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白金のイヴは四大元素を従える  作者: 入鹿なつ
第4章 森の守り手

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9 鉄の筒

「鉄の大きな筒?」


 ニーナが聞き返すと、大岩のようなトロールが頷いた。


「鉄の筒が爆発するの?」


 問いを重ねると、トロールは今度は首を振って唸りを上げた。ニーナは眉を寄せ、首をひねる。


「爆発があって、鉄の塊が飛び出す? その筒から?」


 しばらく考え込んでから、ニーナはシルキーを見た。


「昨日見た爆弾は、筒になんか入ってなかったわよね。となると、また違うもの? シルキー、なにか分かる?」

「さあ、わたくしにも皆目(かいもく)……」


 シルキーも首をひねり、ニーナは唸った。

 場所を変えたところ新たな情報を得ることができたが、相変わらずどれも具体性に欠けた。実際の目撃談なのだから、もっと詳細が見えてもよさそうなのだが、これがトロールの限界なのかもしれない。


「ハルバラドは爆弾以外にもなにか隠し持ってるのかしら」

「一度、砦に戻ってみますか? あそこならハルバラド兵がたくさんおりますし、もっとなにか分かるかもしれません」


 シルキーの提案に、ニーナは天上を見上げた。葉の間から見える空は鮮やかであり、日差しも真上から差していた。


「そうね。ちょうどいい具合にお昼どきだし、食事を貰いながら聞いてみるのもよさそう」


 言いながら、ニーナは座っていた地べたから立ち上がった。


「話を聞かせてくれてありがとう。またなにかあれば来るわ」


 協力してくれたトロールにニーナは手を振り、シルキーは礼儀正しく頭を下げてから、二人は揃って地面を蹴った。

 ほどなく帰り着いた砦ではちょうど、兵達が昼休みをとっていた。食事時の喧騒と、食欲をそそる匂いが陣内を満たしている。そんな中で、ニーナは昨日まで置かれていなかったはずのものを塀の近くに見つけ、口を開けて立ち尽くした。


「……鉄の筒ね」

「……鉄の筒ですね」


 他になんとも言えず、二人は黙って、並ぶそれらを見据えた。食事をしながらハルバラド兵から話を聞くつもりだったが、その必要もなくなったようだ。

 砦の出口に近い塀の前に、人の身長は超えるだろうほど大きい鉄の筒が並んでいた。筒は片方の端に蓋がされており、蓋のない方に向けてやや細くなっている。黒光りするそれが、金属で補強された木の土台に固定され、土台の左右には太い車輪がついていた。


「ニーナ」


 筒をつぶさに見ていると、後ろから呼ばわる声がしたが、ニーナは振り返らなかった。ニーナが反応しなくても、声の主は勝手にそばまでやって来る。


「戻っていたのか。朝からどこへ出かけていたんだ」


 ニーナは答えなかった。代わりに、たった一言だけ発した。


「これはなに?」


 エリヤは一瞬訝しんだが、ニーナの視線の先に気付き、納得したようだった。


「これは大砲という、対トロール用の武器だ。これがあれば、剣を通さないトロールにも対抗できる」

「ふうん……」


 エリヤの淀みない説明に、ニーナは声を低くする。


「エリヤ」


 ニーナの短い呼びかけに、エリヤが隣で振り向く。長身な彼に、手の動きだけで屈むように示した。不審そうな顔を見せながらも、エリヤは腰を曲げてニーナに目の高さを合わせる。

 次の瞬間、少女の右手が若者の左頬に叩きつけられた。突然の衝撃に、エリヤは仰け反って瞬いた。


「なっ、なんで」

「エリヤの馬鹿! もう知らない!」


 泡を食うエリヤをこれでもかと怒鳴りつけ、ニーナは背中を向けた。

 肩を怒らせてずんずん歩み去るニーナの後ろ姿をしばらく見詰めてから、シルキーは呆然とするエリヤへと視線を移した。


「今のは、エリヤ様が悪いです」


 シルキーの呟きに、わけが分からないと言いたげにエリヤが振り向いた。しかし彼女はそれ以上はなにも言わずに、ニーナへと目を戻し、その後を追った。





 取り残されたエリヤは、すぐには思考も行動もままならずに立ち尽くした。


(なんだったんだ、今のは……)


 エリヤのなにに対してニーナが怒ったのか、さっぱり分からない。彼女の行動が理解しがたいことは珍しくないが、今回は特にそれを感じた。大変理不尽なような気もしながら、エリヤはじんと痛む頬に手を当てた。


「若君」


 アーサーがエリヤに気付いて歩み寄って来た。エリヤが振り向くと、ハワード家の私兵隊長は眉をひそめた。


「頬が痛むのですか」

「いや、そういうわけでは」


 なんとなく焦って、エリヤは顔に当てたままだった手を離した。すると、いつも冷静なアーサーが珍しく目を丸くした。


「どうしたんですか、それ」


 アーサーの反応から、赤くなっているだろう頬を慌てて隠すように、エリヤはもう一度顔に手を当てた。体裁悪く目を逸らす若者に、アーサーはため息をついた。


「一体なにで、お嬢さんと揉めたんですか」


 図星を指され、エリヤは気まずく口を歪めた。


「それが……どうしてニーナが怒ったのか分からないんだ」

「なにか鈍いことでも言ったんではないですか」

「これはなにかと聞かれたから、答えただけだったんだか」


 目の前に並ぶ大砲を見ながらエリヤが言えば、アーサーも唸った。


「ご婦人というのは、男には理解しがたいことで怒り出すこともありますからな。若の言い方で、なにか気に入らないことがあったのでしょう」


 そうなのだろうかと、エリヤは真剣に考え込んだ。しかし考えて分かるものでもなく、エリヤは顔を上げた。


「どちらへ?」


 突然歩き出したエリヤに、アーサーは不思議そうに問うて来た。エリヤは歩を緩めずに早口で答えた。


「ニーナのところへ行ってくる」

「また叩かれますよ」

「嫌われるよりましだ」


 本気でそう考えながら、エリヤは少女がいるだろう天幕へ早足に向かった。





 目的の天幕に着くと、黄色い髪の少女がちょうど出て来た。エリヤはすぐに、彼女へと駆け寄った。


「ニーナは中にいるか」


 振り返ったシルキーはエリヤの顔を見上げ、複雑な笑みを見せた。


「いらっしゃいますよ。今は少し落ち着かれましたので、入っていただいて構いませんが、お気を付けください」

「分かっている。ありがとう」


 短く返して、エリヤは天幕に踏み込んだ。

 ニーナは、一番奥の寝床でこちらに背を向けて横たわっていた。エリヤが入って来たことには気づいていると思うが、微動だにせず、いかにも不機嫌な空気を醸している。入口で少しためらってから、エリヤは恐る恐るニーナに歩み寄った。敷布に広がるプラチナの髪と、少女の柔らかな腰の曲線が目に入り、やや鼓動が速くなる。

 エリヤがすぐそばまで近寄っても少女は動く素振りを見せず、かたわらに座り込んでもまったく反応しなかった。


「……申しわけなかった」


 なにを言ったらいいか分からないまま、エリヤは謝罪を口にした。だがすぐに返答はなく、どことなく気まずい空気が天幕に広がる。完全に無視されたのだと思い、エリヤがいたたまれない気分になっていると、不意に少女の声が鼓膜をかすめた。


「……なんで謝るのよ」


 戸惑うエリヤの前で、ニーナは体勢はそのままに深く息を吐き出した。


「なんであんたが謝るの」


 言いながらニーナはおもむろに上体を起こした。だかエリヤに背中を向けたままで、振り向こうとしない。うなだれた少女の背中を見ながら、エリヤは抑えた声で答えた。


「わたしはまた、君を怒らせることを言ってしまったようだから」


 エリヤが素直に言うと、ニーナはまたため息をついた。


「あんたが謝ることじゃあないわ……叩いてごめんなさい。ただの八つ当たり」


 ニーナから謝罪を聞くことになると思わず、エリヤは目を見開いた。


「……君は、なにをしようとしているんだ」


 ずっと喉につかえていた問いをエリヤが吐き出すと、ニーナはようやくわずかに振り向いた。しかし彼女はなにも言わず、再び沈黙が訪れる。まずいことを聞いただろうかとエリヤが危ぶんでいると、長い間を置いてやっとニーナは口を利いた。


「多分、あたしだからできること」


 呟くように言って、ニーナはエリヤに向き直った。


「でも、本当はあたし一人では無理なのかもしれない……ううん、無理なのよ。それでも他人には頼れない。自分で気付いて貰わないと」


 エリヤはニーナの琥珀の瞳を見詰めた。その底にあるのは、強い意志。


「わたしにも、頼っては貰えないのか」


 ふと、ニーナが小さく笑んだ。それが寂しげに見えたのは、気のせいではないだろう。


「そうね。それじゃあ今すぐトロール討伐なんかやめて、ディーリアに帰って」

「それは……」

「無理よね。分かってる」


 エリヤが口をつぐむと、ニーナは表情を崩した。


「そんな顔しないでよ。本当に馬鹿なんだから」


 苦笑いしながら、ニーナは寝床から立ち上がった。


「この話はもうおしまい。お昼食べに行きましょう」


 いつもの調子に戻って、ニーナは天幕の出口に足を向けた。少女が横を通り過ぎる瞬間、エリヤは素早く立ち上がり、彼女を後ろから抱き締めた。


「そんなにわたしは頼りないか?」


 驚いた少女の強張りが、腕に伝わって来た。そしてエリヤ自身も、自分の行動に驚いていた。感情の波が押し寄せ、せき止め切れずに溢れる。


「わたしとて、男で騎士だ。少しでも君の力になりたい――君を守りたいんだ。そう考えることが馬鹿だというのなら、それでも構わない。だから教えて欲しい。どうしたら君は、わたしを頼ってくれる」


 自身の心臓の音が、耳の中でやかましくなっているのをエリヤは意識した。

 ニーナが抱えるものを、エリヤは知らない。少なくとも、レイモンド王が彼女に託すと言っていた以上、それは一国の王ですら負い切れなかったものだ。腕の中の少女はこんなにもちっぽけだと言うのに、その背に余るものを彼女が背負っているとしか、エリヤには思えなかった。だからこそ、ニーナを助けたいと願ってやまないのだか、彼女がそれをさせてくれないのでは、どうしたらいいか分からない。

 緊張の間の後で、ニーナがぽつりと呟いた。


「エリヤが騎士である限り、あたしはあんたに頼れない……ごめん」


 最後の言葉と共に、ニーナはそっとエリヤの腕をはずした。そして今度こそ、彼女は天幕を出て行った。一人になったエリヤは、空になった自分の腕を静かに見下ろし、無力感に顔を覆った。

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