16話 リラ
この世界にはたくさんの精霊がいる。
精霊は世界の管理をしている。
人如きではとても手が届かない強い力と影響力を持っている。
それこそ国一つなど一瞬でどうにでもしてしまえるほどに。
そんな精霊に産まれながらに好かれる魔力を持つ者が時折産まれる。
それが愛し子であり、その存在が見つかると、大抵は国が保護し、危険のないよう大事に扱われる。
それは愛し子を守るためであると同時に被害を周囲に出さないためだ。
精霊は愛し子をとても大事にしており、愛し子の感情に左右されやすい。
そんな愛し子を巡って国同士が争うことも過去にはあった。
そんな争いに巻き込まれ傷付いた愛し子により精霊が怒り、世界から消え去った国は一つや二つではない。
最悪な事態を起こさないためにも保護は最優先事項なのだ。
そしてそんな精霊には位がある。
下位、中位、上位、そして最も位の高い最高位の精霊。
最高位は十二の精霊しか存在せず、その姿を目にすることは滅多にない。
シオンの周りにいる小人のような精霊達は下位の精霊だ。精霊の中では力も弱く性格も子供っぽい故、行動も愛し子であるシオンに左右されやすい。
そんな最も弱い精霊ですら、集まれば国をどうにかしてしまえる力を持っているのだから、いかに精霊が世界を牛耳っているか分かるというものだ。
そんな中で最高位というその精霊達は他の精霊より強い自我と理性、そして強い力を持っている。
基本的に下位の精霊は自分より上位の精霊には逆らわない。
愛し子と上位の精霊との命令が同時にあった場合優先するのは上位の精霊の命令だ。
いかに愛し子と言えど、精霊を越えることはできない。
つまり、最高位の精霊の協力を取り付ければ、シオンにより命じられてクルミを監視している精霊達を退けることができる。
「完璧な計画だわ」
クルミは自分の計画を信じて、シオンに負けない悪い顔をして笑っている。
「そんなうまいこといきますかいな?」
「いかせるのよ」
いつも以上に気合いの入ったクルミは、早速空間の中に入った。
「リディアー! いる~?」
少しその場で待ったが、シーンとした沈黙が落ちる。
「おーい。いないのー?」
その後も何度か呼び掛けたがリディアが姿を見せる様子はなかった。
リディアは十二いる最高位精霊の一人。
なのでリディアに協力を願おうとやって来たのだ。
しかし、姿を見せないのでは頼みようがない。
「どうするんでっか?」
「うーん、仕方ない。出直すか」
この空間の中は、生き物が長くいると精神に悪影響を及ぼす。へたすると廃人だ。
ここで待ちたい気持ちはやまやまだが、廃人にはなりたくない。
ヴァイトのようにリディアと契約していたのなら長居もできたが、今リディアは竜王国の愛し子と契約をしているらしいので仕方がない。
精霊とは縁が薄いクルミは元々期待していなかったのでそこは問題ない。
祝福をくれただけで御の字だ。
気になるのは、前世で色々と作った少々問題ありな魔法具がヴァイトからその愛し子に渡ったかと思うと、怖いようなどんな反応するか見てみたいような複雑な気分だった。
なんにせよ、リディアと話せないのなら出直すしかないと、肩を落としてクルミは空間を後にした。
部屋に戻ってゴロゴロしていると、ノックもなく扉が開いて入ってきた。
一応皇帝のお妃としてこの宮殿にいるクルミの部屋に了解もなくズカズカ入ってこられる無礼者は一人だけだ。
「やあ、クルミ。脱走計画は順調にできているかい?」
「出たな、魔王め」
「いやだな、旦那様に向かって魔王はないだろう」
「誰が旦那だ!」
「そうなる運命だからだよ」
「そんな運命、ノーサンキューです。どこぞの令嬢に熨斗付けてくれてやるわ」
クスクスと笑うシオンは、打てば響くようなクルミの反応を楽しんでわざと怒らせているかのようだ。
妃だなんだと言いつつ、シオンがクルミに対して手を出してきたり、そういう男女の空気を出したことはないのが証明だ。
シオンにとっては楽しい玩具か、ペットの延長線上なのではないかとクルミは思っている。
「皇帝様がこんな真っ昼間にサボってていいの?」
「妃のご機嫌伺いは十分皇帝に必要な仕事だよ」
最初はほとんどの時間を執務室で過ごしていたシオンだが、ここ最近は仕事をしている姿より、クルミをからかいにクルミの部屋に居座ることの方が多くなった。
これでこの国は大丈夫なのかと、部外者のクルミが思わず心配してしまうほどだ。
けれど、それを誰かが咎めることはなかった。
まあ、愛し子でもあるシオンに物申す勇者はそういないだろうが、普段は口を酸っぱく叱り付けるアスターすら何も言わなくなった。
今も、後から部屋に入ってきたアスターは咎めることはなく、ティーセットを持ってお茶の準備を始めてしまった。
本当は女官がする仕事なのだが、このメンツだといつも女官を部屋に入れずアスターが全てをしてしまう。
まあ、自分から率先してするだけあって、アスターの入れるお茶は絶品なのでクルミも文句はない。
「本当に仕事いいの?」
「ああ、問題ない。むしろ今までが忙しすぎただけだからね。本来愛し子が政治に関わるのはよくないんだ」
クルミは意味が分からず首を傾げた。
「でも、皇帝でしょう?」
「なし崩し的にね。クルミは数千年のブランクがあるから、今の世界や帝国のことは知らないか。随分昔にね、帝国、竜王国、霊王国、獣王国の同盟している四カ国での話し合いで、愛し子を政治には関わらせないようにと決め事をしたんだ。愛し子が政治に絡むと誰も反対意見を出すことができなくなって独裁になって国を荒らしてしまいかねないからってね」
「でも、あなたは愛し子なのに皇帝じゃない。政治にも関わりまくってる」
まあ、国民からの支持を聞く限りでは、シオンの治世は荒れていないことがすぐ分かるが。
そう言うと、シオンはこの帝国の歴史を話し始めた。
「そう、本来あってはならないことだ。けれど仕方がなかった。皇帝の椅子に座ることのできる者が僕しか残らなかったから」
「どういうこと?」
「少し前に先代の皇帝が亡くなった。それにより始まったのが、血を血で洗う兄弟達の後継者争いだ。愛し子である僕は関係がなかった。だから高みの見物を決め込んでいたら、兄弟同士が相打ちして、六人いた兄達は全員死亡。後を継ぐ者がいなくなったんだよね」
「でも、近い親戚とかいなかったの?」
「そいつらも、兄弟の誰かの派閥に入っていて、同じように死ぬか、家が支持する皇子を皇帝にするために表には出せないやましいことを行ってた。そんなやつを上には立たせられなくてね。で、結果継承できる血の濃い者が僕しかいなくなって継ぐ羽目になったってわけさ。言わば次の皇帝が産まれるまでの中継ぎだ」
「うへぇ」
シオンは軽い調子で話しているが、けっこう凄いことを言っている。
「ただ、四カ国の間での取り決めがあるから、しばらくは僕が皇帝として国を継ぐけれど、できるだけ政治は民主制を重んじて、あまり口を出さず臣下に任せる。けれど、任せすぎて誰か個人の力が強くなると困るからその辺りの調整が大変なんだよね」
「じゃあ、最近暇そうに人の部屋に来てるのは?」
「その内乱での後片付けが大分処理できたからね。後は臣下に任せて、僕は臣下が変なことをしないように監視して、たまに口出すぐらいだ」
「ふーん、そういうこと」
いつもニコニコ笑って人をからかっているが、何気に重い過去を持っていたのかと、クルミは少しシオンを見る目が変わった。
「すべきことはあらかた片付いた。だからサボっていても文句を言われないのさ。……僕が後すべきことは後継者を作ることだけ」
クルミに近付いてきたシオンは、ベッドに腰掛けていたクルミの肩をトンと押した。
ベッドの上に倒れることになったクルミが文句を言う前に、シオンがその上から覆い被さってくる。
「クルミが産んでくれるかい? 次の皇帝を」
色気をぶわりと発して、クルミの頬を撫でるその手は怪しげで、ぞくりとした。
「ふぎゃあぁぁぁ! オカーン!!」
クルミは覆い被さるシオンを突き飛ばして、アスターに助けを求めて飛び付いた。
すると、「あははははっ」と、それは愉快そうにシオンは声を上げて笑った。
未だかつてないほどツボに入ったのか中々笑いが収まらないようで、苦しそうにお腹を押さえている。
そんな様子を、クルミはアスターの背に隠れながら据わった目で見ていた。
「くっ……そのまま笑い死にしてしまえ、このいじめっ子めぇ」
「シオン、程々にしとかないと嫌われるぞー」
「それは困ったな。けど、クルミの反応が予想通りで……あははっ」
笑い声はまだ止まらない。シオンの予想通りの反応をしてしまったクルミは悔しくて歯をぎりぎりさせる。
「絶対にここから逃げてやるんだから!」
「はいはい。できるといいね」
「くぅ……」
***
「早く出て行かないと、おちょくられたままで一生が終わっちゃうわ」
「なんや、ええ方法ないかいなぁ」
あの後、もう一度空間に入ってリディアを呼んだが出て来なかった。
何か出て来られない事情か用事でもあるのだろう。
契約者でもないクルミが文句を言えた立場ではないが、タイミングが悪すぎた。
「どうしたものか……」
あれやこれやと考えながら外をぼんやりと見てい。
外は庭園になっていて、セリオーズという国の紋章にもなっている薔薇によく似た花が咲き乱れていた。
庭師によって丁寧に手入れのされた芝生が敷かれた庭園は、思わず寝っ転がって日なたぼっこをしたい衝動に駆られる。
そんな芝生に、一本の花がぴょこんと飛び出ていた。
庭師に毎日手入れをされているはずなのに、庭師が見逃したのだろうか。
雑草のようなその花は右に左にぴょんぴょん動いている。
風はあるが、あそこまで激しく揺れるほどではない。
それに、あの花にはもの凄く見覚えがあった。
「まさか……いや、まさかね。……けど、予想通りだったら」
クルミは勢い良く立ち上がり部屋を飛び出した。
「えっ、主はん!?」
慌ててナズナも後を追う。
庭園に降りてきたクルミは先程の花を探し回る。
「たしかこの辺りに……いた!」
そこには、部屋から見えていたように緑の草と共に花が飛び出していた。
クルミはその花を草ごと握り締める。そして、一気に引き抜いた。
ズルリと出てきたのは普通の根ではなく、人型の何か。
それは引き抜かれ太陽を浴びた瞬間、悲鳴を上げた。
「ヒィィィィ!!」
あまりのうるささに、クルミはそれを落っことし、空いた手で耳を塞いだ。
「うるさーい」
「なんでっか、それ!」
超音波のような声は耳の奥を直撃し、キーンと耳鳴りを残した。
使い魔であるナズナはなんともないが、クルミはくらりとした。しかし、そんなダメージよりも、それが予想通りだったことへの嬉しさが上回った。
「リラ!」
落としたそれを手に乗せてクルミがそう呼ぶと、それはキョトンとした顔をする。
「あー、お久しぶりです、賢者さん」
「やっぱりあなたリラね」
「はい、リラですよ」
マンドラゴラの姿をして、花の最高位精霊のリラは特に感激するでもなくぺこりと挨拶した。
花の精霊リラは、十二の最高位精霊の一人。
そして、ヴァイトと契約していて前世ではクルミと親交があった顔馴染みである。
「本当に帰ってきてたんですね。リディアから聞いて信じられなかったです」
「まあ、それは同感だけど、こんな所にリラがいる方が信じられないわよ」
「より良い土を求めてたらここに辿り着きました。……話がないならもう埋まっていいですか?」
「ちょっと待った!」
先程空いた穴に再び埋まろうとしているリラを掴む。
「協力して欲しいの。どうしてもあなたの力が必要なのよ」
「ごめんなさい。私はそれより土に埋まっていたいです」
このリラは究極の恥ずかしがり屋で、いつも土に埋まっていたがるのだ。
「協力してくれないと、このまま宮殿内を練り歩いて皆に見せて回るわよ」
「ヒィィ、そんなの恥ずかしいぃぃぃ!」
「だったら協力してくれるわよね?」
精霊を脅すなど、精霊信仰の信者に見られたら無礼者! っと無礼打ちされそうなものだが、今のクルミは手段を選んでいる場合じゃない。
使えるものはなんでも使う。
「協力すれば埋まっていいですか?」
「うんうん」
「分かりました」
グッとクルミは拳を握った。
「ほほほほ、ようやくツキが巡ってきたわよ! 打倒魔王! 目に物見せてくれるわ」
「ほんまにうまくいくんかいな?」
高笑いするクルミを見ていたナズナは不安そうにそう呟いた。




