八十一 岐阜城下の戦い
1571(永禄14)年4月上旬 美濃国 岐阜城下 林秀貞
三七信孝殿を担ぎ、儂は柴田権六と共に兵を挙げた。
若殿は丹羽や滝川、木下らの意見を容れた。
そのことに納得できない柴田と儂に佐々成政も加わり、収まりがつかなくなった。
結局、三七信孝殿を担いで武田と組み、若殿に反旗を翻すことになった。
柴田権六はどうもお市様が浅井に嫁いだことが気に入らぬようで、戦意は高い。
だが、これで良かったのだろうか。
武田信玄は信用できぬ。浅井に対抗するために力を借りたつもりで、織田家を滅ぼすことになりはしないか。
信玄からは、郡上八幡城は大野郡の朝倉景鏡が攻め、東美濃には武田が南信濃から攻め込むので、それに呼応して岐阜城を攻めれば信忠は降伏するだろうと言ってきた。
しかし若殿が覚悟を決めて浅井に援軍を頼めば、そう上手くいくとは限らぬ。
浅井は畿内で新たに得た領地を安定させることに力を注いでおり、美濃や尾張に構っている余裕はないと権六たちは言っているが、本当にそうだろうか。
迷いを抱えながら、兵を発して岐阜城下まで来ておる。
こんなことでは、あの世で三郎信秀様に会わせる顔がないのう。
美濃国 岐阜城 織田信忠
城下に柴田や林、佐々らの兵が寄せてきた。兵の数は1万5千くらいだろうか。
いずれも父の下で活躍した武将たちだ。
もう一人の重臣の佐久間信盛は中立の立場をとったようだ。
自分の信望の無さが情けない。
だが、今はできることをするしかない。
こうなると、近江の叔父上に救援を頼んで良かった。大きな借りを作ることになるが、そうしなければ家督を奪われたかもしれぬ。
叔父上からは、越前の遠藤喜右衛門が大野郡の朝倉景鏡を討ち、さらに東美濃に援軍に行くという連絡があった。
岐阜城には叔父上自らが大軍を率いて来てくれるようだ。
状況を踏まえて丹羽たちと相談し、無理に野戦で柴田らと戦わないことにした。
こちらの兵力は約1万なので、岐阜城に籠城し、叔父上の援軍が来たところで城内から討って出るのが、最も確実に勝てる方法だと考えた。
何もかも叔父上に頼るようで格好は悪いが、この戦いは短期間で決着させねば、織田家は立ち行かなくなってしまう。
父上とて、上手くいかない戦いの方が多かったのだ。
美濃国 岐阜城下 蒲生氏郷
織田勘九郎殿の援軍要請を受けて、御屋形様は美濃に兵を出した。
近江の常備兵だけで約2万の兵力だ。近江に約1万の兵を残してのことだから、浅井家の実力には余裕がある。
岐阜城に向かう途中で西美濃三人衆が加わり、総勢2万6千ほどになった。途中で近江兵約6千を別動隊にしたので、今は約2万の軍勢だ。
岐阜城下に着くと、柴田や林が1万5千の兵で城を囲んでいた。
城内には勘九郎殿に丹羽殿、滝川殿、木下殿など約1万の兵がいる。
こちらが圧倒的に優勢だ。
どうするのだろうと思っていると、柴田軍はこちらに襲い掛かってきた。
軍師殿の読みどおりだ。
一戦もせずに退却することはできず、仕掛けてくるのは戦意の高い柴田だろうと半兵衛殿は言っておられた。
柴田はこちらの陣容が整わないうちに先制しようと考えたのだろう。確かに戦は兵力だけでは決まらないが、柴田の行動は軍師殿の読みどおりだ。
こちらは押されたふりをして、先陣の部隊は予定どおり左右に分かれた。
柴田隊の正面の部隊には鉄砲足軽が多めに配備されており、柴田隊を十分に引きつけたところで一斉に射撃した。
浅井は今では5千挺を超える鉄砲を保有しており、今回は3千挺を持ってきている。500挺は別動隊が持って行ったが、なお2500挺ある。
2500挺の鉄砲の音は地を揺るがせ、柴田隊の先頭は粉砕された。
鉄砲の音を合図に、左右に分かれた部隊が両側から押し包んだ。正面の部隊も鉄砲足軽が後ろに下がり、長槍隊が前進する。
左右の部隊はそれぞれ前田利家殿と本多正重殿が指揮しておられる。浅井家中でも屈指の強さを誇る部隊だ。
しばらく揉み合っていたが、兵数の差もあり、左右から挟撃されたことで、織田家最強と言われる柴田隊は退却を始めた。その機をとらえて岐阜城から勘九郎殿たちが討って出て、柴田隊は堪らず敗走した。
そこからは追撃戦になった。手柄を挙げる好機だ。私も敵の足軽大将を倒したし、同期の片桐も戦果を挙げたようだ。
敵は先代の三郎信長様が一時期居城とした小牧山城を目指して落ちて行ったようだ。
だが、簡単に小牧山城に入れるかな。
1571(永禄14)年4月中旬 尾張国 小牧山城 林秀貞
浅井は勘九郎殿の援軍に大軍を出した。
畿内で手一杯などというのは都合の良い想像だったようだ。
突撃した柴田権六の部隊は文字通り粉砕され、我らは逃げるほかなかった。
浅井は一体どれほどの鉄砲を持ってきたのだろう。
織田は豊かな家だと誇ってきたが、高価な鉄砲をあれだけ揃えておるとは、浅井との力の差は思ったよりも開いていたようだ。
こうなれば、小牧山城に立て籠もり、武田が援軍に来るのを待つほかない。
追撃を受け、脱走する者もいて兵は減っていき、今では3千いるかどうか。
どうにか小牧山城に着いたが、城の様子がおかしい。
様子を見に行った者が慌てて報告に来た。
「大変です!小牧山城には三つ盛り亀甲に花菱の旗が翻っております。」
何と、浅井は2万の援軍のほかに、さらに別動隊を出して小牧山城を奪っておったのか。
これでは勝てぬ。
浅井が出てくれば必ず後詰めすると信玄は約していたが、武田の援軍は来なかった。
降伏するしかあるまい。




