13話 準備
クルミは早速研究部屋に向かうと、前世で書き溜めた資料と、ナズナを作った時の資料を元に魔法陣を紙に書き始めた。
一度作ったことがあるとはいえ、使い魔を作成する魔法陣はどの魔法陣よりも精密で難しく、大きく気力体力を削がれる。
その中のたった一字でも間違えば発動しないのだから、慎重に慎重を期す。
部屋に籠もり、何度も書き直した。ナズナを作った時よりもより時間をかけて丁寧に作り上げた魔法陣を持って、クルミはユリアーナを訪ねた。
今度はちゃんと玄関から呼び鈴を鳴らすと、エビネが顔を出したので、ユリアーナに会いに来たことを告げるとすぐにユリアーナの部屋へ通してくれた。
「あっ、お姉さん」
ぱっと花が咲いたように笑うユリアーナに、クルミの心がほっこりする。
ユリアーナの笑顔には癒やし成分が含まれているかのようだ。
こんな可愛らしいユリアーナを赤の他人のように放置できるとは、シオンが信じられない。
でもまあ、母親と確執があるというなら、ユリアーナと会うこと自体が稀なのだろう。
それこそ、いつも側にいるアスターの方が大事だと即答できるほどに。
シオンがこれまでどんな生活をしてきたのかクルミは知らないが、せめてユリアーナのことだけはもう少し気にかけてあげてほしいとクルミは思うのだが、それはシオン的には難しいのだろうか。
「この前はごめんなさい。急に倒れちゃって」
「ユリアーナちゃんのせいじゃないでしょう? もう体は大丈夫?」
「うん。お姉さんが治してくれたってエビネが言ってた。ありがとうございます」
深々と頭を下げるユリアーナ。
少し話をしただけでも分かる。ユリアーナの素直さと優しい性格が。
とても良い子なのだ。
「また遊びに来てくれたの?」
「うん。ユリアーナちゃんに会いたくてね」
そう言うとユリアーナははにかむように笑った。
まだ二回しか会ったことのないクルミをここまで歓迎してくれるのは、それだけ人との縁に飢えているからなのかもしれない。
アスターによると、この邸宅に来る人間は限られており、他者との接触も最小限に抑えられているという。
アサリナの罰により軟禁されているのだからそれは当然かもしれないが、母親の罪がユリアーナを悲しませるのはなんだか理不尽さを感じてしまう。
けれどこればかりは口を出していいことではないのは、政治を知らないクルミでも分かる。
せめてできることをしてあげたいと思うのは、同情か、偽善か。
けれど、その自己満足で少しでもユリアーナが楽になるならそれで構わないのではないかと思う。
だからクルミはユリアーナに魔法陣を見せた。
「これは? 絵?」
こてんと首をかしげるユリアーナにクルミは笑顔で説明する。
「ユリアーナちゃんの病気を抑えるためのお薬かな」
「病気、治るの?」
「治すのはまだ難しいんだ。ごめんね。でも、いずれ見つけられたらとは思ってる」
「そっか……」
しょぼんとしてしまったユリアーナにクルミは続ける。
「でも、これで症状を出なくすることはできるの。熱が出て倒れるのはしんどいでしょう?」
「うん」
「そうならないようにするための方法なんだけど、試してみる?」
ユリアーナの使い魔を作るためにはユリアーナの協力が必要不可欠だ。ここで嫌だと言われてしまったら、クルミにはどうしようもない。
「もう苦しくならない?」
クルミは安心させるような優しい笑みを浮かべながら頷いた。
「ええ。きっと楽になるわ」
「なら、試す」
「姫様っ……」
ユリアーナの後ろでは同じく話を聞いていたエビネが心配そうにしている。
前回と違いクルミへの敵意は感じない。
ユリアーナの症状を抑えたことが、エビネの態度を軟化させることに繋がったのだろう。
棘のある態度を取られなくなったのは助かる。毎度あんなツンケンした態度を取られていてはクルミも気分が滅入るというものだ。
「一応アサリナ様にも許可をいただきたいんですけど……」
「すぐにお伺いしてきます!」
スカートを持ち上げて、脱兎のごとく走っていったエビネ。
そんな急がずとも逃げはしないというのに、それだけユリアーナが心配なのだろう。
「エビネさんはずっと前からここにいるの?」
「うん。私が生まれる前からお母様に付いていた女官だって聞いた」
それなら、ユリアーナが前皇帝の娘でないことは知っていそうだが、ユリアーナを『姫様』と呼んでいるあたり知らなさそうだ。
では、ユリアーナ自身はどうなのか……。聞く勇気はない。
それにユリアーナが前皇帝の娘であろうとなかろうと、クルミにとったらどうでもいいことだ。
それでユリアーナに対して何かが変わるわけではないのだから。
なら、わざわざ藪を突く必要もないだろう。
ユリアーナをじっと見れば、ふにゃりと嬉しそうに笑った。
「くっ、天使はここにいたのか」
思わずぎゅっと抱き締めてしまう。
「主はん、メロメロやな」
ナズナが呆れたように言っているが、これだけ可愛ければメロメロになっても当然だ。
どこぞの魔王に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
そうしたら、少しはユリアーナの天使さが生まれてくるかもしれないのに。
少しすると、アサリナがエビネと共に部屋に入ってきた。
相変わらず儚げ美人なアサリナは、シオンとユリアーナの二児の母とは思えないほど若く見える。
だが、言われてみると、どことなくシオンの面影があるように感じる。
髪の色も、シオンとユリアーナとアサリナは同じ色だ。
瞳の色だけが違うので、きっとその辺りからユリアーナが皇帝の娘でないことが分かったのだろうなと、人ごとのように考えていたクルミ。
そんなクルミにアサリナが問いかける。
「ユリアーナの病気を治せるというのは本当なの?」
「治すことはできません」
そこは断言する。病自体を治せる方法はクルミの知識をもってしても不可能なのだ。今はまだ。
そこを勘違いされてはいけないので、しっかりと否定した。
「それなら……」
「けれど、症状を抑えることはできます」
暗く陰ったアサリナの顔がクルミの言葉でわずかに明るくなる。
「それは本当に? けれど、今までどんなお医者様でも無理だと言われたのに」
「私は医者じゃありません。魔女です。だからこそできることがあります」
「魔女……?」
アサリナは魔女のことをよく知らないようだ。
まあ、ヤダカインの魔女を受け入れるようになったのはシオンが皇帝となってからだと聞くので、ここで軟禁状態のアサリナが知らなくてもおかしくない。
「魔女でもなんでも構わないわ。ユリアーナをなんとかしてくれるのね?」
「はい」
「この子は私のたった一人の大事な子なの。お願いします!」
そう言って必死に頭を下げるアサリナを、クルミはなんとも言えない気持ちで見つめた。
たった一人の大事な子……。
ならば、シオンは?
口から出てきそうになったその言葉をクルミはなんとか飲み込んだ。
「分かりました。できる限りのことをします」




