17話 姿の見えないシオン
「やっと、自分の時間が取れるようになったぁ」
研究部屋でリラックスしているクルミ。
思わず零れ落ちた言葉に、ナズナも同意する。
「せやなー。ここ最近、主はん、殺人的なスケジュールしてたし。ブラック企業やでほんま」
昼間は学校で授業をし、放課後は教師達の特別授業を開催。部屋に戻ってからは生徒用と教師用の別々の課題を自作するという毎日。
お風呂に入る余裕もなく、浄化の魔法で済ませていた。
当然自分の研究をする時間などあるはずもなく、逃亡計画を練ろうと何度考えたことか。
だが、やっと中級編の魔法陣を教えるなら任せられるところまで教師を教育できたので、クルミはこれ幸いと任せて自分の時間を取り戻したのだ。
やっとひと息吐けたが、とりあえずだらけたい。
ソファーに寝そべりながら、料理人の焼いたクッキーをポリポリ食べる。
「時間ができるようになったのは良かったけど、結局ロータスには最後まで嫌われたままだったわね」
最初から敵意を持たれていたクルミ。
何故あそこまで嫌われたのかさっぱり分からないが、それでもロータスはクルミが行っていた特別授業には欠かさず参加していたのだ。
多少軟化するかと思いきや、日増しに目つきが悪くなっていった気がする。
「主はん、なんかしたんとちゃうん?」
「するもなにも、ほとんど会話してないわよ。私が話しかけても無視するし、向こうから質問がある時はわざわざ誰かを通して聞いてくるしさ。私が聞きたいわよ」
嫌われているが、教師に向けて行った試験ではロータスが一番良い点数を叩き出した。
飲み込みも早く、あの若さで皇帝が推し進める事業に抜擢されたのも納得だった。
クルミとしてはもっと交流を持って、他の人より徹底的に叩き込みたかったのだが、向こうが逃げるのだから仕方ない。
「まっ、後はシオンがなんとかするでしょ」
「他人任せやなぁ」
「もともと私がする仕事じゃないわよ。本来なら私がいない状況でヤダカインの力を借りて進めていくつもりだったんだから」
クルミというイレギュラーな存在が、事業を進める早さを加速させたことは間違いない。
ヤダカインの魔女にも教えたことで、ヤダカインにも大きな影響を与えることになっただろう。
「あっ」
突然声を上げたクルミにナズナが首をかしげる。
「どうしたんでっか?」
「ヤダカインの人達にヤダカインの国のこととか聞くの忘れてた」
なにせ魔法陣を教えることにばかり気が向かっていたので、ヤダカインのことはすっかりさっぱり頭の隅へと追いやられていたのだ。
「また話す機会はあるんちゃうの?」
「それもそうね」
すぐに気持ちを入れ替えて、次のクッキーへと手を伸ばす。
「そう言えば、最近見いひんな、あのお人」
「誰?」
「皇帝はんや」
「あー」
確かにと、ナズナに言われてから思い出す。
最近は忙しくてシオンと顔を合わせていないことを。
以前は無意味にこの部屋に訪れてはお茶をして帰っていっていたが、このところとんと見ない。
あのシオンなら、クルミをからかうために、それこそ学校にまで顔を出してきそうだというのにそれも一切なかった。
ひと段落して時間が取れるようになった今も、シオンが来る気配はない。
放っておいても無理矢理押し入ってくるのが常だったというのにだ。
「しゃーない。一応学校の状況報告はしとかないと駄目よね」
クルミが報告せずとも、他からシオンには詳細な状況が知らされていると思うが念のためだ。
クルミの視点からしか分からないこともあるだろう。
クルミは一旦、クッキーを空間の中に入れてからシオンの部屋を目指した。
だが、部屋の前で門前払いを食らうことに。
「えっ、なんで?」
「現在陛下はお風邪を召されており、黒猫様にうつしては大変ですので、今はお引き取り願いたいのです」
シオンの部屋の前で立つ兵士はそう申し訳なさそうに告げた。
「シオンが風邪?」
「はい」
「ひどいの?」
「いえ、決してそんなことは! ですが、念のために限られた者以外誰も通すなとのご命令でして……」
皇帝がそう命じた以上、兵士は従うしかない。
それをクルミが無理を通すわけにはいかないだろう。
「そうなんだ。じゃあ、シオンにお大事にって伝えといて」
「かしこまりました」
一礼する兵士を背にして、クルミは自分の部屋に戻ることにした。
そんなことがあってから数日。
さすがに治ったかとシオンの部屋に再び行ってみれば、未だ面会謝絶と言い渡された。
そんなに重篤なのかと心配になってくる。
「大丈夫なの?」
「えー、いえ、私は詳しく知りませんのでなんとも」
シオンの部屋の前を護るだけの兵士には中の状況は分からないようだ。
分かっているのは、ずっと部屋から出ていないということだけ。
「なら、オカン……じゃなくて、アスターには会える?」
「はい。あの方でしたら、今頃キッチンの方へ行っていらしたかと」
「ありがとう」
クルミは早速アスターを捕まえるべく、キッチンを目指した。
キッチンではちょうどアスターがお菓子を焼いているところだった。
軍服の上からフリルのエプロンをしているが、それは以前にシオンが贈ったものらしい。
絶対に嫌がらせだとクルミは思うが、アスターは密かに気に入っているようなのが幸いか。
「オカン」
クルミが声をかければ、アスターはにこやかに笑った。
「おー、クルミ。なんだか久しぶりな気がするな」
「ずっと部屋と学校の往復だったからね。それより、オカンさ、シオンのことなんだけど」
最後の部分、クルミは声を落とした。
シオンの病気が重篤な場合、こんな人がたくさんいるキッチンで話すことではないと判断したからだ。
アスターもクルミの意図をちゃんと理解しており、小さな声で「部屋で待ってろ」とだけ告げた。
言われるままに研究部屋で待っていると、しばらくしてエプロンを脱いだアスターがやって来た。
ちゃんとティーセットを持っている辺りがオカンらしい。
アスターは二人分のお茶を淹れて、自分とクルミの前に置くと、ソファーに座った。
向かい合わせで座るクルミとアスター。
ナズナは少し離れたた所から様子を窺っている。
「こうしてお茶をするのも久しぶりだな」
「確かに。やっぱりオカンの淹れるお茶が一番美味しい」
一口飲んでから感想を言えば、アスターも嬉しそうに顔をほころばせる。
「褒めても何も出ないぞ。あっ、いや、さっき焼いたマドレーヌがあるな。食うか?」
「勿論!」
焼いてすぐに空間に入れていたらしく、アスターが取り出したマドレーヌは焼きたての良い香りが漂ってくる。
クルミはハフハフしながらマドレーヌにかぶりついた。
「うまっ。さすがオカン」
「たくさん焼いたから、いくらでも食べていいぞ」
それなら遠慮なくと、ユリアーナの分まで空間へと納めた。
クルミがマドレーヌの美味しさにメロメロになっていると、ナズナからツッコミが入る。
「主はん、当初の目的忘れとるがな」
「あっ、そうだった」
記憶すら奪う魅惑のマドレーヌをとりあえず完食してから、アスターに問いかける。
「シオンが病気らしくて会えないんだけど、そんなに重病なの?」
すると、アスターは苦い顔を浮かべる。
「いや、あいつは元気だよ。今朝も朝食を完食した上に、お茶まで要求してきたからな。このマドレーヌもシオンの要求だ」
「それならなんで会えないの?」
「元気なのは元気なんだが……」
アスターは言葉を詰まらせる。
「オカン?」
「いや、その内会えるようになるから心配しないで待っていればいい」
そう言って、クルミの頭を優しくポンポンと撫でてから部屋を後にした。
部屋に残されたクルミは眉間にしわを寄せる。
「さっきのオカン、なんだか様子がおかしかったわよね」
「せやな。なんか元気なかった気がするわ」
「もしかして、シオンって相当ヤバい状況?」
あまり想像ができない。
それに、食欲はあるようなことをアスターも言っていたので、真実は定かでない。
「わいには分からんけど、嫌な感じはするなぁ」
「少し様子を見るか……」
心にモヤモヤとしたものが溜まっていくが、アスターの言うことを信じてしばらく様子を見ることにする。




