七十八 初の誕生とお市たちの巡行
1570(永禄13)年8月 近江国 八幡山城 浅井長政
近江に戻ってしばらくすると、二人目の娘が無事に生まれた。
長女のときと同じで、娘は最初から可愛いと思えた。
浅井三姉妹の次女である初は、歴史では伯母の京極マリアの息子である京極高次と結婚し、夫が亡くなった後に出家して常高院と称す。
天下人の妻となった姉と妹に比べると地味な印象だが、最も穏やかな一生だったかもしれない。
歴史では聡明な女性だと評されていて、大阪冬の陣や夏の陣の前後には活発に外交活動を行った。大阪城落城時には家康に会い、城中の女性が望みの場所へ落ち延びる許可を得たと伝わる。
印象的なのは、初に仕えた侍女7名が初の死後も菩提寺を守り、初の墓を囲むように配置された七つの墓に入っていることだ。
どうやら初は、侍女に慕われるカリスマ性も備えていたらしい。
浅井家は滅びの運命からは遠ざかりつつあると思う。
初が浅井家の一員として聡明さを発揮し、幸せな人生を送ることを願う。
1570(永禄13)年9月 畿内の浅井領 浅井長政
領内では黄金の稲穂が揺れている。
収穫の季節だが、浅井は農民兵ではなく銭で雇った兵だという強みを活かして出兵することも多い。
けれども今年は出兵は控えた。
今は畿内の新しい領地を落ち着かせることを優先したいと考えている。
織田の情勢が見通せず、近いうちに武田と戦になる可能性を考慮したこともある。
このところ戦の絶えなかった畿内だが、要所の城に常備兵を配置して睨みをきかせることで、国人や地侍たちに反逆の動きはない。
直轄領の年貢は四公六民にしたことで、農民たちも喜んでいるようだ。
来年以降は蓮華による地力の強化や揚水水車による治水、正条植えなどを導入して米の収量を上げるつもりだ。
もちろん商業振興もする。関所をなくし、楽市楽座にして、誰でも自由に行き来でき、自由に商売ができるようにする。
今では既得権益を持つ座の関係者も、正面切って浅井に反対できない。
だが、民心を得るための当面の策として、三田村の爺と赤尾美作守が熱心に勧めるので、俺はお市たちを連れて領内を巡った。
お市の体調は心配だったが、産後の肥立ちも良く、浅井家のためになるならと、お市は意欲的だった。
長浜城のお披露目のときもそうだったが、お市はもともと明るくてイベント好きだ。
そこで、新たな領地を巡回して国人や地侍たちの引見をする際に、正装した近習や護衛兵に加え、お市たちにも参列してもらった。
お市と侍女たちは、浅井領で取れた生糸から紡いだ絹を蒲生郡で取れた紫草で染めた美しい衣を纏い、琵琶湖の淡水真珠で作った装身具を身に着けている。
お市の隣には、摂津から登用した川那部ちよほ(荒木だし)がいる。「今楊貴妃」と史料で評された美貌は、13歳でも花開いている。
さらにもう1人、10歳になった京極竜子もお市の隣にいる。
京極家が浅井家の家臣となったことで、姉の京極マリアが勉強のためと言って、最近お市のもとに送り込んできていた。京極竜子も歴史に名の轟く美女だ。
この時代、上流階級の女性たちは被り物をして顔を見せないことが多いが、お市たちは敢えて素顔を見せた。
絶世の美人であるお市が、両隣にこれまた絶世の美少女二人を連れているということで、大変な評判になった。
引見の場だけではなく、浅井家の一行が通る街道沿いには多くの民衆が集まってくる。
いや本当に、橘内からは警備が大変なので勘弁してくれという泣きが入ったくらいだ。
領内を巡行するとき、お市たちの周囲は姉上の実宰院が率いる女性警備兵が固めているんだが、信長が鉄砲で撃たれたことで、鉄砲を持った怪しい者がいないか、少し離れたところまで橘内配下の忍びが警戒に当たってくれている。
忍びたちは大変だったようだが、お陰で、浅井家は竹生島の弁財天様のご加護を受けていて、お市は弁財天様の御使いだという噂は一気に広まった。竜子やちよほまで神様の御使いだという噂が立った。
長浜城のお披露目のときと同じく、「ありがたや」と拝むお年寄りも多かったのは微妙だったが、小さな女の子が「綺麗だなあ」と目を輝かせているのを見ると、やって良かったなと思う。
さらに、公家たちの要請もあって、浅井領ではないが、京の町中でも行列をした。
パレードというか何と言うか、お市たちはファッションショーのような感じだったな。
久方ぶりに京が華やいだと、後で陛下からもお褒めの言葉を賜ったのには恐縮した。
領内巡行の結果、近江の絹織物や淡水真珠は裕福な女性たちに人気になり、凄い高値で売れていくと、清水山の従妹殿はほくほく顔だった。
これまでは淡水真珠は主に輸出品として売っていた。
それが今回のお市たちの巡行を契機に、真珠の首飾りが流行の最前線になったらしい。
首飾りというと洋服のイメージが強いが、考えてみれば古代に翡翠の首飾りが使われているし、明治時代の淑女たちは着物に首飾りをあわせていたようだ。
そういえば海津浅井家の姉妹も浅井一族らしい美貌なんだが、お市や竜子、ちよほと並ぶと見劣りがするから、諸国を一緒に巡るのは断固拒否すると言っていたな。
まあ、どっちにしても今回の領国巡回で、俺は脇役であることに変わりはない。
別に当主が主役である必要などない。
戦が続いて疲弊した畿内の民に、浅井の政は何だか良さそうだ、暮らしが楽になりそうだと思ってもらえることが重要だ。




