23.窮地
加護を付与されたアラドは、臆することなくオークの群れへと突っ込んでいく。
そのまま友軍の先頭に立つと、初手で炎魔術の範囲攻撃を放ち敵を一網打尽にしようと試みる。
だが、岩場に立つオークたちは、その巨体からは想像できない跳躍で回避と移動を同時に行った。
何体かのオークは大胆にも兵士の密集するど真ん中に着地し、そのまま交戦が開始される。
はたから見ても、オークの戦闘力は凄まじかった。彼らは、普通の人間では到底扱えない大きさの大剣や大斧で武装しており、そのひと振りで数人の兵士が一挙に吹き飛ばされている。
そんな中でも、コルト隊の立ち回りは見事だった。
巨体でリーチのあるオークにはなるべく近づかず、槍兵を前面に立たせて牽制したところを、本命の剣士が多方面から切りかかり足や腕にダメージを与えて動きを鈍らせている。
そうこうしているうちに、コルトが最後の仕上げとばかりに背後からオークの首筋に取りつき、致命傷を与えることに成功していた。
一方のアラドも、感服する他ない活躍を見せている。
オークは、その巨体からは考えられないほど機敏な動きで、目にも止まらぬ斬撃と的確な防御を両立させているが、アラドはそれらすべてを上回っていた。
一体のオークが剣を振り下ろせばその腕から血が噴き出し、一体のオークがとっさに防御しようと剣を構えれば足元から血が噴き出す。
アラドの動きが目で追えないのか、それとも体が追いつかないのか、どちらにせよ相手になっていないと評して相違ない。
ただし、そんなアラドにも加護のタイムリミットと体力という弱点がある。
アラド自身もそれを理解しているのか、一体のオークに執着せず、なるべく多くの敵にダメージを与えてから加護を再付与するために私のところへ戻ってきた。
タイミングを同じくしてコルトも合流し、声をかけてくる。
「完ぺきな立ち回りだぜおふたりさん。この調子なら、最小限の被害で勝ちきれそうだ。もうひと踏ん張りだぜ」
だが、コルトの言葉は不意にもたらされた伝令によって覆されてしまった。
「た、隊長! 本陣からの伝令です! いきなり後方から敵が現れたそうです! このままじゃ包囲されちまいます!」
その報告は、今までの戦況を見届けてきた私たちにとって、にわかに信じられない話だった。
コルトは戦闘を中断し、即座に状況把握に努めている。
「後方に敵だと? その情報は正確なんだろうな。このタイミングで背後から襲われないよう、俺たちゃ森での掃討戦を十分にやったはずだ」
「そ、それが、敵はゴーレムとゴブリンで、地中から湧き出てきたって話です!」
その言葉を聞いたコルトは、もはや笑うしかないと言わんばかりに声を荒げた。
「地中!? 地中だと! ああ、クソッ! そりゃそうだ。俺たちは木を焼き払ったが、地面を掘り返しちゃいねぇ。恐らく、地中に潜ってたゴブリンシャーマン共が這い出てゴーレムを召喚したんだ。人間にゃできねぇ芸当だが、奴らなら確かに可能だ」
「だとしたらヤバいっすよ! 包囲されたら俺たちゃ完全に孤立しちまう!」
「ああそうさ。それが敵サンの狙いなんだろうよ……奴らは、最初からこの地を守ろうとなんてしていなかった。俺たちファルマン軍を包囲して、全員ブッ殺すためにこの策を打ったんだろうよ。さすが魔物は人の殺し方をよく知ってやがる」
と、コルトは先ほどからネガティブな言葉しか口に出していないが、その顔は一切絶望などしておらず、むしろ楽しそうですらある。
たまらずアラドは、その理由を問うていた。
「打開策が、あるんですね?」
「簡単なこった。後ろに引けなきゃ前に行けばいい。それに、魔物の群れってのは、群れを統率しているネームドが死ねば簡単に瓦解するんだ。どうだ、やるべきことは理解できたか?」
「はい。すべてのオークをここで倒せばいいんですね」
「ご名答だ相棒。俺の隊とおふたりさんで、どっちが多く倒せるか勝負といくか? 賭けの賞品は、嬢ちゃんと一晩寝る権利ってことで――」
私は我慢できずコルトの耳を軽く引っ張る。
「イデデデ! ンだよ急に!」
「みんなが必死に戦ってるのに、遊びみたいなこと言わないでちょうだい! 作戦が決まったなら、早く加勢してあげなさいよ! アラドも!」
「は、はいっ! あの、とりあえず両強化加護・中を……」
私が加護を再付与すると、アラドは一目散に戦場へと戻っていく。
次はコルトの番だ。
「ほら、アナタも!」
「へいへい。ったく、まるで俺のお袋だな……って、嬢ちゃん、もしかして俺に加護を……?」
コルトの言う通り、私はさっき耳を引っ張った時に、肉体加護・小を付与してあげた。もちろん、アラド以外の男に使うのは初めてだし、魔力を持っていないコルトに付与しても効果は薄いだろう。
それでも加護を与えたのは、彼のことを憎めないからだ。
粗暴で礼儀知らずだが、どこか無邪気な子供っぽさのある彼は、アラドとはまた違う魅力を持っている。
そんな彼に、幸せになってほしいと願った。だから、加護を捧げたのだ。
「なんだなんだ? 俺に惚れちまったか?」
「アラドと出会う前なら、それくらいの気の迷いはあったかも。だけど残念。アナタよりアラドの方が百倍は魅力的なの」
「けっ、まあ百分の一でも光栄と思っておくぜ。ありがとよ嬢ちゃん」
その言葉を最後に、コルトは戦いへと舞い戻る。
そして彼らは、オークという強敵を前に一切臆することなく、そして引け劣ることもなく、着実に勝利への歩みを進めていった。
敵の策略により戦況は芳しくないかもしれないが、それでも不安はなかった。
いや、私はたとえ不安を抱いても顔に出してはならないのだ。
なぜなら、彼らの勝利を信じ、そして支えになるのが、戦場に立つ聖女の役目だからだ。
だから私は、目を背けない。怖気づかない。自信を失わない。
そう心に決め、堂々と戦場に立って勝利を祈る。
だが、そんな決意は、ふとした瞬間にあっけなく崩れ去ってしまった。
私の心を揺さぶったのは、恐ろしいほどの存在感を放つ、なにかの『気配』だった。
自身の体に宿る魔力を通じて恐ろしいほど強大な『気配』を察した私は、かくも呆気なく震え上がってしまったのだ。
そして、ゆっくりと顔を上げると共に、私はその『気配』の正体を目の当たりにした。
誰かが声を上げたわけではない。物音や雄叫びを聞いたわけでもない。
山の峰に立つたった一体の魔物は、ただその場にいるだけで存在を認知されるほど、強烈な存在感を放っていた。
「ミ、ミノタウロスだ……」
兵士の誰かが、ぽつりとその名をつぶやく。
オークよりさらに巨大な肉体と、特徴的な牛顔を持つその魔物は、かつて魔王の重鎮として恐れられていた伝説の魔物――ミノタウロスだ。
こんなにも直感的な恐怖を覚えたのは初めての経験だった。
伝説や言い伝えを知っているから怖いわけではない。たとえミノタウロスという存在を知らなくとも、この場に居合わせるだけで誰もが震えあがってしまうだろう。
それだけの威圧感を、あの魔物は纏っているのだ。
そんな状況下で、前線で戦っていたアラドは急いで私のもと舞い戻り、焦燥しきった様子で声を荒げた。
「ソミュア! 全強化加護・大だ! アイツは……アイツは今すぐどうにかしないと!」
わかっている。これから恐ろしいことが起こるであろうことは、私にもわかっている。
私は急いで加護魔術を行使した。震える手でアラドの両手を握り、焦燥にまかせて最大レベルの加護を付与した。
時を同じくして、ミノタウロスは右手に持つ大斧を天高く掲げる。
斧の刃先に凄まじい量の魔力が集中していることは、遠く離れたこの場にいても伝わってきた。
加護を再付与されたアラドは、ミノタウロスの行動を阻止するために遠距離魔術を放とうとする。
だが、即座に無意味だと判断し、土魔術で防壁を展開した。
「ソミュア! 伏せ――」
次の瞬間、まるで目の前に落雷が落ちたかのような凄まじい爆音と衝撃波が私たちの体を襲う。
大地は地震のように揺れ、舞い上がった土煙がすべてを覆いつくす。
情けなく悲鳴を上げてしまった私は、それでもなにが起きたのか確かめなければならないと思い、すぐさま頭を上げる。
すると、そこには信じられない光景が広がっていた。
数秒前まで緩やかな斜面に草原が広がっていたはずの空間は、今の一瞬で地面が激しくめくれ上がり、焦土と化していた。
先ほどまで奮戦していた兵士たちは、みな一様に土を被って横たわり、まるで配置されたオブジェのように身動きひとつとらなくなっている。
今の一瞬で、いったい何人の兵士が犠牲になったのだろうか。
想像するだけで息が詰まり、呼吸が荒くなる。そのせいで悲鳴すら上げることができなかった。
そして気がつけば、大魔術を放ったミノタウロスは山の峰から姿を消していた。
どこに行ったのか、などと探す必要もなかった。
なぜなら、ミノタウロスは私とアラドの目と鼻の先に立っていたからだ。
「ホウ、少シハ楽シメソウナ者ガイルデハナイカ」
言葉なのかどうかも断定できない重低音が聞こえた刹那、アラドとミノタウロスは刃を交え、凄まじい風圧と共に耳が痛くなるほどの高音を響かせる。
「――!」
その瞬間、アラドの握る剣は、まるでガラス細工のように砕け散っていた。




