30.新たな一家
女王陛下と面会したあの日から二週間近くが経ち、王宮にて匿われていた私たちは、征伐戦争が終結してハインの裁判が開かれたことでようやく表舞台に顔を出すことができた。
当然ながらハインは私たちが戦死したものと思い込んでいたので、裁判では堂々と「俺がミノタウロスを倒した」と主張した。
しかし、隠し玉の証人である私たちの証言を始め、生き残った兵士の証言によりハインの主張は偽証であると判断され、裁判は早々に罪を糾弾する場となった。
ハインの罪状は、私たちへの暗殺未遂、戦功の偽証、作戦指揮の失敗により千六百五十四名の戦死者を出した責任で、判決は一切の地位剥奪及び十年の強制労働となった。
地位のあるハインに対してここまで重い刑罰が下ったのは、暗殺指示が極めて悪質であり許され難いと判断されたからだ。粛々と指揮の失敗を認めていれば、そもそも罰を負うことすらなかったかもしれない。
後になって聞いた話だが、さすがのファルマン家も完全にハインを見放し絶縁を宣言したらしく、妻のメルセデスは即座に離縁を決めて子供を連れてロワール家に帰ったようだ。
とは言え、もはやファルマン家ともロワール家とも縁を切った私たちにとって、そんな話はどうでもいいことに思えた。
そんな裁判を終えて、私たちはようやく我が家への帰宅が叶った。
出兵してから1か月半ぶりのことだ。
想像するまでもなかったが、久しぶりの再会を果たすとブレダは私の体に飛びつき子供のように泣き叫んだ。
そんな姿を見せられると、もらい泣きをしない方が無理と言うものだ。
アラドとシュミットは笑みを浮かべて頷き合っていたが、こういう時に男の人は感極まらないものなのだろうか。
もしも気恥ずかしくて我慢しているのだとしたら、その様子は少し微笑ましく思えた。
その後、ブレダとシュミットに色々と説明する必要があると感じた私たちは、リビングに集まって和やかな家族会議を開くことにした。
最初に私が妊娠していることを告げると、ブレダとシュミットは嬉しそうにお祝いの言葉をかけてくれた。
だが、その直後からブレダとシュミットは目配せをしながらそわそわし始めた。
なにか困りごとがあるのだろうかと心配していると、不意にシュミットが立ち上がり、私たちに向けて深々と頭を下げてこう言い放った。
「旦那様、奥様、お願いがございます。どうか、自分とブレダさんの結婚を許可してください」
そう告げるシュミットの横で、私はブレダが自分のお腹を気にかけていることに気づいた。
唐突なこのタイミングで結婚のお願いをするということは、つまり――
「もしかしてブレダ、アナタもおめでたなの!?」
私の予想は正解だったらしく、ブレダは慌てて頭を下げて謝罪を始めた。
「もっ、申し訳ありませんっ! 結婚のお許しを頂いてもいないにもかかわらず子を授かるだなんて、ふしだらだという自覚はあります。使用人として許されざることであることも理解しています。ですが、その……」
そんなブレダを庇うように、シュミットが一歩前へと進み出る。
「すべて自分に責任があります。どうかブレダさんは――」
「違うんです! 私が悪いんです! 私が、旦那様と奥様を見て、羨ましいだなんて気持ちにならなければ……シュミットさんは、そんな私に気をかけてくれただけで、ぜんぶ私のせいなんです……」
そこまで告げて、ブレダは両手で顔を覆って泣き崩れてしまった。
驚いた私はすぐさま駆け寄り、彼女の肩をさすってやった。
「もう、どうして悪いことのように泣くのよ。アナタは、その子をちゃんと愛することができるのでしょう?」
ブレダは、はらはらと涙を流しながらも力強く頷く。
「それなら、とってもおめでたいことじゃない。アナタのご主人様も、きっとそう思ってるわよ」
そう告げてアラドに目配せをすると、優しげな笑みで応じてくれた。
きっと、その笑いに含まれる感情は私と同じだろう。
状況を理解したアラドはすぐさま立ち上がり、シュミットの前へと進み出た。
「確かに、世の中にはしきたりってものがあるかもしれないけど、この一家の主人は僕だ。僕は、信頼する使用人の結婚や出産に口を挟んだりはしないよ。むしろ僕がやるべきことは、新しい命と夫婦の誕生を祝福して、君たちの支えになることだ」
アラドの言葉に対し、シュミットは「ありがとうございます」と感謝を告げて最大限のお辞儀で応じる。
顔は見えなかったが、鼻をすすっていたので泣いていたのかもしれない。
アラドはそんな湿っぽい雰囲気を一新すべく、シュミットとブレダの肩を叩いて嬉しそうに笑みを振りまいた。
「さて、ヘンシェルス家の初代当主になった僕が最初にやらなきゃいけない仕事が決まったね。まずは結婚式の用意だ。せっかくなら華やかにしなきゃ」
「お、お待ちください! 私たちのような使用人のために結婚式だなんて恐れ多いです。それに、ヘンシェルス家というのは一体……」
ブレダの言うとおり、まずは私たちの名前が変わったことから説明する必要があるだろう。
それだけじゃない。戦場でのこと、女王陛下に会ったこと、恩賞を貰ったこと――私たちのことだけでも話は盛りだくさんだ。
それに、ブレダとシュミットが結ばれた経緯も非常に気になる。どんな結婚式を挙げるか決めたあとで、たっぷりとのろけ話を聞かせてもらおう。
そんなふうにして、四人で話さなければならないことは山ほどある。
きっとこれから、楽しいおしゃべりの時間が始まるだろう。
いや、もう四人じゃない。この家に集う家族は、六人になったのだ。
お腹の子はまだなにもわからないかもしれないけど、私たちが心の底から幸せでいれば、その気持ちはちゃんと伝わるような気がした。
だから私は笑うことにした。
幸せなこの時間を、もっと幸せにするために。




