14 憂鬱
ニーナについての諸々はなにも解決せず、むしろ気がかりが増えてしまったエリヤだったが、それで揺らぐほど彼の決意は生半可ではなかった。親しい者への挨拶もそこそこに済ませ、出立の日までは入念な準備に時間を費やす。
それはトロール討伐に志願したその他の貴族の子弟もほぼ同様であり、家ごとに擁立された騎士の宣伝合戦は日毎に盛り上がりを見せた。毎夜、討伐騎士を激励する宴会がどこかしらで開かれ、騎士達は雄姿を披露しては、英雄となる誓いを形ばかりでも人々の前に立てて行く。
その夜に王宮で開かれた宴会は、ディーリア国王の名の下に旅立つ騎士全員を招いたものだった。王の号令による大規模な宴会であり、大広間奥の一段高くなった場所に据えられた席には、レイモンド王本人の姿もある。派手やかに盛装した騎士達は、順に宴の輪から抜けては、王への挨拶を欠かさなかった。
その中にはもちろんエリヤの姿もあった。彼の装いは他の騎士と並べば比較的地味なものだったが、緑の地に銀の裏打ちのされたマントはベロニカが兄の為に特別にあつらえたものだった。そのマントを翻し、エリヤは人混みから抜け出てレイモンド王の前に膝を突いた。
「フォルワース伯爵オーガスト・ハワードの長子エリヤ・ハワードです。陛下におかれましては……」
「ああ、そんな事はいい、エリヤ・ハワード」
エリヤがお決まりの世辞を述べようとしたところで、それまで少しばかり退屈げに座っているだけだった王が急に話しかけて来た。今までにそんなことはなく、エリヤは驚いて顔を上げた。王は軽く息を吐き、疲れをにじませてこちらを見た。
「君に、少し話しておきたいことがある。あとでわたしの執務室まで来てもらえるか」
エリヤは一瞬呆然としてから、慌てて顔を伏せた。
「かしこまりました」
「……うむ」
王は唸ると、満足したのか席を立った。彼はそのまま宴もたけなわな大広間さえも退出してしまう。王の様子を妙に思い、エリヤは首をひねりながら人の波の中へと舞い戻った。
この宴において主役である討伐騎士は格好の見世物だった。押し寄せる人の多さに愛想笑いも使い果たし、うんざりしたエリヤは、年若い令嬢と談笑していたニコラスを捕まえて壁際へ避難した。
「ひどいなエリヤ。せっかく麗しい女性との会話を楽しんでいたのに、それを邪魔するなんて」
ニコラスは非難がましく言ったが、これくらいで彼が機嫌を損ねないことを、エリヤは分かっていた。
「今日の主役は討伐騎士なんだろう。少しくらい、わたしに付き合え」
「やれやれ。当の主役が言うのでは仕方ないな」
ニコラスは肩をすくめてから、聞く態勢になった。
「それで、討伐騎士殿は何がそんなに気に入らないんだ」
腕を組んで、エリヤは柱にもたれた。
「全部だよ。ここ毎日宴会ばかりで、あまりも能天気過ぎるんではないか。こうしている間にも、南では人々がトロールの脅威にされされているっていうのに」
「そうぼやくなよ。皆、名を売るのに必死なんだ。君にだって必要なことのはずだ」
ニコラスの諭すような視線に、エリヤは眉をひそめた。
「君も次期伯爵の自覚を持てと言うんだろう。これで名を高く売ることができれば、伯爵を継いだあとにも優位に働く。そんなことは分かっている」
貴族的な考え方を頭で理解していても、気持ちが伴って来ないのがエリヤだった。それはニコラスが知る限り昔から変わらないことであり、過去にも繰り返されて来た愚痴に思わず苦笑する。
「現実がちゃんと見えているなら、わたしは何も言わないさ。三日後にはいやでも送り出されるのだ。出発してしまえばこんな時間は持てなくなる。楽しむなら今の内だぞ」
言いながらニコラスは杯を勧めたが、エリヤは断った。それでも尽きぬ上機嫌で、男爵は杯を傾けた。
「そういえば、陛下と何を話していたのだ。君と話してすぐに陛下は退出されてしまったようだが」
エリヤは少し唸ってから答えた。
「あとで執務室に来るよう言われたんだ」
予想外の答えだったらしく、ニコラスが目を見張った。
「陛下直々のお呼び出しとは、出世したな」
「話したいことがあると言っていた。内容は分からないが」
「心当たりは?」
エリヤは少し考えてみたが、これというものは思いつかなかった。
「さっぱり分からないな。強いて言うなら、今度のトロール討伐のことくらいか。これだけで、二度も叩かれたし」
「なんだそれは」
痛みがぶり返すような気がして、エリヤは頬をこすった。
「始めにベロニカに、なにを考えているんだと叩かれて。その後はニーナに馬鹿だと叩かれた」
「ニーナ嬢に会えたのか」
びっくりした顔をするニコラスを一瞥して、エリヤは極力平静に言った。
「会ったよ、一度だけ。どこで討伐騎士のことを知ったのか、やって来るなりいきなり顔を引っ叩いて、馬鹿だ馬鹿だと散々罵倒して帰って行った」
「それで君は、やられっぱなしで終わったのか」
「言いたいことだけまくし立てて、わたしが口を挟む余裕もなかった」
光景を想像し、ニコラスは破顔した。
「相変わらずだな。まあ、理由はどうであれ、顔を見せてくれたということは、嫌われたわけではなかったのだろう。よかったじゃないか」
「どうだかなあ」
急襲としか言えない訪問と、激高した少女の形相を思い出すと、よかったと言っていいものかエリヤには分からなかった。
ニコラスが令嬢と会話の続きをするために去ると、エリヤは再び人に取り巻かれる前に広間の脱出を試みた。話しかけて来るものをにこやかにかわし、ようやく大広間から出たエリヤは、どこであっても灯りの絶やされることのない王宮通路でため息をついた。
人のひしめく大広間の外は、同じ王宮内でありながら不思議とひっそりとした雰囲気があった。宴会の喧騒を扉の向こうに聞きながら、ふと薄ら寂しさが胸の内に忍び込んで来る。社交界にデビューしたばかりの頃には、度々こうして夜会を抜け出していたことを、エリヤはぼんやり思い出した。
錯綜する無数の思惑に絡め取られ、息苦しささえ感じながら、エリヤは自分に振られた役割を必死に演じて来た。次期伯爵として身の振り方を模索し、学んできたが、いまだにこうして逃げ出してしまうのは、自分の弱さであり、わがままなのだろう。やはり自分には向いていないと、どんなに思っても、エリヤの周りはそれを許しはしない。
近頃、感傷的になりやすくなっており、これではいけないとエリヤは頭を振った。そして、そろそろ頃合いだろうと思い、王宮中央の塔へと足を向けた。





