6 再燃
少女達は花を見ながら、なにごとか語らっている様子だった。だが、黄色い髪の少女が、エリヤ達に気付いた様子でちらとだけこちらに視線を向ける。彼女は腰を屈めると、花壇の横にしゃがみ込んでいる少女になにか耳打ちしたようだった。座っていた少女は立ち上がり、二人はエリヤ達に背中を向けて歩き出した。
エリヤは反射的に中庭へと踏み込み、少女の背中に向けて手を伸ばした。
「待って! 待ってくれ!」
叫ぶように呼び止めると、プラチナの髪の少女が驚いたように振り向いた。大きく見張られた琥珀色の目が、真っ直ぐにエリヤをとらえる。それを見つめ返しながら、エリヤは胸の高鳴りが抑えられなかった。
「……エリヤ」
少女が呟いた瞬間、エリヤは駆け出していた。早く彼女のもとに辿り着かなければ、また目の前から消えてしまう気がした。
「ニーナ!」
呼びかけただけで、胸に切なさが押し寄せた。もう手を伸ばせば届く距離。だがその時、エリヤの前に黄色い髪の少女が割って入った。立ち止まったエリヤを、彼女は表情を消して見据える。その瞳が不思議な輝きを持つ青紫色で、エリヤは息をのんだ。
不意に、立ち尽くすエリヤの背中を叩く者がいて、彼は現実に引き戻されるように首を振り向けた。背中を叩いたのは、慌てて追い付いて来たらしいヘンリーだった。
「エリヤ、知り合いなのか」
「あ……ああ」
ヘンリーの瞳にあるのは好奇心であり、エリヤは急に気まずい心地で少女達に目を戻した。だがプラチナの髪の少女も、それで我に返ったようだった。彼女は目の前の少女の肩に手を置いて囁いた。
「シルキー、先に戻っていて。あたしは彼と話すことがある」
シルキーと呼ばれた少女は振り向きながら、渋る様子を見せた。
「ですが……」
「大丈夫。少しだけ話して、すぐに戻るから。長居するつもりはないわ」
少女達はしばらく視線を交わしていたが、結局シルキーが折れた。
「……かしこまりました。できるだけ早くお戻りくださいね」
「ええ。分かってる」
シルキーはもう一度エリヤの方を見ると、会釈し、エリヤ達が来たのとは逆方向に歩み去って行った。その姿が見えなくなるまで見送ると、ニーナはエリヤに向き直った。彼女は真っ直ぐにエリヤと目を合わせた。
「久しぶり。あんたが宮廷に出入りする人間なら、その内会うのではないかと思ってたわ」
エリヤは深呼吸し、湧き上がった様々な感情や衝動をどうにか抑え込んだ。
「わたしは、もう会えないと思っていた。なぜ君がここにいるんだ。あれほど探して見つからなかったのに……わたしは、夢でも見ているのか」
ニーナは目を細めて薄っすら微笑んだ。
「もう一度会ったら、謝ろうと思ってたの。たくさん助けてもらったのに、あんな出て行き方をしてしまったから……ごめんなさい」
ニーナの謝罪に、エリヤはどうしてか苦い気持ちになった。
「いや、いいんだ。そんなことは……」
抑えがきかない思いで胸がいっぱいになってしまい、エリヤはそれ以上言葉が続かなかった。彼女に聞きたいことや伝えたいことはいくらでもあるはずなのだが、なに一つ上手く出て来ない。沈黙に耐えかねて、エリヤはなんとか言葉を絞り出そうとしたが、ニーナが先に口を利いた。
「ねえ、エリヤ。今夜、時間を作れる? できればゆっくり話がしたい」
「今夜?」
エリヤは慌てて、今日の予定について記憶を探った。
「今夜なら、空いているはずだが……」
「それじゃあ、デアベリーのハワード邸にいるわね。窓の鍵を開けて、部屋で待ってて」
「ちょっと待て」
ニーナの指示に、エリヤは動揺した。
「まさか、来るつもりなのか」
「迷惑だった?」
少女の見上げる眼差しに、思わず言葉に詰まる。
「そういうわけではないが……」
「そう。よかった」
ニーナがほっとしたように表情を綻ばせ、エリヤは慣れない表情にどぎまぎした。以前にはあった棘がなくなっている感じが、かえって彼を狼狽させる。喜ばしい変化ではあるのだろうが、離れている間になにがここまで彼女を軟化させたのか、エリヤも話を聞いてみたい気がした。
「日が落ちたら行くから、忘れずに窓の鍵を開けて待っていて」
微笑んだままニーナが言い、エリヤは冷静さを失って頷いていた。
「分かった。待っているよ」
エリヤの答えにニーナは満足げな顔を見せると、彼の後ろに視線を向けた。
「そこのあなた。申し訳ないけど、このことは他言無用でお願いするわ」
釘を刺すように言われたヘンリーが少したじろいだのが、エリヤにも伝わって来た。ニーナはエリヤに視線を戻した。
「それじゃあ、また夜に」
「……ああ」
エリヤが返事を返すと、ニーナはもう一度笑顔を閃かせて背中を向けた。そのまま彼女は後ろ髪引かれる様子もなく、庭の向こうへと駆け去った。そのプラチナ色の後ろ姿を、エリヤは現実感なく見送った。
エリヤが自失して立ち尽くしていると、突然後ろから肩をつかまれた。力尽くで体を反転させられ、色めき立ったヘンリーの指が鼻先に突き付けられる。
「エリヤ、わたしは聞いていないぞ。いつの間に恋人がいたんだ。しかも白金姫だと? どうしてなにも言わなかった」
エリヤは詰問にひるんだが、両手をかざしてなんとかヘンリーを離れさせた。
「わたしも知らなかったんだ。まさか、彼女が宮廷にいるなんて。あと、彼女は恋人ではない」
「夜に会う約束をするなんて、恋人でなくなんだと言うんだ」
「なんだと言われても……わたしもよく分からないんだが」
ヘンリーに胡乱な目を向けられ、エリヤはどう答えたもの分からず頬を掻いた。
ニーナが失踪する直前、エリヤは彼女に思いを伝えたが、はっきりと断られている。今更、なにかありえるのか。そうは思っても、先ほどの彼女の様子を思い出すと、どこか期待してしまう自分がいるのも確かだった。
どちらにしても根掘り葉掘り聞かれるのはありがたいことではなく、エリヤは逃げるように中庭から柱廊へ駆け戻った。エリヤのあからさまな逃走を許すまいと、ヘンリーはそれ追い駆ける。
「待てエリヤ。まだ話は終わっていない」
「後にしてくれ。急がないと、もう交代時間だ」
実際その通りで、ヘンリーはむっと口を引き結んだ。
「後で絶対に話して貰うからな。逃げるなよ」
ヘンリーは意地になっていたが、エリヤは返答を保留し、二人は駆け足で持ち場へ向かった。
その間、エリヤの胸はすでに今日の夜へと思いを馳せていた。それは喜びが大きい反面、戸惑いも伴うものだった。というのも、エリヤは少女との再会だけで相当舞い上がっていた。そんな自分の理性が、彼女と二人切りになった時にどの程度強固なものなのか、彼自身にも皆目分からないのだった。
それでも、久方振りに彼女と過ごす時間が楽しみでならないのは、揺るぎなかった。





