12.魔術と魔術
「があああああああああぁぁぁぁぁぁぁッ!」
アラドの横薙ぎによって脇腹を切り裂かれたハインは、激しく血を吹き出しながら倒れ込む。
「ハインッ!」
すると、観客席にいたメルセデスが柵を飛び越えハインのもとへと駆け寄っていった。おそらく治癒魔術を使って応急処置をするつもりなのだろう。
立会人のベリエフもその状況を理解し、無理に止めようとはしなかった。
「治療をするのは構わんが、この瞬間ハイン・フォン・ファルマンは決闘の継続が困難と見なし、アラド・フォン・ファルマンの勝――」
「待ちやがれえええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
不意にベリエフの声を遮ったのは、他でもないハインだ。
治癒魔法によって止血を受けている最中だが、地面を這いずりながら叫ぶその姿には、ただならぬ執念を感じさせる。
「ハイン・フォン・ファルマン君。君は、部外者であるミセス・メルセデスから治療を受けた。その時点で、決闘を継続する権利を失っているのだよ。待ったなど利かないことくらい、君にも理解できるだろう」
「今の決闘は不成立だッ! コイツは……いや、コイツらはッ、魔術を使って俺を妨害したんだ! なあそうだろメルセデスッ!」
「そ、そうよ! 私ははっきりと見たわ! ハインが切り裂かれる直前に、あそこにいる女が魔術を行使していたわ! 叙勲式の時と同じように、魔術を使って仲間をサポートしたのよ!」
その主張により、観客席はどよめきに包まれる。
犯人として名指しされた私は、たまらず柵を越えて決闘場の中へと踏み込んで行った。
なんとなくこういう展開になるんじゃないかという予想はしていた。
なぜなら、私とアラドは叙勲式でズルをしたという前科があるからだ。この決闘でも同じズルを働いたという言いがかりは、それなりに説得力のあるカードになりうる。
とは言え、言いがかりはあくまで言いがかりに過ぎない。
疲れ切っているアラドに代わり、私はベリエフの前へと進み出て審判を求めた。
「立会人であるベリエフ卿にお尋ねします。ベリエフ卿は、勝負がつく最後の瞬間まで決闘を中断しなかった。すなわち、立会人から見て勝負中に不正があったとは認めていない、という判断でよろしいですか」
「無論だ。私の前で不正は行われていなかった。その判断に間違いはない」
たとえベリエフは、アラドの動きが鈍くなった違和感に気づいていたとしても、この状況では言及しないだろう。
なぜなら、不正をしていたと思われる方がそもそも負けているからだ。負けた者の不正を蒸し返す必要はないだろう。
だが、ハインは不正をしていた側であるにもかかわらず、ベリエフの裁定に真っ向から食ってかかった。
「黙れッ! テメェら結託してるんだろ! 決闘が始まる前にも仲良さそうにしゃべってたよなァ!? どうだ見物人たちよォ! アラドが叙勲式で披露した大魔術がペテンだって知ってるやつもいるよなァ! テメェらはこんな裁定で納得できるか!? どうなんだッ!」
自分たちが不正に手を染めていながら、はらわたが煮えくり返るような言い草だ。
それでも、ハインの主張によって観客席のどよめきは一層大きくなり、意見が二分されていた。
「あんなの言いがかりだろ。変なところは何もなかったぞ」
「バカ言え! ズルなしで最弱騎士があのハインに勝てるわけないだろ」
「なら勝負のやり直しか?」
「だが、目に見えない魔術での不正なら防ぎようがないぞ」
「ええい、静粛に! 静粛にせえ! 立会人であるこのわしが不正はなかったと言っておるんじゃ! ハインも言いがかりは貴族としての沽券にかかわるぞ! 潔く負けを――」
私とアラドは目を見合わせ、「やはりこうなってしまったか」という意思を共有する。
しかし、こうなった時の対応も事前に考えてあった。
「ベリエフ卿。ひとつ、私たちから提案があります」
私がその内容を耳打ちすると、ベリエフは驚きの表情を見せる。
「なんと! そんな決闘方法、聞いたことがないぞ!」
「ですが、観衆を納得させるにはこの方法しかありません」
「そうかもしれんが、お主らはその勝負で勝てる見込みがあるのか?」
「それは立会人が心配すべきことではありませんよ」
「まあ、そうなんじゃが……ムムム」
ベリエフはひとしきり考えを巡らせてから、「どうなっても知らんぞ」と小さくつぶやき姿勢を改める。
そして、私の提案内容を観衆に向けて披露した。
「今しがた、アラド・フォン・ファルマンの代理人より提案があった! このワシとて、魔術による不正の有無が証明できないことは認めよう。ならばあえて、パートナーと己の力を合わせた強化魔術のみを解禁して決闘を再開してはどうだという! 前代未聞ではあるが、双方の合意があれば決闘のルール変更は可能である! 双方これを受ける気はあるか!」
すると、治療を終えたハインはゆらりと立ち上がり、片手で顔を覆って盛大に笑い始めた。
「ハッハァ! いいねぇ、最高じゃねぇか! 確かにその方法なら、妨害にさける魔力は残らねぇ! ふたりの魔力を合わせた夫婦対決ってとこか? 俺は望むところだ! 男に二言はねぇよなアラドッ!」
「ああ。ハイン兄さんとメルセデスさんも、なにかいかがわしいことをしていたみたいだけど、この勝負方法を飲んでくれれば水に流してあげるよ」
アラドのカマかけに対してメルセデスはびくりと肩を震わせたが、ハインの方は意にも介さない様子だ。
「ほざけ三下ァ! 魔力勝負でも俺には勝てねぇってことを思い知らせてやらああああああぁぁぁぁぁ!!! 俺に力をよこせメルセデスウウウウゥゥゥゥ!!!」
「わっ、わかったわ! 一流の私とハインの魔力が合わされば無敵よ! そんな提案したことを後悔させてあげるわ!」
新たな決闘ルールに同意したハインとメルセデスは、手を繋いで魔術を用いた肉体強化を始める。
すると、ただでさえ大柄なハインの体が肥大化し、四肢に備わる筋肉がはちきれんばかりに膨れ上がった。
「おおッ、おおオオッ、オオオオオオオオオオォォォォォォォォッ!!!」
「な、なんじゃありゃあ! バケモンじゃねぇか!」
「まるで魔物だ! 絵本に出てくるオークだぜ!」
「すげぇ! 肉体強化ってあんなふうになっちまうのか!」
私とアラドもためらうことなく手をとり、加護魔術の準備をする。
「アラド。これでいいわね」
「ああ。頼むよソミュア」
私たちは、いざという時のために加護魔術の使用を前提にした戦いを想定していた。
だからこそ、この勝負方法を提案したのだ。
アラドの手を握りながら加護魔術を行使する間、私は自分でも驚くほど冷静でいられた。
さっきまではあんなに怖がっていたのは、見守ることしかできなかったからだ。
だが、今は違う。
私はこの身に宿るすべての力をアラドに捧げることができる。こうして手を繋ぎ、ふたりで力を合わせて困難に立ち向かうことができる。
相手が誰であろうと関係ない。私たちが力を合わせれば、絶対に負けないという自信があった。
私は知っている。他者のステータスを強化する加護魔術は、誰が相手であっても同じ効果を付与できるわけではない。
たとえ魔力量が同じでも『加護』という名が示すとおり、相手を護りたいという思いの強さによって効果が大きく変わるのだ。
私たちの想いは、誰にも負けない。出会って数か月しか経っていなくとも、この身を捧げると誓い合った私たちは、誰よりも愛し合っている。
そんなことはないとわかっていても、今は素直にそう思い込むことができた。それくらい私は、アラドとの絆を信じていた。
魔術の行使が終わると、私は疲労で倒れ込みそうになる。
私の肩を支えてくれたアラドに外見的な変化はほとんど見られないが、凄まじいオーラを放っている。
ステータス上昇に肉体の肥大化など本来は必要ないのだ。この一週間で様々な加護魔術を試した私たちには、最適解がわかっている。
「アラド。思いきりやっちゃって」
「うん。ありがとう」
そう告げたアラドは、いきなり私の唇を奪う。こんな観衆の前でキスされるとは思わず、私は疲労も忘れて飛び上がりアラドから離れてしまった。
「もうっ! こんな時にする必要ないでしょ! バカっ!」
「ハッハァ! オアツイジャネェカ! ソレガテメェラノ最後ダ! オマエ、魔術ヲ使ッテモヒョロヒョロノママジャネェカ! ザコガッ、ザコガッ、ザコガアアアアアアアアアアァァァァッ!!! テメェハコノ俺ガ殺ス! 殺ス殺ス殺ス! 剣ナンテ必要ネェ! コノ拳デブチ殺シテヤラアアアアアァァァァ!!!」
もはや声色まで変わった巨大化ハインに対し、アラドも剣を捨てて前に出る。
「そうだね。これだけの力があれば剣なんて――」
「ヌウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!」
その瞬間、ハインは返答も待たず凄まじい殴打を放つ。
それも一発や二発ではない。大地が揺れ、土煙で決闘場が覆われてしまうほど強力な殴打が目にも見えぬ速さで連打された。
「殺スウゥゥゥッ!!! 殺スウゥゥゥッ!!! 殺スウゥゥゥッ!!!」
「待てハイン! わしゃまだ勝負を仕切りなおしておらんぞ!」
「おいおいおい! あんなの影も形も残らないぞ!」
「や、やめろ! もう勝負はついてるぞ!」
「きゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ハインの強行に怯える会場は、もはや収拾のつかない混乱状態に陥る。
そんな中でも、私は恐れを感じていなかった。
私の力を通じて、アラドの気配がわかる。あれだけの殴打を受けても平然としているアラドの姿が想像できる。
私とアラドの力は、こんなものじゃ打ち倒せない。それが私にはわかっている。
後は、待つだけでよかった。
「ごめん。兄さん」
ふと、土煙の中からそんなつぶやきが聞こえた気がした。
その瞬間、雷鳴のような轟音と共に凄まじい突風が生じる。同時に、決闘場を囲う柵の一部が激しく吹き飛んだ。
会場は瞬時に静まりかえり、いったいなにが起きたのかと誰もが唖然としながら土煙が消えるのを待つ。
すると、舞台の中央で大暴れしていたハインの姿が喪失しており、その体は決闘場を囲う柵を突き破り観客席の土台にめり込んでいた。
一発。たった一発だ。
あの殴打を平然と受けきったアラドは、たった一発拳を突き出しただけで、巨大化したハインを殴り飛ばして気絶させたのだ。
そしてしばしの沈黙を挟み、我に返ったベリエフは高らかに宣言する。
「勝負あり! この決闘、アラド・フォン・ファルマンの勝利とするッ!」
その瞬間、会場はアラドを称賛する歓声に包まれる。
私はたまらずアラドに駆け寄り、観衆の祝福を受けて満足いくまでその体を抱きしめ続けた。




