9 鉄の筒
「鉄の大きな筒?」
ニーナが聞き返すと、大岩のようなトロールが頷いた。
「鉄の筒が爆発するの?」
問いを重ねると、トロールは今度は首を振って唸りを上げた。ニーナは眉を寄せ、首をひねる。
「爆発があって、鉄の塊が飛び出す? その筒から?」
しばらく考え込んでから、ニーナはシルキーを見た。
「昨日見た爆弾は、筒になんか入ってなかったわよね。となると、また違うもの? シルキー、なにか分かる?」
「さあ、わたくしにも皆目……」
シルキーも首をひねり、ニーナは唸った。
場所を変えたところ新たな情報を得ることができたが、相変わらずどれも具体性に欠けた。実際の目撃談なのだから、もっと詳細が見えてもよさそうなのだが、これがトロールの限界なのかもしれない。
「ハルバラドは爆弾以外にもなにか隠し持ってるのかしら」
「一度、砦に戻ってみますか? あそこならハルバラド兵がたくさんおりますし、もっとなにか分かるかもしれません」
シルキーの提案に、ニーナは天上を見上げた。葉の間から見える空は鮮やかであり、日差しも真上から差していた。
「そうね。ちょうどいい具合にお昼どきだし、食事を貰いながら聞いてみるのもよさそう」
言いながら、ニーナは座っていた地べたから立ち上がった。
「話を聞かせてくれてありがとう。またなにかあれば来るわ」
協力してくれたトロールにニーナは手を振り、シルキーは礼儀正しく頭を下げてから、二人は揃って地面を蹴った。
ほどなく帰り着いた砦ではちょうど、兵達が昼休みをとっていた。食事時の喧騒と、食欲をそそる匂いが陣内を満たしている。そんな中で、ニーナは昨日まで置かれていなかったはずのものを塀の近くに見つけ、口を開けて立ち尽くした。
「……鉄の筒ね」
「……鉄の筒ですね」
他になんとも言えず、二人は黙って、並ぶそれらを見据えた。食事をしながらハルバラド兵から話を聞くつもりだったが、その必要もなくなったようだ。
砦の出口に近い塀の前に、人の身長は超えるだろうほど大きい鉄の筒が並んでいた。筒は片方の端に蓋がされており、蓋のない方に向けてやや細くなっている。黒光りするそれが、金属で補強された木の土台に固定され、土台の左右には太い車輪がついていた。
「ニーナ」
筒をつぶさに見ていると、後ろから呼ばわる声がしたが、ニーナは振り返らなかった。ニーナが反応しなくても、声の主は勝手にそばまでやって来る。
「戻っていたのか。朝からどこへ出かけていたんだ」
ニーナは答えなかった。代わりに、たった一言だけ発した。
「これはなに?」
エリヤは一瞬訝しんだが、ニーナの視線の先に気付き、納得したようだった。
「これは大砲という、対トロール用の武器だ。これがあれば、剣を通さないトロールにも対抗できる」
「ふうん……」
エリヤの淀みない説明に、ニーナは声を低くする。
「エリヤ」
ニーナの短い呼びかけに、エリヤが隣で振り向く。長身な彼に、手の動きだけで屈むように示した。不審そうな顔を見せながらも、エリヤは腰を曲げてニーナに目の高さを合わせる。
次の瞬間、少女の右手が若者の左頬に叩きつけられた。突然の衝撃に、エリヤは仰け反って瞬いた。
「なっ、なんで」
「エリヤの馬鹿! もう知らない!」
泡を食うエリヤをこれでもかと怒鳴りつけ、ニーナは背中を向けた。
肩を怒らせてずんずん歩み去るニーナの後ろ姿をしばらく見詰めてから、シルキーは呆然とするエリヤへと視線を移した。
「今のは、エリヤ様が悪いです」
シルキーの呟きに、わけが分からないと言いたげにエリヤが振り向いた。しかし彼女はそれ以上はなにも言わずに、ニーナへと目を戻し、その後を追った。
取り残されたエリヤは、すぐには思考も行動もままならずに立ち尽くした。
(なんだったんだ、今のは……)
エリヤのなにに対してニーナが怒ったのか、さっぱり分からない。彼女の行動が理解しがたいことは珍しくないが、今回は特にそれを感じた。大変理不尽なような気もしながら、エリヤはじんと痛む頬に手を当てた。
「若君」
アーサーがエリヤに気付いて歩み寄って来た。エリヤが振り向くと、ハワード家の私兵隊長は眉をひそめた。
「頬が痛むのですか」
「いや、そういうわけでは」
なんとなく焦って、エリヤは顔に当てたままだった手を離した。すると、いつも冷静なアーサーが珍しく目を丸くした。
「どうしたんですか、それ」
アーサーの反応から、赤くなっているだろう頬を慌てて隠すように、エリヤはもう一度顔に手を当てた。体裁悪く目を逸らす若者に、アーサーはため息をついた。
「一体なにで、お嬢さんと揉めたんですか」
図星を指され、エリヤは気まずく口を歪めた。
「それが……どうしてニーナが怒ったのか分からないんだ」
「なにか鈍いことでも言ったんではないですか」
「これはなにかと聞かれたから、答えただけだったんだか」
目の前に並ぶ大砲を見ながらエリヤが言えば、アーサーも唸った。
「ご婦人というのは、男には理解しがたいことで怒り出すこともありますからな。若の言い方で、なにか気に入らないことがあったのでしょう」
そうなのだろうかと、エリヤは真剣に考え込んだ。しかし考えて分かるものでもなく、エリヤは顔を上げた。
「どちらへ?」
突然歩き出したエリヤに、アーサーは不思議そうに問うて来た。エリヤは歩を緩めずに早口で答えた。
「ニーナのところへ行ってくる」
「また叩かれますよ」
「嫌われるよりましだ」
本気でそう考えながら、エリヤは少女がいるだろう天幕へ早足に向かった。
目的の天幕に着くと、黄色い髪の少女がちょうど出て来た。エリヤはすぐに、彼女へと駆け寄った。
「ニーナは中にいるか」
振り返ったシルキーはエリヤの顔を見上げ、複雑な笑みを見せた。
「いらっしゃいますよ。今は少し落ち着かれましたので、入っていただいて構いませんが、お気を付けください」
「分かっている。ありがとう」
短く返して、エリヤは天幕に踏み込んだ。
ニーナは、一番奥の寝床でこちらに背を向けて横たわっていた。エリヤが入って来たことには気づいていると思うが、微動だにせず、いかにも不機嫌な空気を醸している。入口で少しためらってから、エリヤは恐る恐るニーナに歩み寄った。敷布に広がるプラチナの髪と、少女の柔らかな腰の曲線が目に入り、やや鼓動が速くなる。
エリヤがすぐそばまで近寄っても少女は動く素振りを見せず、かたわらに座り込んでもまったく反応しなかった。
「……申しわけなかった」
なにを言ったらいいか分からないまま、エリヤは謝罪を口にした。だがすぐに返答はなく、どことなく気まずい空気が天幕に広がる。完全に無視されたのだと思い、エリヤがいたたまれない気分になっていると、不意に少女の声が鼓膜をかすめた。
「……なんで謝るのよ」
戸惑うエリヤの前で、ニーナは体勢はそのままに深く息を吐き出した。
「なんであんたが謝るの」
言いながらニーナはおもむろに上体を起こした。だかエリヤに背中を向けたままで、振り向こうとしない。うなだれた少女の背中を見ながら、エリヤは抑えた声で答えた。
「わたしはまた、君を怒らせることを言ってしまったようだから」
エリヤが素直に言うと、ニーナはまたため息をついた。
「あんたが謝ることじゃあないわ……叩いてごめんなさい。ただの八つ当たり」
ニーナから謝罪を聞くことになると思わず、エリヤは目を見開いた。
「……君は、なにをしようとしているんだ」
ずっと喉につかえていた問いをエリヤが吐き出すと、ニーナはようやくわずかに振り向いた。しかし彼女はなにも言わず、再び沈黙が訪れる。まずいことを聞いただろうかとエリヤが危ぶんでいると、長い間を置いてやっとニーナは口を利いた。
「多分、あたしだからできること」
呟くように言って、ニーナはエリヤに向き直った。
「でも、本当はあたし一人では無理なのかもしれない……ううん、無理なのよ。それでも他人には頼れない。自分で気付いて貰わないと」
エリヤはニーナの琥珀の瞳を見詰めた。その底にあるのは、強い意志。
「わたしにも、頼っては貰えないのか」
ふと、ニーナが小さく笑んだ。それが寂しげに見えたのは、気のせいではないだろう。
「そうね。それじゃあ今すぐトロール討伐なんかやめて、ディーリアに帰って」
「それは……」
「無理よね。分かってる」
エリヤが口をつぐむと、ニーナは表情を崩した。
「そんな顔しないでよ。本当に馬鹿なんだから」
苦笑いしながら、ニーナは寝床から立ち上がった。
「この話はもうおしまい。お昼食べに行きましょう」
いつもの調子に戻って、ニーナは天幕の出口に足を向けた。少女が横を通り過ぎる瞬間、エリヤは素早く立ち上がり、彼女を後ろから抱き締めた。
「そんなにわたしは頼りないか?」
驚いた少女の強張りが、腕に伝わって来た。そしてエリヤ自身も、自分の行動に驚いていた。感情の波が押し寄せ、せき止め切れずに溢れる。
「わたしとて、男で騎士だ。少しでも君の力になりたい――君を守りたいんだ。そう考えることが馬鹿だというのなら、それでも構わない。だから教えて欲しい。どうしたら君は、わたしを頼ってくれる」
自身の心臓の音が、耳の中でやかましくなっているのをエリヤは意識した。
ニーナが抱えるものを、エリヤは知らない。少なくとも、レイモンド王が彼女に託すと言っていた以上、それは一国の王ですら負い切れなかったものだ。腕の中の少女はこんなにもちっぽけだと言うのに、その背に余るものを彼女が背負っているとしか、エリヤには思えなかった。だからこそ、ニーナを助けたいと願ってやまないのだか、彼女がそれをさせてくれないのでは、どうしたらいいか分からない。
緊張の間の後で、ニーナがぽつりと呟いた。
「エリヤが騎士である限り、あたしはあんたに頼れない……ごめん」
最後の言葉と共に、ニーナはそっとエリヤの腕をはずした。そして今度こそ、彼女は天幕を出て行った。一人になったエリヤは、空になった自分の腕を静かに見下ろし、無力感に顔を覆った。





