19話 皇帝の黒猫
「よし、皆さん用意はいい?」
「本当に大丈夫かしら……」
「もしまた捕まったら……」
女性達の顔色は優れない。その空気に影響された子供達の顔も不安の色が現れている。泣かずにいるのが精一杯という感じだ。
「大丈夫よ。この天才魔女の作った魔法具を持ってるんだから」
全員の手には身を守るための結界を張る指輪がはめられており、女性だけでなく子供にも様々な形をした攻撃用の魔法具を渡している。
「私が先頭で行くから、あなた達は私が逃した奴らにそれを向ければいいから。大丈夫よ。ここの奴らに目にもの見せて皆で家に帰りましょう」
安心させるようにクルミが笑顔を浮かべれば、女性達が決意を固めたのが分かる。
ここから逃げ出す。という気持ちが見える。
震える手に魔法具を持ち、それでもその目には強い力が宿っていた。
これなら大丈夫かと、クルミも全身にたくさん身に着けた魔法具を確認して、すうっと息を吸ってゆっくり吐いた。
「よし! ナズナ」
「はいな」
ナズナが足の魔法具を発動させて扉を吹っ飛ばした。
鍵を掛けていたようだが、クルミが作った魔法具の前にはまったく意味をなさない。
そっと部屋の外を覗くも人の気配はなし。
それに、まだ船が出航した様子がないのは幸いだった。
さすがに海に出られたらこの船内全てを制圧して港に戻すように仕向けなければならないところだったが、まだ港にいるならここから出て、その足で兵士の詰め所に駆け込めばなんとかなる。
けれど、いつ出航するか分からないので急いで出なければならない。
「全員固まって行動してね。子供達は真ん中よ」
子供達を守るようにしながら地下のその部屋を全員で抜け出した。
引きずられてやって来た道を遡って歩いて行くと、上階へ上がる階段までやって来た。
幸い地下には人がいなかったが、上からは人の話し声が聞こえる。
クルミは振り返って女性達と目を合わせて頷く。
ナズナを先頭にクルミが続き、他の人達が少し距離を置いて後を追い掛ける。
そっと階段を上がる途中、ちょうど階段前を横切ろうとしていた船員と目が合った。
船員は抜け出したクルミを見て驚いた顔をする。
「なっ、お前どうやって……」
それ以上言う前に、ナズナの首にある風の魔法具が発動し男を吹っ飛ばした。
「おい、どうした! ……ぐはっ」
続いて姿を見せた男に向かってクルミは走り出し、肉体強化した腕でアッパーをお見舞いするとのけぞるようにして後ろにぶっ倒れた。
白目を剥いた男を足蹴にして、階下にいる人達を手招きする。
「気を付けて、ナズナに付いていって」
「皆はん、こっちやで~」
先頭をナズナに任せ、女性と子供達の案内を任せる。
クルミは、騒ぎに駆け付けた乗組員に向かって丸い石を投げると、それは地面にぶつかって割れた瞬間に強い閃光を発した。
「うわっ、目がっ!」
「見えねえ」
目が眩んでいる間に、クルミも後を追う。
さらに上に登る階段の手前で、クルミは持っていた魔法陣を書いた紙を床に置き魔力を流して魔法を発動させる。
床から木の枝が勢い良く伸び、枝と枝が絡みつき人が通れないような壁を作り出した。
これで、背後から追い掛けてくることはないと安心して、クルミは先頭に向かって走る。
そこでは、その階にいた乗組員と戦闘になっており、ナズナが水の魔法具で船員を濡らした後、女性の一人が短剣を床に突き立てる。
すると濡れた水を伝って短剣に刻んだ雷の魔法が発動し、濡れた船員に電気ショックを与えた。
バタバタと倒れる船員を目にして、女性は倒せた喜びよりも恐怖が勝ったのか「ヒッ」と怯えた声を出した。
一応死なないレベルに調整してあるので死ぬことはないだろう。……多分。
ちょっと心配だったので確認すれば、痺れて動けなくなっているだけのようだ。
「この勢いでドンドン行こう!」
自分達でも戦えると自信を付けたのか、震えはなくなっていた。
そこへ、クルミを騙してここへ連れて来た元凶の男性が姿を見せた。
忘れるはずもないその顔を見た瞬間、クルミの怒りが頂点に達する。
「ここで会ったが百年目。この恨み晴らさでおくべきかぁぁぁ!」
クルミは腰に括り付けていた鞭を取り出し、男に向かって振り上げた。
厳つい男性はニヤニヤとした顔をしてクルミの鞭を掴もうとする動作をしたが、同時にクルミの別の魔法が発動する。
クルミの足下をよく見ると、靴に魔法陣が刻まれていた。
その魔法陣に魔力を流せば、男の足下から植物のツタがうにょうにょと伸びて男性の足と手をグルグル巻きにしてしまった。
不意を打たれた男性は目を見張り、クルミの怒りが籠もった渾身の鞭をその身に受けてしまう。
「いってぇ!」
「おほほほ、乙女を騙す悪党へのお仕置きよ。うりゃうりゃ」
べしっ、びしっ、と逃げるという目的を忘れて男性へ恨みを晴らす。
「ついでにくすぐり攻撃」
靴の魔法陣にさらに魔力を流してツタを操作し、男の体をくすぐると「ぎゃー止めてくれ!」と今日一番の悲鳴が木霊した。
鞭とくすぐり攻撃でぐったりとした男に満足し、スッキリ爽快な笑顔で脱出組の輪に戻った。
ここを抜ければ甲板に出る。そうすれば、脱出までもう少しと、全員の心に希望の光が宿る。
そうして、階段を駆け上がって甲板に出ると、そこには数え切れないがたいの良い船員が集まっていて、クルミは囲まれてしまった。
「やばっ」
慌てて戻ろうとしたが後ろからドンドン押してくるので戻るに戻れず、結果、クルミ達は甲板で敵に囲まれることになってしまった。
先程まで後もう少しと喜びに満ちていた顔は絶望に変わり、怯えるように女性と子供達は身を寄せ合った。
そんな者達を守るようにクルミは前に立ちはだかる。
予想以上の敵の多さにクルミはどうしたものかと頭を働かせる。
「チッ、多いわね」
思わず舌打ちしてしまったクルミの耳に子供の泣き叫ぶ声が聞こえる。
慌てて後ろを向くと、子供が一人ゴリマッチョな男性に捕まってしまっていた。
その手には剣が握られており、子供の首に突きつけられている。
「なんで、指輪を渡してたはずなのに……」
指輪の効果があれば危険を感じれば身を守ってくれるはずであった。だが、その子供の指にそれがないことに気付く。
「指輪はどうしたの!?」
「さっき落としちゃったのよ!」
女性の一人がそう叫ぶ。
「なんてこと……」
クルミは分が悪くなったことを悟る。
「手間掛けさせやがって、大人しく戻るんだな」
「卑怯者」
子供を盾にされては、さすがのクルミも手が出せない。
「わいが、男を攻撃しましょか?」
「駄目よ、子供も巻き込むわ」
ナズナとクルミは、ぼそぼそと喋りながら何か良い案はないか視線を彷徨わせる。
その時。
ドーンと、大砲を撃つような音がした後、大きな鉄の玉が飛んできて帆を破壊してしまう。
バキバキと音を立てて帆を支えていた柱が倒れてきて、敵味方関係なく慌てて逃げる。
クルミはこの隙にと囚われた子供を見ると、なんということだろう……。
子供を捕らえていたゴリマッチョにたくさんの精霊が張り付いていた。
「な、なんだ、体が動かねぇ……」
「でしょうね」
ゴリマッチョには精霊が見えていない様子。
恐らく魔力がないのだろう。
なので、子泣きじじいのごとく張り付く精霊によって体が拘束されていることが分かっていないようだ。
ある意味見えていなくて良かったのかもしれない。
あんな大量の精霊に張り付かれたら夢に出る。
精霊によって手が緩んだのか、子供が隙を突いてその手から逃れる。
女性の一人が子供を抱き上げて、クルミ達にほっとした空気が流れた。
そこまでは良かったのだが……。
「まったく、クルミは困った子だね」
この聞き覚えのある声。
途端にクルミの顔が引き攣る。
魔王が来るよ~。魔王が来るよ~。
お父さん、お父さん~。
今クルミの頭の中ではシューベルトの代表曲が大音量で流れている。
「クルミ? 無視はいけないよ」
油を差し忘れたからくり人形のように、ギギギと振り返ると、怖いほどに満面の笑顔をしたシオンが立っていた。
「シオン、なんでここに……」
「決まっているじゃないか。僕の可愛い黒猫が逃げ出したから迎えに来たのさ」
「ひぇ」
逃げ出そうとするクルミはすぐさまシオンに捕獲された。
そうこうしていると、甲板にはいつの間にかアスターを始めとした帝国の兵士が雪崩れ込んできており、次々に船員が捕まえられていく。
「わざわざ目を付けていた船に乗るなんて、本当にクルミは運が良いね」
「運が悪いの間違いでは……」
アスターと目が合ったので、助けを求める眼差しを向けたら視線をそらされた。
諦めろと言われているようで悲しい。
とりあえず、クルミは気になったことを聞いてみる。
「目を付けてたって、どういうこと?」
「この町では度々人が消えていてね。それを調査する過程でこの船が怪しいと目を付けていたんだよ。証拠が集まったから、現行犯で逮捕するために調査兵に見張らせていたらそこにのこのことやって来たのがクルミということさ。それで、すぐに私の所に報告があったんだよ」
「つまり、最初からシオンの手の内にあったってこと?」
「そういうこと」
「やっぱり、運が悪いじゃない。どこが良いのよー!」
「何言ってるんだい。調査兵がいなかったら今頃クルミは海の上。そのままどこぞの国へ売られていたかもしれないんだよ?」
「うぐっ」
確かに、少し……いや、かなりマズい状況であったので、シオンと兵士の存在は運が良かったと言えるのかもしれないが、クルミは意地でも言いたくなかった。
「さあ、帰ろうか」
「い~や~だ~」
ひょいっと抱き上げられてしまえば、クルミに抵抗の術はない。
いっそ、魔法でも叩き付けてやろうかと思ったが、すぐ側に精霊がいる。愛し子に怪我でもさせたらクルミの方がえらいことになる。
結局、何も反抗することもできずドナドナされることになるのだった。
帰るための馬車に乗る寸前で足を止める。
「あっ、シオン、捕まってた人達だけど……」
「大丈夫だよ。ちゃんと兵士が責任持って家に返すから」
「それなら良かった」
正直、最初から捕まえるつもりだったのなら、クルミがしたことは無駄だったのかもしれない。
逆に危険な目に合わせてしまったかもしれないと後悔していた。
しかし、そんなクルミに声が届く。
「お姉ちゃーん。ありがとう!」
「ありがとうございます!」
クルミに向かって深々と頭を下げる女性達と、大きく手を振ってくる子供達に、クルミは笑顔で手を振り返した。




