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6話 脱走計画



 とりあえず、未婚女性に声をかけるのは後回しにして、職人達に浄化の魔法を施したベルの使い心地を聞いたところかなり好評だった。

 今では綺麗にしないと逆に気持ち悪いらしい。

 清潔好きになったのはいいことだ。


 職人から話を聞いた兵士達からも浄化の魔法具が欲しいという要望があったので、どうせなら兵士だけでなく宮殿で働く他の人達も使えるようにと宮殿の至る所に設置した。

 そうしたら、「もうお前なしでは生きていけないよ」と愛の告白のような言葉を口にしながらベルに頬ずりしている者を見てしまい、クルミはなんとも言えない顔になった。


 職人と同じく、兵士や他の職も地位の高い者は宮殿にある大風呂を使えるが、いくつも風呂はないので下っ端は使えず、いつも大変だったのだと嘆いていたのだ。

 クルミはもちろん同じベルをキッチンにも置いた。

 どこよりも清潔を大事にしなければならないところなので、ほぼ強制的だ。

 だが、職人との共同制作である食洗機の魔法具と同じく大活躍してくれている。


 後は魔石がどれくらい保つかどうか。

 できる限り消耗をせずにすむよう、極限まで無駄を省いた魔法陣を刻んだが、消耗度合いによってはまた作り直す必要がある。

 より性能を高めるべく魔法陣の研究に精を出して、部屋に籠もり続けるクルミにナズナが話しかける。



「なあ、主はん。いいんでっか?」


「何が?」


「ヤダカインに行くんとちゃうかったん?」


「あー。そういえば、あれから何も言ってこないわね。シオンたら忘れてるんじゃないでしょうね」



 ペンを動かしたままクルミは眉をひそめる。

 シオンが連れて行ってくれるというのでクルミはここに残ることにしたというのに、未だにその約束を果たしてくれる様子がない。


 だが、クルミもまだキッチン周りの改造の途中なので、今行くぞと言われても少し困ってしまう。

 冷蔵庫や他の魔法具の魔石の消耗具合を毎日観察している今は、できれば何日も留守にしたくない。

 しかし、ヤダカインに行くとなったら数日どころか一カ月以上留守にすることになるだろう。

 その間に魔法具に変化があったら困る。


 かといって、ヤダカインのことを何も言ってこないのは、それはそれで気になった。



「それにやで、主はん。わいらは重要なことを忘れとるんとちゃうかいな?」


「重要なこと?」



 そこでようやくクルミはペンを手放してナズナを見る。



「何かあった?」



 ナズナの目がキランと光った。



「それは、観光やー!!」



 大きく翼を広げて叫ぶ。



「せっかく帝都におるっちゅうのに、主はんが部屋に籠もってばっかやから、全然宮殿の外に出とらんやんか。わいは観光したいぃぃ」



 駄々っ子のようにバサバサと翼を動かすナズナに、クルミも衝撃を受けた。



「た、確かに失念していたわね。帝都にいながら観光をしていないなんて、これは大問題だわ」


「せやせや。観光は大事やで」


「シオンも今さら私のことを警戒なんてしてないでしょうし、やるなら今か」



 クルミとナズナは顔を見合わせこくりと頷いた。



 そして翌日、朝食をシオンと取ると、いつものように研究部屋に直行する。

 午前中、シオンは大臣達との会議に出席することは朝食の席で知った。

 わざわざ侍従が今日のスケジュールをシオンに伝えていたのをばっちり聞いていたのだ。


 愛し子でありながら皇帝でもあるシオンは、普段できる限り政治には関わらないようにしている。

 それは帝国以外の大国三国と共に決められたルールの中に、愛し子は政治には関わらせないというものがあるらしい。


 クルミの前世ではなかった決まりだが、現在はその取り決めの中で縛られており、本当なら愛し子のシオンが皇帝になることはなかったというのに、お馬鹿な兄弟が皇帝の椅子を巡って争った後に共倒れしてしまい、シオンしか皇帝になれる者がいなくなった。


 それ故、シオンが皇帝になったのは緊急措置らしく、次の代が育つまでは政治に深く干渉しないようにしながら皇帝の仕事をしている。

 愛し子としては政治に関われないので多くのことを臣下に任せているようだが、一応皇帝である以上まったく皇帝の仕事をしないわけにもいかない。


 今日はそんなシオンが出席しなければならない会議があるというのでクルミにとったらなんとも都合が良かった。

 研究部屋には女官は入って来ないので、部屋に入ってしまえばこっちのものだ。


 クルミは前世で作った猫になれる腕輪を腕に通し、黒猫の姿となると、窓の外へ飛び出した。

 この黒猫の姿とクルミが同一人物であることを知るのはシオンとアスターだけ。


 クルミとナズナは大胆に兵士や女官の前を横切って、以前に見つけた隠し通路を通り、いざ帝都観光へ! というところで精霊に押し潰された。



「にゃんにゃう~(なんでここにいるの~)」


 あと少しで出口だというのに。



「主はん、大丈夫でっか?」


「にゃうぅ……(無念……)」


「やれやれ、念のために精霊に見張らせておいて正解だったね」



 シオンの呆れたような声色が聞こえてきて、クルミとナズナがビクッとする。

 そして、シオンは大量の精霊に潰されているクルミを中から救出した。



「にゃんにゃんにゃん!!」



 クルミはシオンに向かって激しく叫ぶ。



「うん。何か激しく怒ってるのは分かるけど、さすがの僕でも猫語は理解できないんだよ、悪いねぇ」



 シオンが抱っこした黒猫のクルミから腕輪を外すと、クルミは人間の姿へと戻った。



「なんでここにいるのよ! 会議は!?」


「そんなものすぐに終わったよ。それよりもクルミが不審な行動をしてるって精霊達が教えてくれたから来てみたら、まだ逃亡を諦めてなかったの?」


「逃亡じゃないもの。暗くなるまでには戻るつもりだったし」



 ふて腐れた様子のクルミは、シオンに運ばれながらブツブツ文句を言う。



「まさかまだ精霊の監視があったなんて」


「わいも気付かんかったわぁ」



 脱走の失敗に、テンションは駄々下がりだ。



「今なら絶対いけると思ったのに」



 行動はお見通しだと言われているようで、悔しくてしょうがない。

 そのまま強制帰還となったクルミはシオンの部屋に連れてこられた。

 そこでようやく下ろされたクルミは、部屋にいたアスターに走り寄り抱きついた。



「オカン~。また魔王に捕まったぁ~」


「後もう少しやってんでぇ」



 ナズナまでアスターの肩に乗って縋り付く。

 そんな主人と使い魔を、仕方なさそうなしながらも受け入れてくれるアスターはやはりオカンだ。

 シオンとは懐の大きさが違う。



「そもそも逃げるクルミが悪いんじゃないか」



 シオンはそう言いながらゆったりと椅子に腰掛けると、クルミもその向かいに座る。

 そして、アスターが人数分のお茶を淹れ、クルミとシオンの間に座った。


 この宮殿で腰を落ち着けることを決めてからよく見るようになったこの光景。

 お茶菓子に用意されたクッキーもまたアスターの手作りだ。

 それをふて腐れたような顔で食べ始めるクルミに、アスターは苦笑する。



「脱走するのは止めたんじゃなかったのか? 最近は大人しく研究をしていただろう」


「そうなんだけど、大事なことを忘れてたんだもの」


「何を忘れてたんだ?」


「それはもちろん」


「帝都観光やぁぁ!」



 クルミとナズナは楽しそうに声をそろえる。

 その答えは予想外だったのか、シオンとアスターは目を丸くした。



「なんだ、そんなことか」


「なんだとは何よ。私には大事なことなんだから」


「せやせや! 観光は大事なんやで」



 期待外れだという様子のシオンに、クルミとナズナが噛みつく。



「そのために貯めてたお小遣いを使い切るつもりだったんだから」



 そのお小遣いは、宮殿内に設置した魔法具の報酬だ。

 クルミとしては研究の一環だったので報酬を期待していたわけではないのだが、クルミの魔法具によりキッチンの効率が上がったり、宮殿で働く者からも好評だったことから、シオンが多少のお金をくれたのだ。



「あー、もうちょっとで帝都観光できたのに……」


「諦めたらあかんで、主はん! 魔王にだって隙はできるはずや。せや、また花の精霊はんに頼まれへんかいな?」


「その手があった。よし、リラを掘りおこしに行こう!」


「がってんやー」



 リラは未だに宮殿の森のように広い庭のどこかに埋まっている。

 最高位精霊であるリラの助けがあれば、他の精霊に命じられる。

 そして、それをシオンが止めることはできない。精霊にとって、愛し子の頼みよりも高位の精霊の命令の方が優先度が高いのだ。

 いつも埋まっているリラを見つけるのは骨が折れるが、一番魔王を出し抜ける可能生が高いのである。



「そういうのは普通僕のいないところで相談するものじゃないのかな。計画が全部筒抜けだよ」



 シオンはやれやれという様子でアスターの淹れたお茶を一口飲んだ。

 そして、カップを置いたシオンが口を開く。



「別に観光ぐらいなら行ってきてもいいよ」


「えっ、ほんと!?」



 そんなあっさり許可が出ると思っていなかったクルミは身を乗り出す。



「逃げるわけじゃないならね。ちゃんと帰ってくるなら、アスターを連れて行っておいでよ」


「やったー!」


「よっしゃあ!」



 クルミとナズナは大喜びでハイタッチしたが、その横でアスターがなんとも言えない顔をしている。



「俺も行くのか?」


「だって、クルミが逃げないようにお目付役がいるでしょう? それにアスターはちょくちょく帝都に出かけてるからオススメの店をよく知っているし、案内人には最適じゃないか」


「まあな」


「わーい。じゃあ、オカンとデートだ」



 喜びそのままにアスターの腕にしがみつけ身を寄せると、シオンの眉がピクリと動いた。



「デートじゃないでしょう? アスターは保護者だよ。クルミがデートをする相手は僕だけ。クルミは僕の黒猫なんだから。ねぇ?」



 普段ならツッコミを入れて激しく否定するクルミだが、にっこりと微笑む中に黒いものをシオンから感じ、素直に頷いた。



「そ、そうですね……」



 頬を引き攣らせるクルミが否定しなかったことで、シオンは満足そうに微笑んだ。

 やはり魔王を不機嫌にさせると怖い。

 クルミはこれ以上刺激しないように、そっとアスターから腕を放した。





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