30話 ファイウス
授業も終わったので帰り支度をしていると、ファイウスが近付いてきた。
「クルミ様、少しよいか?」
「どうしたんですか?」
ファイウスは周囲を警戒するように見回してから、クルミに顔を寄せ囁いた。
「実は、ロータスのことで少し気になることがあるのです」
「えっ」
「陛下にお話しする前に、クルミ様に確認していただきたいのだ」
「なんですか?」
「ここは人が多い。聞かれたくないので部屋を移動しましょう」
クルミは考えるまでもなく頷いた。
シオンを呪い、その呪いを返したことで意識不明状態に陥ったロータス。
意識がない故に動機も分からないままでいる。
ファイウスが何を話したいのか分からないが、真実に少しは近付けるかもしれない。
ファイウスについて移動したのは、校舎の中にある倉庫のような場所だった。
何故か足下には何やら文字の書かれた紙が床を隠すほどに散乱していて、足の置き場に困った。
けれど、ファイウスはそんな紙など目に入らぬようにずかずか靴で踏んづけているので、きっと重要な書類ではないのだろう。
片づければいいのに、ここはなんの部屋なのだろうか。
周囲に人の気配もない上に薄暗く、幽霊でも出てきそうな雰囲気に、クルミは少し怯える。
「ファイウスさん、なにもこんなおどろおどろしい場所じゃなくても話のできるとこがあるんじゃないですか?」
それこそ人のいない教室でも話はできるはずだ。
「……いや、ここでなくてはならないのだよ」
クルミに背を向けるファイウスがゆっくりと振り返る、その目はひどく冷たかった。
「ファイウスさん?」
何か様子がおかしい。
いつも穏やかな笑みを絶やさぬファイウスが、能面のように感情を失った顔をしておりクルミを見ていた。
急激に襲ってくる警戒信号。ここにいては駄目だとクルミの勘が訴える。
ここから出ようと踵を返す返そうとした時、クルミの足下の床が光った。
いや、正確には床に散らばった紙が、である。
それはクルミを囲むように魔法陣を形成していく。
瞬時に魔法陣を読み解いたクルミは、これが呪いであることを悟ると、胸ポケットに差していたペンで文字を書き加えた。
とっさの判断だったが、それにより魔法陣は発動する前に光を失い、部屋の中は再び薄暗さが戻る。
激しく打つ鼓動を感じながら、クルミは信じられないような気持ちでファイウスを見た。
「ファイウスさん……」
ファイウスは憎々しげにクルミを睨みつけた。
「なんのつもりですか! 今の呪いですよね? あなたが仕掛けたんですか?」
ファイウスは微動だにすることなく口だけを動かした。
「お前が邪魔なのだよ」
「はぁ? 意味が分からない」
ファイウスに邪魔だと思われる覚えなど一つもない。
「お前のせいでせっかくアスターにかけた呪いが解呪されてしまった。あれを発動させるために私がどれだけの準備と犠牲を必要としたか。やっと陛下の苦しむ顔が見られると楽しみにしていたのに。それだけではない。陛下の呪いまで解いてしまって、本当に忌々しい女だ」
淡々と語るファイウスの声はひどく冷めていて、ぞくりとしたものを感じる。
だが、そんなことより重要なその内容。
「呪いをかけたって……。あんたがシオンやオカンに呪いをかけたって言うの!?」
すると、ファイウスはニタリと不気味に笑った。
「そうだ、その通りだ! 私が呪ったのだ。あの簒奪者に鉄槌を下すために。そして、私の愛しい娘を皇帝の座に座らせるために」
「はっ!? 娘?」
「そうだ、私とアサリナの娘、ユリアーナを」
情報量が過多で頭が痛くなってきた。だが、これだけは言わなくては。
「ユリアーナちゃんはあなたの娘じゃないでしょうが!」
クルミとて疑ったことがあったが、シオンが否定していた。
ユリアーナの父親は、アサリナが側妃になる前から恋人だった庭師の男だと。
精霊から聞いたと言っていたので、それは間違いない。ファイウスが父親であるはずがないのだ。
それなのに、ファイウスは皮肉っぽくクルミに話す。
「知らないのだな。それはそうだ。アサリナとの逢瀬は私達だけの秘密の時間だったのだから」
待て待て待てと、ツッコミを入れたかったがファイウスは止まらない。
「愛しいアサリナを不当に奪い去った前皇帝をどれだけ憎んだか。アサリナの息子が皇帝となり、これでやっとアサリナは解放され私の元に返ってくると思ったのに、あろうことかその息子はアサリナを隔離してしまった。かわいそうな私のアサリナ。だが、私達の間にはユリアーナという愛の結晶が生まれた。彼女こそが皇帝に相応しい」
どうやらアサリナとは、ファイウスがユリアーナを娘と勘違いするような関係だったよう。
クルミが持った疑惑もあながち間違っていなかったということだ。
まるで自分に陶酔しているように語るファイウスの言葉を嫌でも聞かされる。
「……だが、あの子は病気を患っていた。医者ですら治せないその病に私がどれだけ胸を痛ませたか。けれど、あの子の病が治った今、あの子を皇帝の椅子に座らせる時が来たのだ」
だからシオンが呪いを受けたのが今だったのかと、クルミは納得する。
これまでは魔力過多症により病弱だったユリアーナは、クルミが使い魔を与えたことで健康になった。
熱も出なくなり、元気に庭を駆け回れるほどに体力も付いた。
「お前には感謝している。我が子を治してくれたことを。だが、ユリアーナを皇帝にするためにお前は邪魔なのだ。お前がいては陛下を呪い殺すことができないからな」
「……それだったら、一瞬で殺す方法だってあったはずでしょう? なのにどうしてわざわざ苦しめるような呪いをかけたの?」
まるで苦しんでいるのを嘲笑うかのように、時間をかけていた。
けれど、そのおかげでクルミが解呪する時間があったのも確かだ。
すぐに殺していれば、クルミが手を出す前に確実にシオンを殺せていただろうに。
「アサリナを苦しめた報いを受けさせるためだ。そして、私達を引き離した父親への恨みを子に償わせただけのこと」
「オカンは関係なかったでしょう!」
「陛下はアスターをことのほか寵愛していたからな。あれが死ねばそれはもう死ぬより苦しんだことだろう」
くくくっと歪んだ笑い声を上げるファイウスは、まともな精神状態じゃないと感じる。
「だが、それはお前も同じ」
ギロリとクルミを見据える。
「呪い殺すのに邪魔であることは勿論だが、それ以上にお前が死ねば陛下は嘆き悲しむだろう。アサリナを奪われた私の痛みを少しは分かることに感謝してもらわねば」
「感謝なんてするわけないでしょう! そんなくだらない理由だったなんて。……って、ロータスはどうなの!? 最初にシオンを呪ったのはロータスで間違いなかった。ロータスも共犯ということ?」
「ああ、あの役立たずのことか」
「役立たずって……」
「役立たずであろう。私の期待に応えるどころか、あの程度の呪い返しに対処することもできず、呪いを受けてしまうとは。まあ、あれはお前にちょっとしたいたずらを仕掛けたつもりでいたんだがな」
「どういうこと?」
ファイウスの口ぶりでは、シオンを呪っているつもりではなかったように聞こえる。
「ロータスの前でお前のことを大層褒めたらプライドが刺激されたようでな。ライバル意識を強く持つようになったのだよ。だが、根は真面目故、お前の授業を聞いて見聞を広めようと努力していたが、授業を受ければ受けるほど自信を喪失していったのでな、こう囁いてやった。あの娘に呪術を使ってみて驚かせたらどうだと。自分も負けていないことを示したら、あの娘もお前のことを見直すのではないかと」
「なっ、なんてことを……」
それ以上の言葉をなくしているクルミに向かって、ファイウスは嘲笑う。
「そうして教えてやった呪いが、まさか陛下を呪っているとは露ほども知らずに、本当に滑稽だった。そしてあの程度の魔法陣を読み解くこともできぬ無能でもあったな。あれで私と同じ魔法師だというのだから、消えてくれて清々するというものだ」
ファイウスの耳障りな笑い声が響く。
つまりロータスは利用されたということ。
「ロータスのところから出てきた証拠は? それに、あなたはロータスの減罰に動いていたじゃない」
「当然、証拠は私があらかじめ仕掛けておいたものだ。あの子を献身的に看護することで、疑いの目を私から避けさせるためにひと芝居打ったに過ぎない。あんな無能、私が心配する価値などないからな」
「腐ってる。人としてクズよ!」
クルミの精一杯の罵声を浴びせるが、ファイウスには微塵も効いていない。
「くくくっ、それがどうした。愛する我が子のためなら悪魔ともなろう。さあ、話は終わりだ。お前には死んでもらわねばならない。ユリアーナのために」
「ユリアーナちゃんを引き合いに出すんじゃないわよ! あんたの逆恨みと自己満足のためじゃない!」
ユリアーナは、きっと自分が理由にされていることを知らない。そもそもユリアーナは皇帝になんてなりたいと思ってすらいないだろうに。
それに、ユリアーナが前皇帝の娘でないことは一部の者には知られていることだとシオンが言っていたので、シオンが死んだところでユリアーナを皇帝にすることなどできるはずがないのだ。
それが分からぬ馬鹿ではないだろうに。いや、こんなことをしでかしている時点で馬鹿かもしれない。
馬鹿の言葉では片付けられないほどの愚か者だ。




