19.最後の夜と始まりの朝
女王陛下の命により招集された遠征軍は続々と編成が完了し、いよいよ魔物の地に向けて行軍を開始しようとしていた。
私とアラドも招集に応じ、聖女と騎士のペアとしてあのハインが指揮を執る『ファルマン軍』という部隊に組み込まれることになっている。
あのハインなんかに従いたくもないのだが、アラドがファルマン家の人間である以上は、ファルマン家の招集した兵力に組み込まれるのは仕方のないことだった。
ハインもあの一件で懲りていればいいのだが、あまり楽観できないだろうというのが私たちの見立てだ。
そんなわけで、私とアラドは招集令を受けてからここ数週間のうちに練兵場へ通い、いくつかの訓練や教育を受けて軍の一員となる準備を整えた。
そして秋風の吹きすさぶ今日は、戦地への出立を前に与えられた最後の休暇だ。
邸宅に帰った私とアラドは普段と変わらない日常を過ごしたが、四人の口数は少なかった。
戦争に行っているあいだ、ブレダとシュミットには留守番をしてもらうことになっている。
大貴族の中には戦場にまで使用人を引き連れる者もいるが、身の回りの世話だけのために彼らを危険な目に遭わせるつもりはない。
ブレダは当初、「私がいないとソミュア様はなにもできないから」などと言って同行を強く迫ってきたが、根気よく説得してなんとか思いとどまってもらった。
シュミットも何度か同行を迫ってきたが、彼の方はアラドが説得してくれた。
そんな経緯があり、片や戦場に向かう者と、片や留守番をする者が最後に会す日となれば、空気が重くなるのは当然だ。
だが、夕飯が始まるとブレダとシュミットは必勝祈願パーティーと称して豪華な料理を振舞い、私たちに応援の言葉をかけてくれた。
不安をひた隠して笑みを浮かべるブレダの姿はどこか痛々しくさえ思えたが、それでも笑っていてくれるだけで私の心は少しだけ安らいだ気がした。
それから私とアラドは早々と寝室へ赴き、気づいた時には体を重ねていた。
まだ夜も更けていないのに、甘く愛を語らい合うこともなく、狂ったように黙々と互いを求めた。
何度も、何度も、何度も――貪るように体を重ねた。
だが、いくら快楽を得ても心は満たされなかった。
それでも私たちは愛し続けた。体が壊れてしまうんじゃないかと思うくらい激しく、そして獣のように声を出し、体を重ね続けた。
どれくらい、そうしていただろう。
月明かりの差し込む寝室で、私とアラドはいつの間にかベッドの中でじっと見つめ合っていた。
体は疲れ切っており、いつ眠りに落ちても不思議じゃないのに、まぶたが重くならない。
いつもなら、クスクスと笑い合って最後のキスを交わし「おやすみ」と告げて眠りに落ちるのに、今日の私たちはまるで人形のように見つめ合っている。
満足できなかったわけじゃない。戦場に行くのが嫌で嫌でたまらないわけでもない。
じゃあ、どうして私たちは笑い合えないのだろう。
「ソミュアは、まだ怖い?」
ふと問いかけられたアラドの言葉に対し、私はしばし間を置いてから答える。
「わからない……アラドを失うのも、自分が死ぬのも怖いはずなのに、よくわからないの」
「そっか。きっと僕らは、死ぬ覚悟ができちゃったんだね」
その言葉は、今の私たちの心境を一番よく表しているかもしれない。
この人のためなら命を捧げてもいいと誓い合った私たちは、パートナーを護るためなら、なんのためらいもなく簡単に命を捨てるだろう。
その覚悟が、自分の死に対する恐怖を打ち消しているのだ。
そして仮に、戦場でパートナーが先に命を落とすようなことがあれば、私たちはためらわず後を追うだろう。
そんなことを口に出したら止められるとわかっているから、言わないだけだ。
だけど、こういう言い方なら許されるだろうか。
「私、死ぬ時はアラドと一緒がいい」
そうつぶやいた時、私はようやく笑みを浮かべることができた。
アラドは笑ってくれなかったが、かわりに体を抱きしめてくれた。
それは、痛々しい悲劇のような抱擁ではない。まるで二つの命を死の糸で括りつけてしまうような、優しい呪いのような抱擁だ。
「僕は必ず、君と添い遂げるよ」
その言葉を聞いて安心した私は、静かに眠りに落ちていった。
* * *
翌日、早朝に目覚めた私とアラドは出陣するための準備を黙々と整えた。
昨晩はあれだけ悲壮な雰囲気だったのに、戦場に出るための衣服に身を通すと、燃え滾るような熱い気持ちが湧き上がる気がした。
着替えを手伝うブレダは、今にも泣き出しそうな顔に笑みを浮かべて黙々と手を動かしている。
そんなブレダに、私は優しく声をかけた。
「もう、そんな顔しないでちょうだい。私とアラドが一緒なら、絶対に大丈夫よ。私の加護魔術がどれだけ凄いかはアナタも知ってるでしょ。一緒に、実験をした時のこと覚えてる?」
「奥様が力試しをしたいと言い出して、街のはずれで私に加護魔術をかけた時のことですよね。忘れるわけないじゃないですか。あんなに大騒ぎになったんですよ」
「そうそう。かわいらしいブレダのパンチで地面がえぐれちゃって、後でこっそり現場を見に行ったらお城から衛兵が来てて……あのあと何日も寝つきが悪かったわ」
そんな話をしていると、ブレダは私の背中に頭を押し付けてくる。
鼻をすする音が聞こえたので、彼女が泣いていることはすぐにわかった。
「ソミュア様……私は、こうしてソミュア様と、ずっとおしゃべりをしていたいです。これから先も、ずっとずっと……」
その言葉に対して、私は悪意のない静かなため息をついて応じた。
「アナタがなにを心配しているかわからないけど、これから先もずっと一緒というのは考え物ね。アナタだっていい年なんだから、どこかへ嫁いだっていいのよ。私がいいお相手を探してあげましょうか?」
「っ……! 私は、私は……」
きっとブレダは、突き放されたのだと思っただろう。
だがそうじゃないという意思を込めて、私は振り返ってブレダの体を抱きしめる。
「わかってるわよ。私なんかでよければ、アナタが満足するまで話し相手になるわ。でも、アナタにだって人生がある。どこかへ嫁いだとしても、いつでも遊びに来ればいいじゃない。でも、まだその気がないなら、好きなだけ私が相手をしてあげる。これから先も、ずっと、ずっとね」
「はい……」
それから準備を終えた私は、ブレダと共にロビーへと向かう。
すると、すでに準備を終えたアラドとシュミットが待っていた。
白銀に輝く板金製の甲冑を纏ったアラドの姿は、見とれてしまうほど様になっている。結婚式の時に着ていたものより重みがあるぶん、貫禄は十分だ。
「相変わらず、鎧を着ると見違えるほどかっこいいわね」
「なんだか普段はかっこよくないって言われてるみたいで素直に喜べないなぁ」
「そうよ。普段のアナタはかっこいいと言うよりかわいいだもの。ね、シュミット?」
「左様でございます」
「ええっ!? シュミットに肯定されると冗談に聞こえないんだけど……」
そんな会話を交わし、一家四人は声に出して笑い合う。
そして、ブレダとシュミットは笑みのままで私たちを送り出してくれた。
「どうかご無事で」
「ご武運を」
私とアラドは小さく頷き、玄関を出て戦場へ向かう第一歩を踏み出した。




