15話 宮殿の魔法師
ユリアーナに使い魔を作ってしばらく。
毎日様子を見に行っていたクルミだが、どうやら使い魔を作ったことで魔力を溜め込まずにすんでいるらしく、ユリアーナが熱を出さなくなったと、それはそれはアサリナとエビネに感謝された。
ただ、あの使い魔、めちゃくちゃ食うのだと困った顔をされてしまった。
密かに食いしん坊君などと言われているらしい。
いったいどういう構造をしているのか調べるために一度解剖をしてみたいが、さすがにユリアーナが泣くだろうと我慢している。
使い魔に痛覚はないのだが、そんなことが問題ではないのだろう。
クルミの「解剖したい……」と呟いた言葉を聞いたナズナに、青ざめながら「それは止めたってぇ!」と懇願されてしまった。
痛みはなくても体をいじくられるのは嫌なのだろう。
仕方なく諦め、シオンに頼まれていたように、ユリアーナの病気と使い魔を使った対処方法を書面にまとめシオンに渡した。
使い魔に関しては不確定要素を多分に含んでいるが、ユリアーナの病状が落ち着いていることは事実なのでそのまま記した。
それから数日して、シオンに呼び出される。
呼びに来たのはアスターだったが、なにやら困った様子。
「クルミに会いたいと言ってる奴らがいるんだ」
「私に? 誰が?」
皇帝の妃であるクルミに会いたいと願う者は少なくない。
だが腹に一物を持って面会を願う輩はシオンが止めてくれているので、クルミが困ったことはない。
けれど、それ以外で会いたいと言われる覚えがなかった。
クルミの行動範囲は限られており、親交のある料理人や職人達は会うためにわざわざシオンを通したりしない。
「宮殿の魔法師だ。ほら、この前ユリアーナ様の研究資料をシオンに渡しただろう? あれを宮殿の魔法師に見せたら、クルミに直接話を聞きたいから会わせろとうるさくてな。シオンも最初は断っていたが、根負けしたんだ」
「あー、そういうこと」
クルミも納得だ。
ユリアーナの病気の対処もできないような者達だ。
クルミの取った使い魔という方法は理解しがたいものだろう。
クルミ以外に使い魔のことを正確に説明できる者などこの宮殿内にいるはずもなく、話を聞きたがるのはどうしようもない。
それは分かるが、あのシオンを根負けさせるだけの勢いだと思うと、クルミはあんまり会いたくなかった。
「ちなみにだけど、宮殿の魔法師って、無駄にプライドが高かったりしないよね?」
「よく分かったな。その通りだ」
アスターの答えにクルミは回れ右をして帰ろうとしたが、すかさずアスターに腕を捕まれる。
「こら、どこに行くんだ」
「だって、なんか面倒くさそうな予感しかしないんだもん」
魔法を使えるだけで宮殿に勤められるほどに、魔法を使える者が少ない帝国。
そりゃあ、選民意識も芽生えるというものだ。
そしてそういう輩がクルミは大嫌いだった。
「諦めろ。お前が説明しないと俺達じゃ納得させられないんだから」
「い~や~だ~」
「はいはい。後で焼き菓子作ってやるから頑張れ」
抵抗虚しくアスターにズルズルと引きずられてしまう。
そしてシオンの待つ部屋に行けば、シオンの向かいに三人の年代の違う男性がそれぞれ座っていた。
人のよさげな柔和な笑みを浮かべる白髪の年寄りの男性。
神経質そうな眼鏡の男性。
二十代前半ぐらいの青年。
クルミが入れば視線が痛いほどに集まる。
特に青年からは親の敵かと思わせるぐらい睨まれている。
いったいクルミが何をしたと言うのだろうか。
「クルミ、こっちへおいで」
シオンに手招きされて、クルミはシオンの隣へ座った。
「待たせたね。彼女が例の魔法陣の改良や魔力過多症の対処法を考えた子だよ」
シオンがそうクルミを紹介すれば、白髪の男性と眼鏡の男性がずいっと身を乗り出す。
「あの資料は本当にあなたが作られたものか?」
「あれほどの知識をどこで手にしたんだ!」
「以前の魔法陣の改良は……」
「使い魔というのは……」
「ちょ、あの……」
「他に資料はないのか!」
「何をどうしたらああなるのか、使い魔にはどれほどのことができるのか聞きたい!」
クルミが口を挟む隙もない質問攻め。
たまらずシオンに助けを求める。
「ちょっと、シオン……」
「ずっとこの調子で会わせろって言うから、さすがに負けてしまったよ」
これはシオンを責められない。クルミとて、この圧にはたじたじだ。
しかし、皇帝であるシオンを前に遠慮がなさ過ぎる。
ダンッという音にびっくりして振り返ると、アスターが鞘に収めたままの剣を床に立てていた。
どうやら先程の音は、その剣を床に叩きつけた音のよう。
「陛下の御前であることを忘れるな。そして、彼女は陛下のお妃様であられる。言動には注意して接しろ」
いつにない厳しい顔でいさめるアスターに、クルミはうっかり惚れてしまいそうだ。
「オカン、格好いい……」
「惚れてまうわ~」
さすがクルミの使い魔。考えていることは同じである。
アスターの迫力に、二人の男性は我に返ったように椅子に座り直した。その顔は驚きに染まっている。
「陛下がお妃様を迎えられたと聞いていましたが、あなたが……」
「さすが陛下。素晴らしい審美眼をお持ちでいらっしゃる」
二人が感心する中、毛色の違う言葉が落とされた。
「お前、いったいこれをどこで盗んできたんだ」
ぴくりとアスターの眉が動き、シオンの笑顔が深くなる。
先程言動を注意されたところだというのに、この言い草。頼むから魔王だけは刺激しないでくれと言いたい。
発言したのは一番若い青年だ。
アスターが口を出す前に、白髪の男性が窘める。
「ロータス。失礼だぞ」
しかし、注意されてもロータスという青年はクルミへの侮辱を止めない。
「しかし、ファイウス様! こんな小娘がこれほどの知識を持っているはずがありません! きっとどこかに影から助言している者がいるはずです」
キッと睨み付けてくる眼差しを受けても、クルミは微塵も動じなかった。
「へえ、なんのために?」
そう口角を上げながら横柄に問い返す余裕すらあった。
「そんなもの、陛下の興味を引いてお心を繋ぎ止めておくためだろう」
「馬鹿なの? そんなことしてなんの意味があるのよ。自分の無能さを露呈させるだけだから口を閉じてた方がいいんじゃない? ああ、でも、無能なのはとっくに分かってるわね。あの程度の魔法陣しか作れないんだから。三日で魔石を消耗させたんですってね。私に難癖つける前に、勉強した方が身になるわよ」
そう言って、クルミは心底馬鹿にするように鼻で笑った。
「なっ、あの魔法陣は俺が作ったものじゃない! ヤダカインの魔女が無能なんだ!」
「じゃあ、その無能に負けない魔法陣をあなたは作れるの? 作れないんじゃない。そんなことを胸張って言われても、ねぇ?」
クスクスと笑ってやる。勿論挑発である。
膝に乗っていたナズナが「主はん、性格悪いわぁ」などと呟いていたので、後頭部に軽くデコピンをして黙らせる。
顔を真っ赤にしながら口を開こうとしたロータスに、クルミは空間から一冊の本を取り出してロータスに渡した。
「中見てみなさいよ」
言われるままに中を確認したロータスは目を大きくして驚愕する。
「それだけ人を教養のなさを訴えるんだから、当然その程度の内容は読み解けるのよね?」
クルミがロータスに渡したのは初級ではないが上級者用でもない、さして難しくない内容の資料だ。
シオンから見せてもらったヤダカインの魔女が作った照明の魔法陣を見る限り、ヤダカインの魔女ならばギリギリ分かる内容のはずだ。
だが、ロータスはそれすら読み解けなかった様子で、悔しげに歯がみしている。
反論する言葉がないのか、膝で拳を握り締め色々と耐えているのが窺える。
「えー、まさか読めないのぉ? そんなわけないわよね? さして難しい内容でもないのに、人を馬鹿にできるぐらい賢い魔法師様が分からないんですかぁ?」
ちょっと自分でも気持ち悪いと思うようなぶりっ子風で、大きな声でたたみかける。
よっぽど恥ずかしいのか、苛立ちなのか、ブルブルと手を震わせている。
悔しがるロータスの顔に溜飲が下がったクルミは、ロータスから本を奪い、隣にいたファイウスという白髪の男性にそれを渡す。
本を開いたファイウスは内容を確認して目を大きく見開いた。
「こ、これは……」
「私が書いた研究資料です」
「これをあなたが……?」
ファイウスは本から決して目を離さず、パラパラとめくっていきながら、深い驚きを顔に浮かべる。
それは隣からその本を覗き込んでいた眼鏡の男性も同じだ。
「す、素晴らしい!」
突然身を乗り出してきた眼鏡の男性に両の手をぎゅっと握り締められる。
「えっ!」
その目はキラキラとしていて、まるで戦隊ヒーローに出会った少年のようだった。
「ファイウス様、これは逸材です。これほどの才能放っておく手はないですよ。ぜひ、学校へ入学していただきましょう!」
「いや、待て。これほどの方を生徒として招くなどもってのほか。教師として、生徒の前で教鞭を執っていただこうではないか!」
「おお! ナイスアイデアです、ファイウス様!」
「いやいや、ちょっと待って」
なにやらクルミを置いて勝手に話を進められていっているので、待ったをかける。
「教師って何!?」
「教師というのは、生徒に教えを与える職業の者を……」
「そういうことじゃなくて、なんで私が教師なんてしなくちゃならないのよ!」
「この本の内容を見せていただけいただけでじゅうぶんに分かりました! あなたの知識は我が国の宝。それを是非私どもに伝授していただきたいのです!」
一点の迷いのない眼差しで見られて、クルミはめまいがした。
「シオン……」
たまらずシオンに助けを求めるが……。
「いいじゃないか。やってごらんよ」
「本気で言ってるの? 私みたいな小娘に?」
「まあ、確かにクルミは若いけど、そんなものはね飛ばすだけの知識量を持っているじゃないか。正直、魔法陣に関する知識でクルミの右に出る者はいないんじゃないかい?」
「そりゃあ、まあ……」
使い魔どころか、照明ごときに頭を悩ませている状況を知っているだけに、自分なんかと謙遜したくてもできない。
それほどに、今のヤダカインから伝えられる魔女の知識はクルミの前世より劣化していた。
「クルミが生徒だけでなく教師ごと教育したら一石二鳥で人材が育つしね。そうすれば、結果的に国のためになる」
「うーん……」
確かにクルミだけで国を変えるほどの魔法具を作るなど不可能だ。
クルミが手を加えられるのは精々宮殿内ぐらい。
シオンが国家事業として取り組んでいる以上、たくさんの優秀な人材を必要としているのは分かっている。
クルミがその知識を伝授するなら、シオンの改革も大きく前進することだろう。
だからシオンも止めない。
それは分かるのだが、自分に教師ができるかと不安がある。
「私が教師役って、急に言われてもなぁ」
「補佐として責任を持って私が付き添おう。あなたはその知識を伝えてくれるだけでいい」
ニコニコ顔でファイウスが手を挙げた。
「では、私は生徒として」
眼鏡の男性がちゃっかり教えを請う気でいるらしい。
魔法師はプライドが高いのではなかったのか。小娘に教えられることに忌避感はないようだが、それは二人だけ。
ロータスは不満げに声を上げた。
「反対です! 考え直してください、ファイウス様!」
するとファイウスは駄々っ子を見るような眼差しで溜息を吐いた。
「ロータス。ではお前はこれの内容が分かるのかね? これを生徒達に教えることは?」
「それは……」
その消極的な態度は、できないと言っているようなものだった。
「より民が過ごしやすい国にするために彼女の協力は必要だ。それが分からぬのなら、お前はこの事業から手を引いた方がいい」
ファイウスはそう告げてシオンに視線を向けた。
そうすればシオンはゆっくり頷いた。
「魔法具を使った暮らしの改善は急務だ。我が帝国が他の三国に後れを取っていることは否定できないからね。そのためにクルミが必要だということに僕も反対はないよ。むしろ反対だと言うなら、ちゃんとした理由を述べてくれないかな? クルミが若いからなんていう感情だけで嫌だと言われてもそれを聞き入れるつもりはない。それでも納得できないならば皇帝の名の下に命じることにしよう」
シオンは笑みを浮かべたまま冷たい眼差しをロータスへ向けてから、背後に控えるアスターに命じる。
「アスター、紙とペンを」
すぐさまアスターが動き、シオンの前に文具一式を用意すると、シオンはペンを取ってサラサラと紙に何かを書き込み、最後に皇帝印と呼ばれる皇帝だけが押せる判子を押した。
横からクルミが内容を確認すれば、クルミを教師として学校で教えることを許すというものだ。
皇帝印の押されたそれは、皇帝の勅命を意味している。
これで誰一人クルミが教師をすることに文句を言えなくなってしまった。
「大げさな」
思わずそんな言葉が口から出てしまう。
「クルミのためには必要なことだよ」
こんな紙切れ一つでクルミが守れるなら安いものだと言って、皇帝印の押された勅書をファイウスに渡し、ファイウスは恭しく受け取った。
「確かに」
「クルミのことは任せたよ」
「お任せください」
そうしてクルミが教鞭を執ることが決定したわけだが……。
「ところで、私一言もやるって言ってないんだけど……」
その呟きを拾ったアスターが憐れみを含んだ眼差しでクルミの肩をポンポンと叩いた。
諦めろということらしい。
クルミはそれはもう深い溜息を吐いた。




