16話 教師
クルミの意思を置き去りに決まってしまった教師という役目。
シオンの妃として衣食住を贅沢させてもらっているので、賃金の代わりに働くと思えば文句はないのだが、なんだかなぁと思わなくもない。
そんなクルミの複雑な心境を無視して、できるだけ早く教えてほしいというファイウスの要望もあって、数日で準備が整ったわけだが、教えると言っても何を教えていいかも分からないクルミはすでに困っていた。
そもそも学校でどんなことを教えているのかも知らないのだから。
とりあえず学校で行われている授業を見学させてくれと要求し、その日の内にその願いは叶えられた。
学校は宮殿内の一角に専用の建物が存在しており、ここの生徒となるには厳しいいくつもの試験を合格しなければならない。
貴賤や、魔力の有無は問わずというお触れだが、試験に受かるような高等教育を受けている者となると、必然と貴族や富裕層で占められてしまう。
中には施設育ちの子もいるらしいが片手の指で数えられるほどである。
クルミが向こうの世界で通っていた学校のように制服はなく、指定の鞄もない。
年齢も様々なので、誰が生徒で誰が先生か一目見ただけでは分からないが、よくよく観察してみると先生には金色のバッチが胸元に付いているのでそれで判別するらしい。
そして、金バッチのほとんどが宮殿の魔法師なのだそう。
他に金色ではなく銀色のバッチをしている者もいたが、彼らはヤダカインから派遣されている魔女だという。
ヤダカインの話を聞けるかもしれないので、その内落ち着いて話ができたら聞いてみようとクルミは思う。
この学校で教えている分野は多岐にわたるが、クルミには当然ながら魔法具や魔法陣に関する授業をしてもらいたいとファイウスに頼まれる。
魔法具の制作に関わる人材育成は急務であり、学ぶ方も魔法具は高く買われることから、その分野の授業を選択する者が多いという。
魔法具に関する授業は立ち見が出るほどの人気なのだそうだ。
そんな授業風景を覗きに来たクルミは、ファイウスと共に教室の後ろを陣取る。
一番教室内を見渡せるその場所で周囲を窺うと、ファイウスの事前説明通りに多種多様な人材が真剣にノートを開いている。
教鞭を執るのは、銀色のバッチをした年配の男性。
銀色ということはヤダカインの魔女である。
魔女と言っても、女とは限らない。ヤダカインでは男性でも魔女と呼ぶのだ。
その人物と面識はないが、ヤダカインの魔女というだけで懐かしさが込み上げてきた。
だがしかし、そう感情に浸っていられたのも最初の五分だけ。
そこからは男性の教える、魔石を使った魔力を持たない者でも使える魔法陣という内容にめまいを覚えた。
授業タイトル自体はなんの問題もないが、教えている内容がとんでもない。
無駄、無駄、無駄。
無駄としか言わざるをえない、文字列ばかり。
「いやいやいや、なんでそこにその文字入れちゃうかな。……あっ、それを入れちゃったら魔石の消費が大きくなるでしょうが!」
ブツブツと一人文句を呟くクルミに、隣にいるファイウスが苦笑している。
一時間の授業を終えて教室を出ていった男性を、クルミは鬼の形相で追いかけて胸ぐらを掴んだ。
「ちょっとあなた本当にヤダカインの魔女なの!? 詐称してるんじゃないでしょうね!?」
突然胸ぐらを掴まれた男性は、抵抗するのも忘れて目を丸くしている。
「えっ、えーと……」
「あんな粗末な内容を教えて、いったい今まで何を習ってきたのよ!? ヤダカインの名を辱めるんじゃないわよ!」
ヤダカインの初代女王として、魔女として、先程の授業内容の稚拙さはクルミにとって我慢ならないものだった。
息を切らせて怒鳴り散らすクルミを、追いかけてきたファイウスがどうどうとなだめる。
「落ち着きなされ。ほれ、深呼吸」
言われるままにすーはーと深呼吸したクルミは少し落ち着いてきたので掴んでいた手を離した。
「あの、ファイウス殿。この方は?」
困惑したままの男性が問う。
「こちらは例の魔法陣を改良した方だ」
それだけで伝わったのだろう。男性は納得したようにクルミの顔を凝視した。
「ああ、あなたでしたか。いやあ、素晴らしい知識をお持ちで、我々ヤダカインの者は驚きのあまり腰を抜かしそうなほど美しい魔法陣でしたよ。今度から教師をされるとか。我々ヤダカインの魔女も授業を受けさせていただきますよ」
男性は、「頑張ってください」と言って、にこやかに去って行った。
残されたクルミは頭痛を覚える。
「大丈夫なのか、ヤダカインは……。今は精霊殺しの魔法も排除されたって聞くし、あの国がどうなってるのかめちゃくちゃ心配なんだけど」
クルミは魔女の質が落ちていることを実感してしまう。
「くそぉ、こうなったら皆まとめて教育してやるわよ!」
なんだかシオンの思うつぼな気がするが、帝国にとってもヤダカインにとってもクルミの知識は役立つことだろう。
そうして意気込んだままやって来た教師初日。
教室に入るや、明らかに若いクルミに、生徒の大半が侮りの眼差しを向けてくる。
その中にはロータスの姿が。
何故あれだけ文句を言っていたお前がいると声を大にして問いたかったが、他にも教師として学校で教鞭を執っている魔法師の姿もたくさん見つけたので、付き合いでやって来たのかもしれない。
まあ、クルミが失敗するのを笑いに来た可能性も捨てきれないが……。
何はともあれ、早速授業を始めようとしたクルミに声が投げかけられた。
「おいおい、あんなお嬢ちゃんに教えてもらうのか、俺ら」
「むしろ教えてもらう側じゃないの?」
「大丈夫なんですかぁ? 帰った方がいいんじゃね?」
ゲラゲラと下品な笑い声が聞こえてくる。
この学校に通うのはそれなりに良いところの家出身者のはずだというのに、この品のなさ。
まあ、クルミが若いことに間違いはなく。舐められるのは最初から分かっていた。
だから、クルミは嘲笑う生徒達を見てにっこりと笑み、ナズナを呼んだ。
「ナズナ、一発かましてやって」
「あいあいさー」
直後、ドオォォン! という耳をつんざく轟音が耳に響いた。
外にナズナが雷を落としたのだ。
その音に驚き、教室内は一気に静かになる。それを見計らって、誰かが騒ぐ前にクルミは口を開いた。
「さて、授業を始めますが、文句がある奴は出てってくれて構わないわ。私がこの場に立つことは皇帝陛下がお認めになったこと。それに異を唱えるってことでいいかしら?」
皇帝の名の持つ力は強大だ。
しかも、ファイウスといった魔法師から、クルミがシオンの妃であることが伝言ゲームのように伝わっていき、先程ヤジを投げていた者達の顔色が悪くなっていく。
クルミはしばらく待つ。
けれど誰一人教室から出ていく者はいなかった。
「出ていかないってことは、大人しく私の授業を聞くってことでいいわね? じゃあ、始めるわよ」
静かになったことで、クルミは鼻歌交じりで大きな黒板にチョークで魔法陣を書いていく。
これは前回ヤダカインの魔女が授業でしていたのを改良したものだ。
前回とどこがどう違うのか。何故変えているのか。どうすれば魔石の消耗を減らすことができるのか、子供でも分かるように丁寧に教えていく。
最初こそ侮りの色が消えなかった生徒や教師達の表情は次第に変わっていき、中盤にさしかかる頃には誰もが必死にペンを走らせていた。
クルミの知識に圧倒される共に、その言葉を一つも漏らすことなく記録しようという気合いが見えた。
その空気はクルミにも伝わり、最後は満足そうに教室を後にした。
初日ながら上出来だったのではないかと、自画自賛していたクルミだったが、その後思わぬ被害を受ける。
教室へ行けば生徒達から質問攻めに遭うようになった。
もともと魔法具の授業は人気のある授業だ。
授業を受けている人数も多く、必然と質問をしたい生徒も多い。
それを一人一人答えていたらあっという間に時間が過ぎる。
次の授業に遅れる事態となってしまい、逃げるように職員室へ行けば、そこでもヤダカインから来ている魔女やシオンの進める魔法具の事業に就いている魔法師達から質問攻めに。
その日の授業が終わった後まで離してくれず、クルミは疲労困憊となっていた。
その日もやっとヤダカインの魔女達から解放されたところで、クルミはぐったりと机に突っ伏した。
その様子をファイウスが苦笑して見ている。
ファイウスの瞳はピンク色をしており、笑うとユリアーナのことを思い出させる。
今は切実にあの癒やしが欲しいと思うクルミ。忙しさのせいでユリアーナともしばらく会っていない。
だが、ユリアーナの病気のこともあるので、日に一度はナズナに様子を見に行ってもらっているのだ。
どうやら熱を出すこともなくなり、栄養もしっかり取れるようになったので、以前よりふっくらしたという。
今すぐにでも会いに行き、あの天使の笑顔が見たい。
「大丈夫かな? クルミ様」
「無理そうです……。もう今日は何もしたくない……」
自分の研究をする気力もない。帰ってゆっくりお風呂に入ろうと、のそりと立ち上がる。
「ファイウスさん。あの質問攻めという攻撃はどうにかならないですか?」
ファイウスは魔法師の中でも上位に位置する人間のようで、他の魔法師達からも一目置かれている。
そのファイウスが言えばなんとかなるかと期待したのだが……。
「同類であるクルミ様なら分かると思うが、この学校にいる魔法師は研究者でもある。分からないことがあると、とことん突き詰めたくなる衝動はどうしようもできんと思いますぞ」
その思いは自分にも覚えのある感情だ。
分からないからこそ分かるまで調べ尽くしたくなる。
なので、一日部屋に籠もっていることは苦ではないのだが、他人に教えることがここまで大変だとは思いもしなかった。
「私、教師に向いてないと思います。なので、教師は辞めます、さようなら……」
そうして去ろうとしたが、やはりというかファイウスは許さなかった。
クルミの腕を掴んで、にっこりと笑みを浮かべたまま一枚の紙を突きつける。
それはシオンが以前に書いた皇帝印の押された勅書である。
「陛下の許可は取っておるので逃げるのは許されんぞ、クルミ様」
ヒクヒクと頬が引き攣る。
「それ破り捨てたらどうなりますか?」
「皇帝の意に背いた国家反逆罪で処罰されるでしょうな。たとえ陛下のご寵愛が篤いお妃様といえど」
「…………」
しばしの沈黙の後、頭を抱えた。
「ぐあぁぁ! シオンの奴こうなることを分かっててそれ書いたのね! 私のためとか言っときながら、私の逃げ道塞ぐためだったってこと!? あの腹黒めが!」
シオンの嫌みな笑い声が聞こえた気がした。
「まあまあ、今のところクルミ様には毎日のように来ていただいておるが、ある程度魔女の方々に知識を授けてもらえれば、不定期にしてくれて構わないと陛下からも言われております。もう少し頑張りなされ」
「あの魔女達を育てようと思ったら、かなり大変なんだけど、シオンの奴全然分かってないわね」
クルミから見たら、教師をしているヤダカインの魔女は人に教えるレベルには到底及んでいない。
そんな者達を人に教えられる程度に育てなければならないとか、かなり時間がかかるのではないだろうか。
だが、幸いに本人達にやる気はある。
それがせめてもの救いだろうか。
「分かりましたよ。その挑戦受けてやろうじゃないのよ」
クルミはかなりやけくそになっていた。
「期待しておりますぞ」
そうして、翌日から授業以外の時間をフル活用して、ヤダカインから来た魔女と、事業に関わる魔法師を集めた特別授業を開催することにした。
強制ではなかったが、嬉々として飛びついてきた彼らに、クルミは鬼軍曹と化して徹底的に教え込んだ。
そうして、ようやくクルミの力を借りなくても簡単な魔法陣を書けるようになったところで、クルミは少しずつ授業回数を減らしていくことができたのだった。




