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18話 魔王降臨



「酷いぃ、あんまりだ!」



 最近のクルミはと言うと、彼氏に浮気され、友人に彼氏を取られ、異世界に転移し、村人に売られそうになり、魔王に捕まり、そして再び騙されて売られようとしている。


 こんな波瀾万丈な女子高生がいていいものか。



 クルミが嘆いていると、そっと肩に誰かが触れた。


 ビクッとしたクルミは思わず「誰!?」と叫ぶ。

 部屋の中には灯りが一つもなく、頼りは扉の小さな明かり窓からの光だけ。

 部屋の大きさも、何があるのかも見えないが、しばらくすると目も段々慣れてくる。


 そこには、二十人ほどの女性と子供の姿があった。



「大丈夫?」



 そう声を掛けてくれたのは、まだ若い女性だ。

 暗くて容姿や表情までは分からないが、弱々しい声をしている。



「あなた達は?」


「私も他の皆もあなたと同じく捕まったの。私は人手が足りなくて仕事ができる女を捜してるからどうだって。破格の金額だったし、この船は上流階級御用達で信用もあったから信じてしまって、付いてきたらここに」


「私もよ」


「私も同じように連れてこられて……」



 次々に女性が同意する。

 


「僕も。仕事をくれるって言うから付いてきたら、ここに閉じこめられたの」



 そう言った男の子は、今にも泣き出しそうに嗚咽を我慢している。

 それを、近くにいた女性が抱き締めてなだめている。



「まさか人身売買の組織だったなんて……」


「確かにこの町は随分前から人がいなくなるってことが頻発してたのよ。だけどまさか、この船が関係してるなんて……」


「そう」



 最初はシオンの魔の手がここまで……。などと思ったりもしたが、どうやら全く関係のない普通の犯罪に巻き込まれてしまったらしい。

 随分前から人がいなくなっていたとは、いったいこれまでにどれだけの人達が売られたのか。



「何してるのよ、シオンは」



 頭の中にシオンの顔が浮かぶ。この国の皇帝であるシオンの顔が。

 こんな犯罪を取り締まるのはシオンの役目であろうに。

 自分で遊ぶ前に仕事しろと、クルミは怒りを感じる。



「主はん、どうするんでっか?」



 魔力の消費を抑えるため言葉少なにクルミに問い掛ける。

 はっきり言うと、クルミだけならなんとかなる。

 そう、クルミだけなら。

 けれど……。



「私達このまま売られてしまうのかしら……」


「そんなの嫌よ!」


「お母さん、お父さん……」



 絶望の色に染められているこの人達を追いていくことは後ろ髪を引かれた。

 どうしたものか……。



「うー……見捨てるのは後味が悪いのよね」



 これだけの人数を全員助けるとなると、かなりの危険を伴う。

 だが、捨ててはいけない。

 放っておけばこの人達は確実に国外に連れて行かれ売られてしまうだろう。



「……とりあえずこの魔封じをなんとかするか」


「できるんでっか?」


「私を誰だと思ってるのよ」


「けど、魔力使われへんのに」



 すると、クルミは不敵な笑み浮かべ、ポケットに手を入れた。そこから取り出したのは手のひらに納まるほどの大きさの魔石だ。



「こんなこともあろうかと別で持ってたのよね」



 空間は魔力がなければ開けられないので、ポケットに入れていて正解だった。



「どうやらこの魔封じも魔法具の一種。なら天才魔女様の得意分野よ」



 部屋の中を探して、何か書けそうな物がないかと探すと、釘を発見した。

 それを使い、木の床をガリガリと削るように魔法陣を書いていく。


 他の人達は不思議そうにそれを見ている中、魔法陣を書き上げた。

 この魔封じは常時魔力を吸収する作用を持っている。それは、前世で弟子が作った精霊殺しの魔法にも似ている。

 強制的に魔力を吸収するのだ。なら、その吸収された魔力はどこへ行くのか。

 この魔封じに蓄積されているのか放出されているのかまでは分からなかったが、その魔力の流れを変え手枷自体を攻撃するように書き換えればいい。


 床に書いた魔法陣の上に魔石と両手を乗せ、魔石の魔力を流すと、床の魔法陣が淡い光を発して手枷へと伸びる。

 ゆらめく光の中、手枷がバキリと音を立ててひび割れ、そこから真っ二つに壊れ落ちた。



「ふう……」



 解放された手首を無意識にさすると同時に、ナズナとの魔力の繋がりが復活したのを感じた。

 ナズナもそれを感じたのか、「よっしゃー」と喜んでいる。



「さてと、お次は……」



 クルミは先程使った魔石が残っていたので、それで光を灯すと、ようやく部屋にいる人達の顔がはっきり見えるようになった。

 彼女達にクルミは問い掛けた。「私はここから逃げるけど、あなた達はどうする?」と。


 ここにいるのは若い女性と子供だけのようだ。

 彼女達は困惑を隠せない様子で互いに顔を見合わせた。



「逃げるって言ったって……ねぇ……?」


「そんなの無理に決まってる」


「そうよ、すぐに捕まってしまうわ」



 二の足を踏む彼女達の気持ちはよく分かる。

 何せ相手は先程のような厳つい男性なのだ。きっと他にも仲間はいるだろう。

 そんな相手に対して、戦う術を持っているようには見えない女性と子供が太刀打ちできるはずがない。怖いと思うのは普通の感情だ。


 けれど、クルミはそんな気持ちなど切って捨てる。



「じゃあ、このままここにいるの? ここにいたらさっきの男が言ってたように売られちゃうのに?」


「それは……」


「じゃあ、どうしろって言うのよ!」

 


 逃げたい。けれど、逃げ出す力はない。

 そんな葛藤に揺れる彼女達に、クルミはにっこりと微笑む。



「まあ、この私に任せなさい」

 


 そう言うと、クルミは空間から紙とペンと魔石を取り出した。

 そして鼻歌交じりに、まるで料理を楽しむかのように魔法陣を書いては魔石に刻み魔法具を作っていく。


 それを女性達は呆気にとられたように見ているしかなかった。



「ふふーん。これで意識奪って、これでとどめを刺して……」


「なあなあ、主はん。少し前に作った、ちゅどーんってするやつもええんちゃう?」


「あら、いいわね。悪党に手加減なんて必要ないものね」


「そやそや、必要ないない」



 ニヤリと、主と使い魔はあくどい笑みを浮かべた。



「あ、あの、何をしようとしてるの……?」



 意を決したように一人の女性が声を掛けると、クルミは女性ににっこりと笑ってその手に指輪を乗せた。



「これは?」


「身を守ってくれる魔法具よ」


「魔法具!? あなたは魔法具士なんですか?」


「似たようなものかな。これを使って、皆で逃げましょう。大丈夫よ、私の作る魔法具の性能は確かだから」



 クルミは全員に指輪を渡していく。

 けれどそれでは終わらない。指輪はあくまでその人自身を守るためのものだ。守るだけでは逃げ出すことはできない。というか、クルミの腹の虫がおさまらない。



「徹底的に潰してやるわ。臭い足洗って待ってなさいよ、ふははは」


「主はん。悪党より悪党な顔してるでー」 




***




 時は少し遡る。

 私室にて夢の中にいたシオンは、部屋のノック音で目を覚ました。



「入って」



 ゆっくりと身を起こすと、焦りを隠しきれない顔で女官が入ってきた。

 それはいつもクルミに付けていた女官の一人だ。



「クルミがどうかした?」


「そ、それが……」



 言いづらそうにする女官は、突然その場に平伏し謝罪を口にした。



「申し訳ございません! 黒猫様がどこにもいらっしゃいません」


「どこにもいない?」


「はい。朝お部屋に起こしに参りましたらベッドはもぬけの殻で、ベッドの中は冷たく、かなり前からいらっしゃらなかったと思われます」


「庭に散歩にでも出てるんじゃないの?」


「扉の外に配置された兵士からは黒猫様は出てきていないと。ですが念のため庭や、他にも黒猫様がいらっしゃいそうな所を捜したのですが見つけられず。現在皆でお捜ししているところです」

「おかしいな……」



 クルミには常に精霊を付けていた。

 さすがに部屋の中まで監視するのは可哀想だと窓の外に配置してあった。

 扉は兵士が警備を兼ねて常に立っているので、クルミが出てくればすぐに分かる。

 精霊には、クルミが部屋から逃げ出したらすぐに報告するようにとお願いしていた。


 そう、お願いだ。


 たとえ愛し子と言えど精霊に命令することはできない。

 けれど、下位精霊ならば愛し子のお願いならば、何としても叶えてくれようとする。

 今まで、シオンのお願いが叶わなかったことも人間のように裏切るようなこともなかった。

 そんな精霊からの報告は一切ない。

 どういうことか分からないシオンはとりあえずクルミの部屋へ行くことにした。


 シオンの部屋から目と鼻の先にある妃の部屋。

 本当は正妃の部屋に入れたかったが、さすがにクルミからの了承もない内は止めておけとアスターに言われたので仕方なく譲歩したのだ。

 それでも、クルミの部屋は宮殿の中では正妃の部屋に次ぐ豪華な部屋である。 


 なのに、本人は不服そうであるのがシオンには理解できない。

 衣食住全てにおいて最高級のものを取りそろえているというのに、クルミはヤダカインに行くことに固執している。


 別にヤダカインに行きたいと言うなら連れて行ってあげるというのに、クルミがシオンに願うことと言ったら、ここから出ていくということだけだ。

 嫌なのはシオンか、宮殿か、はたまたその両方かもしれないが、そんなに嫌なのかと少し不満であるものの、シオンがそれを表に出すことはない。


 逃げ出そうと足掻くクルミを見ているのも楽しくて仕方がないのだ。

 それをアスターに言うと、決まって「どうしてこんな性格悪く育ったのやら」と、まるで息子の反抗期に悩む母親のようなことを言い出す。

 クルミはアスターのことをしきりにオカンと呼ぶが、あながち間違ってはいない。



 クルミの部屋に行くと、女官の言った通りそこはもぬけの殻。

 少しすると、報告を受けてやってきたアスターも姿を見せた。



「わー、マジでいない。とうとうやったか、クルミの奴」


「…………」



 無言のシオンが何気に怖い。

 アスターは恐る恐る声を掛けた。 



「あ、えーと、シオン?」


「ねぇ、アスター。おかしいと思わないかい?」


「な、なにが?」


「僕は精霊にお願いしてたんだ。クルミを見張るようにと。それなのに……」



 スッと視線を向けたそこには、窓の外からこちらを窺う精霊達がいた。

 シオンは窓を開けて精霊を室内に入れた。



「どうしてクルミがいなくなったことを報告しなかったのかな?」



 笑みを浮かべつつも隠しきれないシオンの怒りにも、精霊達は怯えることはなく通常運転だ。



『だってぇ、リラ様が話しちゃダメって』


『そうなの~。リラ様がクルミを捕まえちゃダメって言ったの~』


『シオンにも内緒だってー』


「リラ様?」


「誰だ?」



 シオンもアスターも聞いたことのない名前に疑問符を浮かべる。



『リラ様はリラ様なの~』


『花の最高位精霊様なの~』


『凄い方なの~』


「最高位精霊……」



 アスターは最高位精霊と聞いて絶句している。

 それも仕方がない。最高位精霊とは人の前に姿を現すことはほとんどない。



 竜王国の愛し子は複数の最高位精霊と契約していると聞くが、普通は一生かかっても目にすることがない者がほとんどだ。

 そんな伝説級の最高位精霊がクルミの味方に付いたということか。それならばさすがの愛し子と言えど、最高位精霊相手では手も足も出ない。



「くっくっく」



 突然笑い出したシオンに、アスターは何を笑っているのかと顔を見たが、見たことを後悔した。



「お馬鹿で可愛いクルミ。最高位精霊を出してきたぐらいで僕から逃げられると思ってるのかな?」



 その顔に浮かぶ笑顔は目が笑っておらず、放つ威圧感はまさに悪の帝王。



『わー、魔王だー』


『魔王が降臨したぞー』


『ひかえおろう』



 きゃっきゃっ笑っている精霊と静かに怒りをほとばしらせているシオンの光景はまさにカオス。

 女官や兵士は気配を消して少し距離を取り、アスターは魔王に目を付けられた憐れな黒猫を思って静かに合掌した。




 それからのシオンの行動は早かった。

 すぐに隣町の港を封鎖するように指示を出したのだ。

 ヤダカインに行きたがっていたクルミ。

 ヤダカインに行くためにはその港を経由しなければならないことを分かっていたからだ。


 これで船はこの帝国から出ることはできない。


 くしくも、この判断が他国に売られようとしているクルミの乗った船を港に繋ぎ止めておくことに一役買ったことをシオンが知ったのは少ししてからだ。



 その報告が入ってきたのは、港の封鎖を指示してから間もなくのこと。



「クルミが?」


「はい。もとより目を付けていた奴隷船に入っていくのを調査兵が目にしたと」



 かねてより港町で問題となっていた事件。


 先代皇帝の頃より港町で人知れず人が消える事案が度々発生していた。

 その事件に対して調査を命じていたのだが、ようやくその尻尾を掴むことができたのはつい最近のことだ。


 港で人を騙して、船に乗せて国外に連れ去り奴隷として売る。

 帝国では禁じられている奴隷の売買を行っていたのは、表では上流階級を顧客にした客船だった。

 帝国貴族の中でもその船を御用達にしている者は少なくなく、それ故貴族との繋がりもあったために慎重な調査が行われていた。


 けれど、ようやく証拠も集まり、そろそろ摘発をしようかとしていた矢先のことだった。



「ふーん、ならちょうど良いじゃないか。ついでに奴隷売買に関わってる奴らも捕まえてしまおう」



 侍従に準備をするように指示を始めたシオンに、アスターが焦りを滲ませる。



「おいおい、まさかお前直々に行くつもりか?」


「当然じゃないか。僕の黒猫なんだから僕が迎えに行かないとね。アスターは摘発のための兵士の準備を頼むよ」


「……分かった。駄目だって言ったってお前は聞かねぇからな」


「僕をよく分かってるじゃないか。皇帝としての命令だ。すぐに準備を」



 苦虫をかみつぶしたような顔をした後、「御意」と一礼してアスターは部屋を出て行った。



「まったく困った子だね、クルミは。僕をこんなに振りまわせるのは君ぐらいのものだ」



 その顔に不敵な笑みを浮かべてから、シオンも準備に取りかかった。

 大事な可愛い黒猫を迎えに行くために。






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