13.召喚
アラドとハインの決闘が終わってから、数日が経った。
結局、あの日ハインは決着直後に気絶して病院送りになったため、決闘の発端となった侮辱に対する謝罪は得られなかった。
しかし、あの勝利そのものが屈辱の意趣返しになったので、私たちも今さら形だけの謝罪を求める気はなかった。
そんな中、劇的なアラドの勝利による反響は思いの他大きかった。
部外者から見て嫡男の箔付けだろうと思われていたファルマン家の兄弟決闘で、まさか最弱とうわさされていた末子が勝ってしまったのだ。最弱の弟に負けた男が家督を相続して大丈夫なのかと思われるのは当然だ。
とは言え、当のファルマン家も周囲の声を無視する以外にとれる方策がないのも事実だ。
一応、アラドのもとには「これ以上騒ぎを起こすな」と父親直々に釘を刺すお告げがあったそうだが、それ以上の処断といった話は出なかった。
「最悪勘当されると思ってたけど、あれ以来実家からは音沙汰ないよ。父上もハイン兄さんの横暴には呆れていたみたいだから、口には出さないけど兄さんの頭を冷やすいい機会だと思ってるのかもね」
と、アラドは私に語っていた。
結果だけ見れば、あの決闘はアラドにとっていい影響をもたらした部分が多かったと言えるかもしれない。
ただし、それはアラドに限っての話だ。
私の方は、どうやらそうもいかないらしい。
私は今日、ブレダを引き連れて数年ぶりにロワール家のお屋敷を訪れていた。
決闘の件で、ロワール家現当主であるお父様から直々に呼び出されたのだ。
もちろんアラドはついてきていない。我が家の事情なので、婚約者と言えど彼は無関係だ。
お屋敷に足を踏み入れた私とブレダは、案内など不要とばかりに目的地へ向け淡々と歩みを進める。
その間、すれ違った兄姉や使用人たちは挨拶もせず気まずそうな顔をして去っていくので、これから私がどんな目に遭うか想像にかたくなかった。
そんなことを考えているうちに、目的地であるお父様の私室へとたどり着く。
「旦那様。ソミュアお嬢様をお連れいたしました」
「入れ」
久しぶりに聞いたその声に促され室内に入ると、お父様は立ったまま私を迎え入れた。
久しぶりに見た父の姿は、少しだけ老いたように見えた。
背が高く恰幅がいい体格はそのままだが、切り揃えられたあご髭には白髪が混じっている。
「お久しぶりですお父様。本日は、どのようなご用件でしょうか」
あえて他人行儀な態度をとると、お父様は何も言わずに私の前まで歩み寄る。
そして次の瞬間、「ぱんっ」という乾いた音と共に視界が激しく揺れた。
転びはしなかったが、殴られたと気づくまで少しだけ時間がかかった。
「なぜ殴られたのか、お前は理解しているか?」
「いいえ」
再び「ぱんっ」と乾いた音が響き、怯えるようなブレダの悲鳴が聞こえる。
今度は反対の頬を、少しよろけてしまうくらい強く殴られた。
「ならば教えてやろう。お前がロワール家の顔に泥を塗ったからだ」
私はよろけた体をすぐさま正し、じっとお父様の目を見つめ返す。
「なんのお話でしょうか」
「とぼけるのも大概にしろ! 話は全部メルセデスから聞いている。お前は、婚約者のアラドに力を貸すべきではなかった! 負けろと諭すべきだったのだ! お前は、ファルマン家に申し訳が立たんと思わんのか!」
ああ、やっぱりそうかと私は心の中でつぶやく。
今も昔も、お父様は私を娘として、人として見ていない。できが悪いから愛でる気もなかった。だから目の見えないところへ追いやった。それでも政略の道具くらいには活用したかった。
だけど、私は思い通りに動かなった。お父様の思惑に反し、アラドに力を貸して決闘に勝たせてしまった。その結果、ロワール家から嫁いだ私のせいで、ファルマン家の威信に傷がついたという結果が生じた。それが気に食わないから殴った。
躾でもなんでもない。自分の思いどおりにならないから、私を殴ったのだ。
「お父様は、私の気持ちなど考えたこともないのでしょうね」
「お前の気持ちだと? お前の気持ちと我がロワール家の名誉と、どちらが大事だというんだ? 今までお前を捨てず金を送ってやったのは、お前に愛情が残っていたからではない。我がロワール家の益になる可能性があったからだ。だが、とんだ誤算だったようだ」
「住まいとお金を頂けたことには感謝しています。ですが、愛されない私がどうしてお父様の思惑通りに動くとお思いになったのですか? なんの愛着もない一族のために、どうして私が尽くすとお思いになったのですか?」
「黙れッ! 一族の血を引く者なら当然のことだ! 勝手気ままに生きることになんの道理がある!」
「勝手気ままではありません。私は自分の意思でアラドに尽くそうと決めたのです。一族のために尽くす前に、婚約者に尽くすのは当たり前のことでしょう。そんな当たり前のことすら気に入らないと言うのなら、好きなだけ私を殴ってはどうですか? 私が頭を下げ、這いつくばり、なんでも言うことを聞きますと謝るまで、殴ってみてはいかがですか? アナタにはそれしかできないのでしょう?」
当然と言わんばかりに、「ぱんっ、ぱんっ」と二度、往復で殴られる。
すると、慌ててブレダが割って入ってきた。
「おやめください旦那様!」
「黙れッ! メイドの分際で家のことに口を出すな!」
ブレダは勢いよく突き飛ばされ、悲鳴をあげて床を転がる。
私はそんなブレダを庇うように、お父様の前へと立ちはだかる。
「殴るのは私だけにしてください。私は何度殴られたっていい。何度殴られたって屈する気はない。そういう覚悟でここに立っているんです」
そう告げると、お父様は興奮した様子で息を荒げ手をおろす。
その形相は怒りに満ちているが、どこか苦悶に歪められているようでもあった。
「まだ、私を殴って罪悪感を覚えるほど人の心が残っていたんですね」
「黙れッ! 黙れ黙れ黙れッ! お前など、もう俺の子ではない! ロワール家の人間などとは認めないぞ! 絶縁だ! 今すぐ別邸を引き払え! もう二度と俺の前に顔を出すな!」
その言葉を聞いて、私はなぜだか少し安心してしまった。
きっと、こんな男と縁が切れてせいせいしたのだろう。
「喜んで縁を切らせていただきます。今までお世話になりました」
私の言葉に続き、ブレダも立ち上がり、怯えた表情で必死に言葉を絞り出す。
「私も、ロワール家の使用人を辞めさせていただきます……今まで、お世話になりました」
お父様だった人は、鼻を鳴らしてぶっきらぼうに返事をする。もう、私たちと口を利く気もないのだろう。
だから最後に、私は満面の笑みを浮かべてこう言ってやった。
「アナタは、もっと早く私を捨てるべきでしたね」
捨て台詞を吐いて部屋を出た私たちは、寄り道することなく足早に屋敷を後にした。
その間、母も兄姉も使用人も、誰一人私たちに声をかけようとはしなかった。むしろ、変に同情されるよりもその方が楽に思えた。
そして門をくぐると、外で待っていたアラドが出迎えてくれる。
ついてこなくていいと言ってあったが、心配して来てくれたのだろう。
「ソミュア! その頬、もしかして殴られたのか!?」
「私は平気よ。むしろすっきりしたわ。これだけ殴られれば、借りも心残りもなくなるでしょ」
「……やっぱり、絶縁を?」
静かに頷くと、アラドは責任を感じているらしく眉をひそめる。きっと黙っていれば、「ごめん。僕のせいだ」と口走るだろう。
だから私は、アラドが謝るより先に声を出してやった。
「アナタのせいじゃない。どの道私は、お払い箱だったもの。これで正真正銘、貴族でもなんでもない、ただの女になっちゃったけど……それでも、アラドは貰ってくれる?」
答えのわかり切った問いを投げかけると、アラドはいきなりその場にひざまずいて私の手をとった。
「地位や名誉なんて関係ない。僕にとって、君は今も昔もお姫様さ。お転婆で、泣き虫で、美しくかわいらしいお姫様だ。さあ、僕らの家に帰ろう」
やっぱり、アラドはずるい。すぐこうやって私を泣かせようとするんだから。
今日は泣かないって決めていたのに、視界がどんどん潤んでしまう。
だが、その涙は隣から聞こえてくる嗚咽によってすぐに引っ込んでしまった。
「うぅ……グスっ、よかったですねぇソミュア様……ううぅ……」
どうやら、今日の涙は私に代わってブレダが流してくれたようだ。




