24話 エビネの謝罪
伸ばし伸ばしになっていたロータスの判決が確定した。
本来なら皇帝に危害を加えたと分かった時点で速やかに斬首されるところだったのを、ファイウスがなんとか引き延ばしていたのだ。
そして、異例ながら、ロータスはこのまま監視付きで隔離されることとなった。
それはロータスが意識不明により話を聞けておらず、背後関係が分からないために調査は続けられるからだ。
万が一目を覚ますことがあったら、その時は厳しい取り調べが行われることになる。
だが、それが難しいことは呪術をよく知るクルミが誰よりも理解していた。
恐らくロータスは、このまま目覚めることなく儚くなってしまうだろう。
仲は良くなかったが、毎日のように顔を合わせていた人物がそういう状況となるのはなんともやるせない。
いったいどうしてシオンを狙ったのか、それだけでも知りたいが、このまま闇に葬られるかもしれないと、クルミは複雑な気持ちになった。
調査は続くが、クルミがすべきことはこれ以上ないので、いつも通りの生活へと戻った。
何日かぶり学校へとやって来たクルミの目に入ってきたのは、憔悴した様子のファイウス。
職員室内の空気もどことなく暗く感じるが、その原因は聞かなくても分かる。
「大丈夫ですか? ファイウスさん」
「ああ、クルミ様。いや、大丈夫です。お恥ずかしいですな、娘のように年下の方に心配されるなど」
「悲しむことに年齢なんて関係ないでしょう? 彼の看病で付きっきりだったそうじゃないですか。必要なら私が授業交代しますよ? 休んでください」
「いやいや、そこまで甘えるわけにはいきません。これでも国に仕える魔法師。私情を挟んで役目をおろそかにはできませぬ」
その考えは尊敬するが、こんな時ばかりは休めば良いのにと思う。
だが、ファイウスとしても魔法師の矜持があるのだろう。それをクルミがどうこう言えるはずもない。
「代わりが必要だったらいつでも言ってくださいね」
「ありがとうございます、クルミ様。……そうそう、クルミ様に渡すものがあったのだった」
ファイウスは「どこにしまったのだったか……」と言いながら、服のポケットやら机の上やらを探し出した。
「あったあった。これだ」
ファイウスはようやく見つけた可愛らしいピンク色の封筒をクルミへと渡す。
「なんですか、これ?」
「ユリアーナ様からの招待状ですよ。エビネ殿から預かりましてな」
「エビネさんから?」
「ええ。宮殿でクルミという女性を探し回っていたところに遭遇して、特徴を聞いてクルミ様のことだろうと、そのまま手紙を預かってきたのですよ。ユリアーナ様の女官が宮殿内で陛下のお妃に直接会って渡すのは難しかろうと思ったので」
クルミは頬を引き攣らせる。
「もしかして、エビネさんに私がシオンの妃だって言っちゃいました?」
「ええ。なんか問題がありましたかな? そういえばエビネもそれを聞いて驚いていたようだが、エビネは知らなかったのですか?」
クルミはこめかみを押さえた。
とうとう知られてしまった。できれば自分の口から言いたかったのに、やはりもっと早くに告げておくべきだったのだ。
「余計なことをしましたかな?」
申し訳なさそうにするファイウスに首を振る。
「そんなことないです。ありがとうございます。きっとエビネさんも私を見つけられず困っていたでしょうから」
クルミがにこりと微笑めば、ファイウスもほっとしたようにする。
「それならば良かった。お茶会には私も招待されておるのですよ」
同じピンク色の招待状を見せるファイウスは、とても穏やかな顔をしていた。
それに驚いたのはクルミで、目を丸くした。
「ファイウスさんはユリアーナちゃんとは面識が?」
ユリアーナはその出生からシオンから冷遇されている。
いや、冷遇とは少し言い過ぎか。シオンは興味がないだけなのだ。
けれど、ちゃんとユリアーナを医師に診せたり、必要最低限のことはしている。
姫ではないユリアーナを宮殿内で不自由なく世話をしているだけまだましだろう。
母親であるアサリナが不義密通をさえしなければ、あんな森の奥に閉じ込められるように暮らすこともなかった。
それで言えば、母親の業がユリアーナをあのような環境に置いてしまった。
ユリアーナは何も悪くはないのに。
「ユリアーナ様と言うよりは、母君のアサリナ様と古くからの付き合いでしてな。それこそ彼女の子供時代から知ってますよ」
「へぇ、そうなんですか」
「アサリナ様が今の場所に移動してからも、ちょくちょく様子を見に行っておるのですよ。ユリアーナ様のご病気も心配でしたからな。クルミ様のおかげで、元気に走り回っているユリアーナ様を見ると嬉しくなりますよ」
目を細めて笑うファイウスのその瞳はとても優しく、親しげな関係であることが分かる。
「ファイウスはんは姫さんと同じピンク色の瞳をしとるんやなぁ」
「……ははっ、そう言われてみればそうですな」
ナズナの言葉に笑って応えるファイウス。
なんだろうか。今一瞬、緊張感を与える沈黙があった気がする。
同じピンク色の瞳。そして、不義を働いたアサリナ。そして、そんなアサリナと仲の良いファイウス。
いや、まさか。そう、まさかだ。
頭の中に浮かんだ考えを振り払うように首を横に振り、その日は学校で授業を行った。
そして、ユリアーナが指定したお茶会の日がやって来ると、クルミは朝からキッチンへと乗り込んだ。
実はユリアーナの招待状が届いてすぐにキッチンを訪れ、料理長にたくさんのお菓子や軽食を作ってくれるようお願いしていたのである。
快く了承してくれた料理長は、他の料理人達と共に、女の子が好きそうな彩りの良い可愛らしいお菓子を量産してくれた。
作りすぎてはないかと思ったが、残りは宮殿で働く者のおやつになるらしい。
なので、後処理のことは気にせず好きなだけ持って行ってくれと言うので、遠慮なく片っ端から空間の中に収納していく。
きっとユリアーナも喜んでくれるだろうと、クルミもウキウキしながら準備をする。
ナズナだけを連れてユリアーナのいる邸宅へ向かえば、すでにエビネが庭で準備をしていた。
テーブルと人数分の椅子。これを一人で運んで来るのはきっと大変だったろう。
もう少し早く来るべきだった。
「エビネさん」
クルミが声をかけ近付くと、振り返ったエビネがクルミの姿を捉え、慌てるようその場で土下座した。
スカートに土が付くのも構わないその行動にぎょっとするクルミ。
「エビネさん、どうしたんですか!? 汚れますよ、立って、立って」
立たせようとするも、エビネは一向に動かずクルミに向かって頭を下げたまま。
困惑するクルミにエビネは「申し訳ありません!」と大きな声を出す。
「まさかあなた様が陛下の唯一のお妃様とは存ぜず、大変失礼な態度を幾度も取ってしまいました。けれど、それは私めの罪。アサリナ様とユリアーナ様にはまったく関係のないことです。どうか、罰するのであれば私だけを罰してください!」
エビネが多大な誤解をしていることをこの時知る。
「いやいや、別にエビネさんは失礼なことなんてしてないでしょう?」
確かに最初こそ棘のある態度だったが、それはクルミが悪い。どこの誰かも名乗らず、勝手に敷地内に入ってきたのだから、エビネが警戒するのは当然だった。
そのことでクルミが怒っていることは一つもない。
「いいえ。私の言動は褒められたものではありませんでした」
「それはまあ、知らなかったわけですし、仕方ないんじゃないですか? 別に妃だからなんだって話しだし」
そもそもクルミに、皇帝の妃という意識はまったくない。
それなのに、偉そうにエビネを罰することなどどうしてできるだろうか。
「大昔のことなんて忘れて、今日のお茶会のことを考えましょう。私、たっくさんお菓子持ってきたんですから。ユリアーナちゃんがきっと喜びますよ」
「あ、ありがとうございます。なんと寛大なお方でしょうか」
何やら感激しているようだが、寛大などではない。
寛大な人間はきっと、シオンの呪いを取り除いた時に、返すことを提案したりはしないだろう。
自分は偽善者だ。クルミはそれを何より分かっていた。




