13話 皇帝陛下
猫になりきったまま、シオンと共に寝て、起きる。
年頃の乙女として添い寝は拒否したくて大暴れしたが、思ったよりシオンの力が強くて力尽きた。
寝起きのシオンは眼福の美しさと色気をまとっており、普通の女子ならば鼻血を吹いていたかもしれない。
しかし残念ながら人間不信に拍車が掛かってしまったクルミにシオンの色気は通じなかった。
むしろ、この容姿でどれだけの女性を食い物にしてきたのかと警戒心が増した。
クルミに用意された猫用の朝食……とは言え庶民が食べる物より美味しい食事を取ったら、なにやらアスターがクッションの入った籠を持ってきた。
「ほらほら~。猫ちゃんこっちに乗ってみな」
どうやらクルミのためのベッドを用意してくれたようだ。
前足でフカフカのクッションの感触を確かめてその上に乗って丸くなる。
ほどよい弾力とフカフカの感触にクルミはご満悦だ。
こんなことをしていると本当の猫になったような気がしてくる。
しかし、怪我をした腕にはこのクッションは柔らかくちょうど良かった。
「気に入ったようだな」
ニカッと歯を見せて笑うアスターは、どうも世話好きな性格をしているよう。
昨日から見ていると、なんだかんだと文句を言いながら甲斐甲斐しくシオンの世話を焼いているのだ。
やれ、食事の前には手を洗えだの、好き嫌いはするなだとか。今も怪我をしたクルミのために柔らかいベッドを持ってきてくれる。
アスターのことをオカンと心の中で呼んでいるのは秘密である。
「ところでこの猫の名前なんだ?」
「うーん、まだ、ね」
意味深な微笑みを浮かべるシオンに、アスターはうろんげな顔をした。
「また良からぬことを企んでるんじゃないだろうな?」
「人聞きの悪い。考えすぎるとハゲるよ」
「冗談にならねえ冗談を言うんじゃねえよ。俺の親父もじいさんもハゲてるの知ってるだろ!」
「なら、アスターが仲間に入る前に効果的な毛生え薬が開発されるのを祈っておくよ」
「本当にお前って性格悪い……。国民にお前達は騙されてるんだと教えてやりたいよ」
「褒め言葉と受け取っておくよ。さて、そろそろ帝都に帰ろうか」
「もういいのか?」
「ああ。ここで調べるべきことは調べた。僕の目を掻い潜っておいたをした奴にはお仕置きをしないとね」
天使のような優しげな微笑みなのに、背筋が凍るような薄ら寒さを感じる。
クルミは思わず身震いした。
なんだか頼ってはいけない人に頼ってしまったような気がしてならない。
傷付いた猫を助けるような心優しい人なのだし、そんなことはないとクルミは自分に言って聞かせた。
クルミは籠に入ったまま運ばれ、シオンと共に馬車の中に。
これまた豪華な造りと内装に感心する。
やはり愛し子だから国に保護されているのかもしれないと思うも、それならばどうしてこんな気安く出歩いているのかという疑問もある。
見たところ護衛らしき人物はオカン……もとい、アスターしかいない。
まあ、精霊がいるので身の安全は保証されているようなものだが、人間のほとんどは精霊が見えない。
それは他の種族に比べ魔力が少ないからと言われている。
魔力があっても、精霊と相性が悪くて見えないという例外な者もいるにはいるが、圧倒的に人間は精霊を見える者が少ないのが現状だ。
それでも多くの国は精霊の存在を信じ、信仰している。
なので愛し子へ害をなすことがどんな結果を起こすかは犯罪者でも分かっているが、見えない故に、シオンのことを愛し子と分からず襲ってくる者がいないとも限らない。
はっきり言って、不用心だ。
しかし、当のシオンはそんなことは関係ないというように旅を楽しんでいるように見える。
警戒しているアスターが馬鹿なほどにリラックスしていた。
クルミの入った籠を膝の上に置いて。隣の座席に置けばいいものを。そこにはシオンのクルミへの執着心が垣間見えるようだった。
それを見ていたアスターは何やら苦い顔をしている。
「お前本当にその猫が気に入ったんだな」
「だから言ってるじゃないか。この子は特別なんだ」
「捨て猫だろう? どこにお前の興味をそんな惹くことがあったんだか」
「この子といるとなんか楽しいことが起こりそうな予感がするんだよ。退屈な日常が愉快なものになりそうな予感が」
そう言ったシオンの目はとても楽しそうに輝いている。
「なんかその猫が憐れに思えてきたかも。お前みたいな奴に目を付けられるなんて」
「失礼な。ちゃんと可愛がるよ、ちゃんとね」
よしよしとクルミは撫でられた。猫じゃないのにと思いながらも、親にも撫でられた記憶のないクルミにその行為は新鮮だった。
あまり嫌な気はしなかったので、されるがままになっている。
そんな状態にありながら、クルミは意識を外に向けており、馬車の後方からナズナが付いてくる気配を感じ取っていた。
ちゃんと付いてきているようでほっとする。
ナズナは使い魔なので、魔力がなくならない限り動き続けることができる。
途中で力尽きる心配がないので、その点は安心だ。
そうして、途中の町で宿に泊まったりしながら数日を掛けて、帝都まで辿り着いた。
その間にバレることはなく可愛い猫で通せたが、ペットと思っているシオンのスキンシップが多いのが目下の悩みだ。
頭を撫でられるぐらいなら問題ないが、頬ずりしてきたり、果てはキスしようとしてきたりするので必死で抵抗する。
しかし、そんな抵抗する姿すら可愛い……というか面白がられている気がする。
わざと嫌がらせをされているのではないかと深読みしてしまうほどだ。
まだ完治とはいかないが、怪我の方は大分ましになった。
帝都に着いたことだし、そろそろ逃げ出すことを考えなければならない。
これまで毎日甲斐甲斐しく怪我の手当てをしてくれたシオンにお礼も返せずいなくなるのは悪いとは思うが、人間でしたなどと言うわけにもいかない。
騙したと無礼打ちされたら目も当てられない。
しかし、もう少し傷の具合が良くなるまではご厄介になろうかと、そのまま馬車に乗っていた。
四大大国の一つと言われる帝国だけあって、馬車から覗いた帝都の町は活気があり、人口も多いように見える。
ぜひとも竜王国に向かう前には帝都を散策したいものだと、クルミは興味津々に外の風景を見ていた。
愛し子であるシオン。
恐らく国に保護されているのではないかという予想は当たり、馬車は帝都の中央にある宮殿を目指していた。
ヨーロッパを思わせる宮殿は異世界に来たというより海外旅行に来たかのような気分の方が正しいかもしれない。
町中でも亜人や獣人の姿を見つけられなかったせいもあるだろう。
まあ、亜人は動物の姿の名残を残した見た目をしている獣人と違い、人間と変わらない姿に完全に変化できるので一見しただけでは分からないのだが。
どうやら他の四大大国に比べ、帝国は人口のほとんどを人間が占めているらしい。
これが竜王国や霊王国だと半々で、獣王国だと獣人亜人が多くなる傾向にあるようだという情報は、最初の町で手助けしてくれた警らの人からの情報だ。
警らの人達はいい人達だったのに、領主があれではかわいそうでならない。
というか、この世界に来てから波乱続きな気がするのは気のせいではないはず。
これからは面倒事に巻き込まれないように祈りたいが、クルミのその願いはすぐに破られる。
クルミを抱いたまま宮殿を我が物顔で闊歩するシオンと、その後に付き添うアスター。
シオンの顔を見るだけで通っていた人々は、廊下の端に寄り頭を下げていく。
シオンの身分の高さが窺える光景だ。
まあ、国単位で影響を与える愛し子なのだから当然と言えば当然だ。
そう考えると、シオンと一緒にいるアスターもそれなりの地位にあるのだろう。
シオンはドンドン宮殿の奥まった方へ向かっていく。
どこへ行くのかと抱っこされながらも大人しくしていたクルミの耳に何か聞こえてくる。
「………いか……っ」
ぴくりと耳が動く。
声は段々と大きくなり、複数人の足音も近付いてくる。
そして、クルミの前から身分の高そうな中年のおじ様達が恐ろしい形相で走って来るのが見えた。
「にゃっ!」
思わずシオンの服にしがみ付く。
なんなんだあれは。と思っていると、彼らはシオンの前で止まった。
「陛下~!! どこに行っておったのです!」
「またお一人でお出掛けになっていたのですか!?」
「一人じゃないよ、アスターが一緒だし」
悪気がなさそうに笑っているシオンとおじ様達の会話を聞いていたクルミの頭に疑問が。
今、変な単語を聞いた気がする。
「陛下はそう言っていつも屁理屈をこねられる」
「シオン様はこの帝国只一人の愛し子であり、皇帝陛下でもあらせられるのですよ!?」
「至高の御身を危険にさらされる度に、何かあったらと私らの胃に穴が開きそうです!」
「はいはい。説教はまた今度にしてくれないかい。帰ってきたところで疲れてるんだ」
「陛下~」
やり取りと聞いていたクルミはポカンとする。
そして、その目をまん丸にしてシオンを見上げた。
「ニャア!? (陛下~!?)」
「ん? どうしたんだい、そんなに目を丸くして。さっきの者達に驚いたのかな? もう行ってしまったから大丈夫だよ」
よしよしと頭を撫でるシオンの見当違いの慰めに反応を返すどころではなかった。
先程のおじ様達は陛下と言った。シオンのことを皇帝陛下と。
これが驚かずにいられようか。
愛し子が国のトップであることにはそれほど驚きはない。
全然驚きがないわけではないが、ヴァイトという前例をクルミは知っていたから。
驚くのはそんな高貴な人があんな町でオカン……ではなく、アスターしか護衛を付けず出歩いてることだ。
しかもクルミと出会った時など一人だったではないか。
それにシオンの年齢もある。
老化の遅い竜族と違いシオンは人間のよう。普通に見た目通りの年齢と考えると二十代前半にしか見えない。
そんな若者が四大大国の皇帝という驚き。
そして、町中で偶然拾われた人がそんな大物だったという驚きだ。
ピンポイントで大物を釣り上げたこの事態が果たしてクルミにとって吉と出るか凶と出るか。
この時のクルミにはまだ分からなかった。




