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9話 皇帝の母


「よっこいしょっと」



 年寄りのような声を上げながら、窓枠を越えて部屋の中に入る。



「ここはあなたのお部屋?」



 ユリアーナはこくりと頷く。

 一応綺麗に整えられた部屋だが、クルミに与えられてる妃用の部屋と比べれば随分貧相だ。

 シオンの妹となればそれなりの地位にいるだろうに、とてもこの国の皇女とは思えない。


 だが、今はそんなこと後回しでいいだろう。

 とりあえずクルミはテーブルの上にお菓子をドンドン載せていく。


 あらかじめ空間の中に大量のお菓子を入れていて良かったと思う。

 これらはキッチンをリフォームしたお礼として、料理人達がそれぞれ作ってくれたものだ。

 自分達には料理でしかお返しができないと言って。


 シオンから報酬をちゃんともらっているのでその気持ちだけで十分だったが、宮殿に雇われるほどの腕を持った料理人が作ったものだ。

 断るなんてもったいない。ありがたく頂戴した。



「すごい……」



 テーブルを埋め尽くさんばかりに並べられたお菓子に、ユリアーナは目をキラキラさせる。

 子供らしい可愛い反応だが、それが皇帝の妹だと考えるとなんとも言えない気持ちになる。

 皇女ともなればこれぐらいの贅沢は贅沢の内に入らないだろうに。



「一緒に食べましょう。でも、後はお茶が必要ね」


「それはエビネにお願いする」



 ユリアーナはベルをチリンチリンと鳴らす。

 少しすると、部屋に女性が入ってきた。

 彼女がユリアーナの言っている女官のエビネだろう。

 白髪混じりの髪をお団子にしている、ふっくらとした体型の中年の女性。

 エビネはクルミの姿を目にすると目を大きく見開いた。



「何者です!? ここをどなたの邸宅と知っての狼藉ですか! 姫様に何かしたら私が許しませんよ!!」



 そう怒鳴りながらユリアーナの盾になるように前へ出るエビネに、クルミも苦笑するしかない。

 完全に不審者扱いだ。



「主はん、完全に悪者やな」


「ははは……。どうしよう」



 対応に困る中、庇われているユリアーナが、エビネの袖を引っ張る。



「姫様、ご安心ください。エビネがこの命と引き換えにしてもお守りいたしますからね!」



 その忠義心はあっぱれだが、ユリアーナの言葉を聞いてやってほしい。

 ずっと、「エビネ、違うの」と言っているではないか。

 そうこうしていると、また別の人が部屋に入ってきた。



「何を騒いでいるの?」



 ハニーブロンドの長い髪の儚げな雰囲気を持つ美しい女性。

 一瞬誰かに似ているなと思ったクルミの前で、ユリアーナはその女性に向かって走り寄る。



「お母様」


「どうしたの、ユリアーナ?」



 優しさの中に弱さも含んだ声色でユリアーナを呼ぶ。

 そして不意にクルミへと視線が向き、目を丸くする。



「まあ、どなた?」



 なんともおっとりした人だ。エビネとの落差が大きい。



「不審者ですよ、アサリナ様!」



 エビネが鼻息荒く息巻くが、アサリナと呼ばれたユリアーナの母の視線はテーブルの上に向けられている。



「まあ、美味しそう」


「あのお姉さんがたくさん出してくれたの。一緒に食べようって」


「それはそれは、ありがとうございます」


「あっ、いえ、どういたしまして」



 会釈するアサリナに、つられてクルミも頭を下げる。



「アサリナ様! こんなどこの誰ともしれぬ者の出した食べ物など危険です!」


「でも、とっても美味しそうよ」



 警戒するエビネが正しいのだが、構わずにアサリナはテーブルの上にあったお菓子を一つ素手で持って口に運んだ。



「あら、本当に美味しい。さっ、ユリアーナもあーん」



 言われるままに口を開けたユリアーナにお菓子を放り込んだアサリナは満足そうに微笑む。



「どう?」


「美味しい!」



 頬を大きくして頬張りながら顔をほころばせるユリアーナに、クルミの胸は打ち抜かれた。

 なんて可愛いのだろうか。

 まるで天使が降臨したかのよう。

 どこぞの見た目だけは天使の悪魔とは大違いだ。



「アサリナ様ぁ!」



 エビネの叫びが虚しく響く。 



「エビネ、美味しいよ。食べてみて」



 そう言ってユリアーナはお菓子を一つ差し出した。

 人を疑うことを知らないような純真無垢なユリアーナの瞳がエビネを見つめる。


 エビネは深ーい溜息を吐いて、そのお菓子を口に運んだ。

 そりゃああんな目で見られたら抵抗するのは無理だろうと、クルミは少し不憫に思う。

 彼女はただユリアーナのためを思って警戒していただけなのに。



「美味しい……」



 なんだか悔しそうに見えるのはきっとクルミの気のせいではないはず。



「これで問題ないことは分かったわね。エビネ、お茶を淹れて皆で食べましょう。いいかしら、親切なお嬢さん?」


「クルミです」


「私はアサリナ。こっちは娘のユリアーナで、彼女はエビネよ」



 お互いの自己紹介が終わったところで、エビネはまだ警戒心を残した眼差しでクルミを見てから部屋を出ていった。

 そしてすぐに帰ってくる。人数分のティーカップを持って。

 よほどアサリナとユリアーナだけにしておけなかったのだろう。まさに早業と言えるほどにすぐ戻ってきた。

 エビネは息を切らせながらお茶を注いでいく。



「ありがとうございます」



 お茶のお礼を言ったが、ふんと鼻息であしらわれてしまう。

 しかし、お茶は十分に美味しいものだった。

 けれど、アスターの淹れてくれる茶葉とは明らかに質が違うのが分かる。

 女官もエビネ一人だけというのも気になった。



「あの、ユリアーナちゃんはお姫様なんですか?」



 思い切って切り出したクルミに、エビネが目をつり上げる。



「ユリアーナちゃんとはなんですか、ちゃんとは。ユリアーナ様はれっきとした帝国の姫君。皇帝シオン様のたった一人の妹君でいらっしゃいますよ!」


「すみません……」



 やはりユリアーナはシオンの妹で間違いないらしい。ということは、アサリナは……。



「そして、こちらのアサリナ様は皇帝陛下のご母堂。言葉には気をつけなさいませ!」


「はい!」


「本来なら言葉を交わすことすら叶わぬ方なのですよ」


「それならどうしてこないな所にひっそりと暮らしてるんや?」



 空気を読まないナズナが言葉を発する。

 瞬間、空気が凍った気がした。




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