プロローグ
あけましておめでとうございます。
今日から連続更新していきます。
ランプの光が煌々と照らす部屋の一室。
それほど広くはない部屋の中央にある大きなテーブルには、書類の束が乱雑に置かれていた。
そんな散らかったテーブルで、ペンを片手に一心不乱に紙へ書き込んでいた少女が手を止めると、その紙に魔力を流す。
文字がぱあっと光ったかと思ったら、次の瞬間にはろうそくの火を吹き消すようにその光は消え去った。
魔法陣の不完全を示すその反応に、少女は苛立ちをぶつけるようにテーブルに握り締めた手を叩きつけた。
「ああ、もう! また失敗した!」
今度は大丈夫だと自信があったからこそ今回の失敗は精神的にきた。
途端に襲ってくる脱力感。
思わずテーブルに突っ伏す。
「どうしてよ~。何が違うっていうの?」
難しい魔術だということは少女もよく分かっていた。
けれど、今回は本当に自信があったのだ。
これが駄目だというなら、完全に行き詰まってしまう。
だからといって少女に諦めるという文字は存在しなかった。
なにせ、これを完成させなければ、少女の未来は失われてしまうのだから。
これまでに生み出したたくさんの魔術と共に。
少女にはもう時間がない。
立ち止まる暇などなく、無理矢理己を奮い立たせてペンを握る。
すると……。
「くくくくっ」
どこからともなく聞こえてきた笑い声に少女はキッと睨み付ける。
「何しに来たのよ」
少女の視線の先には、先程まではそこにいなかった男性が立っていた。
黒く長い髪と、宝石のように輝く赤い目。
そして、小憎たらしいほどに整った容姿。
いつも突然現れる男性を、少女は忌々しそうに見つめるが、そんな視線を受けてもなお、男性は楽しげな顔をしている。
「お前がどうしているか見に来たんだよ」
「そう。じゃあ、目的は果たせたでしょう。とっとと帰れ」
「そうつれないことを言うな。お前は俺のお気に入りなんだから」
「あー、そーですか」
至極どうでもよさそうに少女は一蹴して、再びペンを走らせた。
男に構っている時間はないとでもいうように。
そんな少女を見ていた男性は口角を上げ、口を開く。
「お前、このままじゃ死ぬぞ」
それはまるで決して覆らない決定事項というように告げられたが、少女の表情はぴくりとも動かない。
少女はそんなこと百も承知だったから。近いうちに自分が死ぬこと。それも殺されるだろうことを。
「そうね」
なんの感情も含んでいない返事をする少女に、男性はやはり楽しげに笑った。
「分かっていてそれか」
「分かっているからこうしているのよ」
少女は決して手を止めることなく続ける。
「あなたが言ったんでしょう? 呪術を使えば死んでも来世へと記憶を引き継げるって。だから頑張って作ろうとしているんじゃない」
そう言ってから少女ははっとする。
「まさか私をからかったんじゃないでしょうね!?」
この性格の悪い男ならやりかねないと目つきが鋭くなる。
なにせ、この男が少女をからかうのは一度や二度の話ではない。
ヴァイトもよく少女に冗談を言っていたが、性質が違う。
かなり悪質なのだ、この男のやることは。
少女を気に入っていると言いつつ、こうして少女が殺されかけようとしていても助けようとはしない。
きっと死の間際にいても、笑って見ているだけの奴だ。
そう断言できる。
この男は、いかに自分を楽しませてくれるかがすべてである。
そう考えたら、なんともたちの悪い奴に気に入られてしまったものだ。
「安心しろ。言ったことは嘘ではない」
それを聞いて少女はほっとした。
今さら無理だと言われたら、間違いなく目の前の男を撲殺する自信がある。
まあ、素直に殺されてくれるかは別として。
男はゆっくりと近付き、少女が書いた魔法陣に指を滑らせた。
「さすがだな。ここまで近付けるとは天才と自負するだけある。まあ、そのせいで命の危機にあるわけだが」
何が楽しいのか、くっくっと笑う男。少女にしたらまったく笑えない内容だ。
「ということはまだ足りないってことなのね」
少女は深く溜息を吐くと、男の顔を窺う。
「ヒントぐらいくれてもいいんじゃないの?」
これ以上何が足りないのか、ゆっくり研究する時間があればそうしているが、残り時間は少ない。
本当は誰かに……ましてや性格のひん曲がったこの男にだけは頼りたくはないが、そんな贅沢は言っていられない状況だった。
背に腹はかえられない。
「教えてやらなくもないが……」
もったいぶった話し方に少女はイラッとするが、この男に苛立つのは今に始まったことではない。
それよりも対価として何か要求されるのではと身構える。
「なによ」
「シペラス」
そう一言口にすると、男は少女の髪を一束すくい上げた。
「俺のことはそう呼べと言っているだろう?」
少女は苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「俺の特別な名を、お前には呼ぶことを許してやるんだ。ちゃんと呼べ」
まるで睦言を囁くように告げる男は、すくい上げた髪に口付けを落とす。
それを冷めた目で見る少女は、男の手をべしりと叩き落として自分の髪を取り返した。
「どうしてあなたが私に固執するのか理由が分からないわ。精霊にとって名前は大事なものなのでしょう? リラやリディアのように誰に呼ばれようと気にしない精霊もいるけど、そんな中であなたは特別その名を大事にしていて、他には誰にも呼ばせることをしないのに」
「言っただろう。俺はお前を気に入ってるからだ」
「気に入られるようなことをした覚えはないんだけどね。ましてや私は精霊に好かれる魔力じゃないから、精霊であるあなたからは嫌われそうなのに。愛し子であるヴァイトの方がお気に召すと思うんだけど?」
「大衆に好かれるから俺が好くとは限らない。むしろお前のように独特な魔力を持つ方が好みではあるな」
「ゲテモノ好きってわけね」
自分で言っていて悲しいが、自分の魔力が精霊からはあまり好かれない質であることを少女は嫌というほど分かっていた。
だからこそ迫害され魔女となったのだから。
「まあ、お前の行動が予想外で面白いというのが一番だがな」
「変なことをしたつもりはないわ」
「死を目前にして、死を恐れるより記憶が失われることの方を恐れるのはお前ぐらいだ」
くくくっと嫌みっぽく笑う男を、少女は据わった目で見る。
自分の行動がおかしいと理解しているだけに反論できない。
けれど、男の言うように、死ぬことに関しては不思議と恐れはなかった。
ただ、自分の研究成果が失われること。もう研究できなくなることがなにより心残りとなっている。
「いいから教えてよ。何が違うの、どこが足りないの!?」
「それが人にものを頼む態度か?」
ニヤリと不敵に笑う男を恨めしげに見つめ、渋々その名を口にした。
「シペラス、教えて」
やっと言ったかというように満足げな顔をした男は、先程まで少女が手をつけていた紙に目を向ける。
「違っているのはこの部分だ」
トントンと指先で叩いた魔法陣のある場所。
少女は穴が開きそうなほどじっくりと文字列を確認していく。
「なるほど、ここは確かに私も頭を悩ませてたのよね」
「これを参考にしろ」
男は紙にさらさらとペンを走らせて、それを少女に渡した。
「これだけのヒントがあればお前ならば完成させられるだろう」
渡された紙に目を通していた少女の頭の中で、急速に文字列が完成されていく。
「そうか。ここをああして、あそこを補って、後足りないのはこれか。ありがとう、シペ……」
紙から視線を上げたそこに男はおらず、周囲を見回しても男の姿はどこにもなかった。
「来る時も突然なら、帰る時も突然ね」
やれやれというように苦笑してから、椅子に座る。
「悔しいけど、私も彼に比べたらまだまだね。まあ、精霊と張り合えるはずがないけど……」
その昔、精霊魔法の使えなかった人間に呪術という知識を与えた精霊。
気まぐれで、陰湿で、享楽的な、精霊の中でも浮いた存在。
彼がいなければ魔女という存在は生まれなかっただろう。
十二の最高位精霊、シペラス。
少女が彼に会ったのはそれが最後だった。




