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20話 呪の精霊



 クルミは覚悟を決めたように一つ嘆息して、シオンから小瓶を取り戻した。



「ちなみに聞くけど、誰かに呪われるほど恨まれる覚えは?」


「ありすぎて誰か特定できないよ」


「……皇帝様も大変ね」



 しかもシオンは普通に皇帝になったわけではない。

 兄弟の起こした内乱からのたくさんの粛正の上で皇帝へと立った。恨んでいる者は腐るほどいる上、シオンに死んで欲しいと願っている者は、何も恨んでいる者だけとは限らない。

 誰かに死を願われる。それのなんと悲しいことか。


 クルミの前世もそうだった。

 決して恨まれていたわけではなかったが、死を望まれていた。生きていることを邪魔に思われていた。

 それを回避したくても、本人にはどうしようもできないことだってあるのだ。



「呪いを返す。それでいいのね?」



 クルミはもう一度確認するが、シオンの答えは変わらなかった。



「ああ、頼むよ。僕ができるならそうするんだけど……」


「止めておいた方がいいわ。知識のない人がそんなことをしたら命を縮めるだけよ」



 クルミは紙とペンで新しい魔法陣を書くと、その上に蓋を開けた小瓶を置き、魔力を流した。

 すると小瓶の中にいたものは、黒いもやとなってどこかへと消えていった。



「愛し子であるシオンなら、風の精霊に頼めばあの呪いの行き着く先が分かると思うわよ」


「分かった。頼めるかな、皆」

 


 すると、それまで姿が見えなかった精霊達がわらわらとシオンのそばにやって来る。



『はーい。僕が追っかけてくる~』



 そう言って、幾人かの精霊が消えていった。

 しかし、それ以外の精霊は残り、心配そうにシオンを窺っている。



『シオン大丈夫?』


『痛くない?』


「ああ、大丈夫だよ」



 シオンも精霊達には他では見せない優しい顔をする。

 その優しさをどうか他へも向けて欲しいと思うのはクルミだけではあるまい。

 それにしても……。



「ねえ、精霊であるあなた達なら、シオンの状態が呪いによるものだって分かったんじゃないの? どうしてそれを伝えないのよ。そうしたらこんなに悪化する前に私が対処できたのに」



 そう、他の者ならまだしも、シオンは愛し子だ。

 精霊ならば嬉々としてシオンのために動くだろうに、今回そうしなかった。

 何故なのかと疑問がクルミの中に残った。



『だってぇ、言ったら駄目だったから』


『駄目なの~』


「なんでよ?」


『面白くないからって』 


「面白くない?」



 ぴくりとクルミの眉が動く。

 


「誰が面白くないって?」


『言えない~』


「なんでよ」


『面白くなくなるから』


『命令だからシオンにも内緒なの~』



 その時、クルミの脳裏によぎるあの陰険野郎の顔。

 そんなまさかと思いつつ、精霊に命令できる存在は限られる。



「まさか、それ命じたの呪の精霊じゃないでしょうね? あいつなら言いそうだわ」



 すると、精霊達は『きゃー』と叫びながらどこかへと散っていった。

 クルミのこめかみに青筋が浮かぶ。



「適当に言ったのに、まじか。あいつ、もしかして今回の件に関わってたの? けど、それなら精霊が呪い返しの後を追うはずないから、シオンを呪ったのは人のはず……」



 ブツブツと呟くクルミにシオンが声をかける。



「クルミ、どういうこと? 呪の精霊ってのはなんだい?」

 


 クルミは考えるのを止めて、逆に問い返した。



「最高位の精霊は十二存在していると言われてるわ。二人はそれがどんな精霊か知ってる?」


「最高位精霊が十二いるのは当然知っているよ。火、風、水、地、樹、花、雷、闇、光、それから時と空間。後は……」



 十の精霊を答えたところで、シオンの声が止まる。

 それはアスターも同じで、残りの二精霊を答えることはなかった。



「そうなのよね。十二の最高位精霊とは言われてるけど、他の二精霊を言える人は少ないのよ」



 いや、少ないというよりはほぼいないと言った方が正しい。



「もしかして、さっき言っていた呪の精霊っていうのが?」



 察しの良いシオンはすぐに気が付いたようだ。



「そっ、残り二精霊の内の一人が呪の精霊。遙か昔、私の前世よりずっと昔に、人に呪術を伝えたのが呪の精霊と言われてるわ。魔女が使う魔法陣の基礎を教えたのも呪の精霊だった」


「そんなこと、愛し子である僕でも初めて聞いたよ」


「あの陰険は他の最高位精霊以上に人前に現れないからね。精霊もあいつのことを口にしないのが暗黙の了解と化してるから、前世でもあいつの存在を知っている人は私ぐらいだったかも。呪術が呪の精霊によって伝えられたこと自体、魔女にすら忘れ去られていたから」



 苦虫をかみつぶしたような顔をするクルミの言葉に含まれる気安さにシオンも気が付く。



「ずいぶんその呪の精霊を知っているような言い方だけど、知り合いなのかい? 友達とか?」


「ただの顔見知りよ。それ以上の関係になることは絶対にないから! あいつと友達!? 冗談でも言ってほしくないわ、鳥肌立っちゃったじゃない、シオンのアホ!」



 嘘ではなく、本気で鳥肌が立っていた。

 決してシオンのせいではないのだが、ただの八つ当たりである。

 


「そこまで嫌うって、呪の精霊と何かあったのかい?」


「ええ、話し出したらきりがないほどに。あの野郎、シオン以上に性格が悪くて、シオン以上にいじめっ子で、シオン以上に愉快犯で、シオン以上に陰険で、シオン以上に……」


「いや、いちいち僕と比べなくてもいいから」


「でも、オカンにはよく伝わったんじゃない? 奴の性格の悪さが」


「ああ。分かりやすいほどによく分かった」


「アスター、君ね……」



 シオンは呆れたようにアスターを見る。

 普段からシオンに困らされてる者同士、クルミの表現はストレートにアスターに理解された。



「まあ、あいつの性格の悪さはこの際置いとくとして、シオンが呪われたことに呪の精霊が関わっているのが気になるわ」


「まさかシオンを呪ったのが呪の精霊ってことは……」


「あー、それはないわ。あいつは愉快犯だけど、自分が手を下すのは嫌いなのよ。どっちかっていうと、誰かを誘導して騒ぎを起こしているのを後ろで嘲笑っているような嫌な奴だから。まさに、シオンと同類だわね」


「なるほど」


「なるほどじゃないよ、アスター。そこは否定すべきところだろう」



 シオンはあまりの遠慮のないクルミとアスターの会話にがっくりとしている。

 だが、嘘は一つも言っていない。



「そもそも、呪の精霊が本気だったら私でも解呪できないもの」 



 ならば何故、呪の精霊が関わってきたのか。それはクルミには分からない。

 ただ、楽しそうだから見ていただけならいいが、そうでないなら……。 



「とりあえず、シオンを呪ったのが誰か犯人を見つけてから考えましょう」


「そうだね。ここで話していても解決はしないし」



 こくりと頷いたシオンは何かを思い出したように「あっ」と声を上げた。 



「どうかした?」


「クルミ、ちょっと」



 シオンが手招きするので近付いていくと、不意に手を引かれ唇にチュッとキスをされる。

 固まるクルミにシオンは天使のような微笑みを浮かべた。



「治してくれたお礼だよ」


「…………」



 言葉もないクルミは、静かに空間の中に手を入れると、先程解呪した短剣とは違う、鋭利なナイフを取り出した。

 キラリと光る銀色の凶器。

 慌ててアスターがクルミを後ろから羽交い締めにする。



「お、落ち着け、クルミ! 気持ちは分かるがそれはマズい」


「離せ、オカン! 人の好意を無下にするこいつには一発かまさないと気がすまないぃ!」



 ぎゃあぎゃあとした騒ぎは、それからしばらく続いた。







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