、少々の疎ましさも感じてしまう。すべての行動原理がイヴであるジンと違い、レイモンドにジュリア一人だけを気にかける余裕などありはしない。だがそれも、ひいてはイヴを守ることに繋がる――結局すべては、イヴを中心としてまわって行くのだ。
イヴなしには立ち行かない星の命の儚さを思い、レイモンドは顔を覆って嘆息した。





