八十二 織田家の内戦の結末
1571(永禄14)年5月 美濃国 岐阜城 浅井長政
信忠に背いた者たちが敗北し、織田家の内戦は終結した。
林秀貞は織田信孝を連れて小牧山城で籠城しようとしていたようだが、浅井の別動隊が先回りしていたことで抵抗を諦め、降伏した。
佐々は降ることをよしとせず腹を切った。
今回の戦いで最も警戒していたのは織田家最強と言われた柴田だったが、岐阜城下の戦いで討ち死にした。
半兵衛が戦場の状況、柴田の性格などを考慮して、浅井が戦場に着いた直後に突撃してくることを読んで仕掛けた罠が上手くはまった。
柴田隊の兵力は3千弱だった。正面から2500挺もの鉄砲で撃たれ、両側から挟み撃ちにあっては、猛将の柴田でも、どうしようもなかったようだ。
勝家の首を挙げたのは近習の藤堂高虎だった。
高虎は越前の朝倉攻めでも手柄を挙げている。
まだ16歳だが、この時代の感覚では立派な大人だし、そろそろ城を任せても良いだろう。
藤堂高虎の能力の高さは歴史でも際立っている。主君を何度も代えたことで批判されることもあるが、仕えた主君が滅んだりしたためで、裏切ったことはない。
高虎は家臣に対して他家に仕官するなら快く送り出し、戻ってきたら受け入れたとも伝わる。
築城の名手にもなるだろうし、家中の柱としての成長を期待している。
武田は結局、東美濃に攻め込んでくることはなく、主力部隊は遠江に攻め込んだ。
柴田や林は武田が美濃に主力を出すことを期待していたようだが、武田が徳川を攻める間、織田や浅井が動けないようにする駒にさせられた感があった。
徳川は単独では武田の主力を防ぐことは難しい。
織田が内戦で徳川への援軍どころではない間に、武田信玄は遠江の諸城を落としていた。
このままの勢いで三河に踏み込み、尾張にも武田の脅威は及ぶかと思われた。
だが、信玄の喀血がひどくなったらしく、武田軍は甲斐に引き上げていった。
歴史では信玄の喀血による甲斐への帰還は5月だったはずだが、4月中に引き上げていった。
織田の内戦が終わったところで関係者が岐阜城に集まり、今後のことを話し合った。
話し合いの口火を切ったのは北美濃の遠藤慶隆だ。
「此度の戦いでは、浅井家の救援がなければ我らは朝倉の軍門に降っていただろう。今後、遠藤家は浅井家に臣従する。」
東美濃の遠山景任も続いた。
「我ら遠山家も同じでござる。浅井家の援軍がなければ、南信濃の武田の侵攻を防ぐことは難しかったであろう。遠山家も以後、浅井中将殿にお仕えすることにしたい。」
織田信忠は苦しそうな表情を浮かべたが、遠藤も遠山も織田家が内紛を起こしたせいで危機に瀕した。
さらに織田家は救援もできなかったので、遠藤や遠山を止めることができない。
「承知した。これまで織田家に仕えてくれて、感謝致す。」
信忠は感謝の言葉を述べた。離れていく家臣に捨て台詞などを吐くより、感謝して送り出す方が良い。だが、なかなか出来ることではない。
特に遠山家には織田家からおつやの方が嫁いでいる。歴史では遠山景任が亡くなった後に信長の五男の御坊丸が跡継ぎとして送り込まれている。
その遠山家が織田家から離れるのは苦しいだろう。
信忠は若いながらに人格者だと感心した。
「それでは、遠藤家も遠山家も今日から浅井の家臣だ。活躍を期待している。」
遠藤家と遠山家からは事前に浅井に打診があり、俺からは、織田家が許すのであれば臣従を受け入れると伝えてあった。
これで美濃は西美濃に加えて北美濃、東美濃が浅井領になった。
さらに信忠からは浅井の援軍に対して礼をしたいと言ってきて、多額の謝礼あるいは美濃の領土の一部割譲を申し入れてきた。
だが織田家にとって、今回の内戦の傷は浅くない。有力な家臣を何人も失い、兵も損耗している。
武田の脅威もなくなった訳ではなく、織田家に余裕など無いはずだ。
信忠には、北美濃と東美濃は浅井の傘下に入ったのだから、それ以上の礼は不要だと伝えた。
俺は信忠に見送られて近江に戻った。
別れ際に、苦難の続く信忠にせめてもの言葉をかけた。
「今後も浅井と織田の友誼は変わらぬ。困ったことがあれば、この叔父を遠慮なく頼ってくれると良い。」
信忠はかつての本拠地である清州に戻り、織田家を立て直すつもりのようだ。
八幡山城に戻り、今回の戦で活躍した者たちに恩賞を与えた。
一番の戦果を挙げた遠藤直経には、大野郡の一部も含めて越前での所領を増やし、軍事面では大野郡の浅井本家の直轄地も含めて差配してもらうことにした。
これで直経が動かせる軍勢は2万近くになる。
忠誠心に疑いのない直経だからこそ、これだけの大軍を預けることができる。やはり忠臣は貴重な存在だと思う。
越前の所領が10万石ほど増えることから、増田長盛を加増して越前に配置替えし、三国湊の代官もあわせて任せた。
そして、亀山城主には藤堂高虎を抜擢した。
高虎の同期のライバルの脇坂安治は近習の青母衣衆の隊長にした。
手柄を立てた若手は、これからも積極的に引き上げていきたい。




