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長政記~戦国に転移し、家族のために歴史に抗う  作者: スタジオぞうさん
第五章 義兄の死

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幕間 明智光秀と荒木だし

1570(永禄13)年初夏 浅井長政

 先日、八幡山城に一人の客を迎えた。

 「浅井中将様、お久しぶりでございます。」

 「うむ、久しいな。傷はもう癒えたのか。」

 客は、傷の癒えた明智光秀だった。

 「お陰様で、命をつなぐことができました。」

 「それは良かった。これからどうするつもりだ。」

 光秀は傷が癒えたものの、左手がうまく動かせず、足も少し引き摺るようになっていた。

 「この体では幕臣としてのご奉公は難しゅうございます。それでも付いてきてくれる家来もおりますので、故郷に戻り、つつましく暮らすつもりでございます。先日、義昭様にもご挨拶をして参りました。」

 光秀は寂しそうに微笑んだ。義昭は体に気を付けて達者に暮らすように告げたという。

 「そなたの能力は戦働きだけではない。幕臣を辞めるのなら、浅井に仕えてくれないか。」

 光秀は驚いた表情を見せた。

 「しかし、某はもはや武士としてお仕えできませぬ。」

 「構わぬ。浅井は戦働きだけを評価する家ではない。商業や農業を盛んにすることを重視している。

 清水山の女宰相の噂はそなたも聞いたことがあるのではないか。従妹殿は戦場には立たないが、浅井でも屈指の重臣だ。

 そなたなら有職故実の知識を生かして外交で活躍してもらうこともできる。

 急な話だから、この場で答えよとは言うつもりはない。家族とも相談して検討してくれぬか。」


 数日後、光秀は仕官を決めてくれた。

 明智光秀はいろいろなことができる万能型の武将だが、外交と儀典を担当してもらおうと思う。

 ここでは光秀が裏切るような状況にもっていかないつもりだが、それでも軍略は担当してもらわない方が良いような気がした。

 これまでは進藤賢盛が一手に外交と儀典を担当していたが、他家との交渉で出掛けることも増えている。

 これからは朝廷や公家との付き合いも増えるだろう。

 有職故実に詳しい光秀には、京で伯父の浅井明政を補佐してもらおうと思う。


 最近登用した者は、もう一人いる。

 武将ではなく、お市の侍女だ。悲劇的な最期を遂げたと歴史に伝わる女性だが、毅然として死を迎えたというエピソードが残っている。

 そのことを俺から聞いたお市は、救い出して手許に置きたいと言ったので、探し出して登用することにした。


1570(永禄13)年初夏 近江国八幡山城 川那部ちよほ(荒木だし)

 近江の八幡山城に着きました。

 ここが私がお仕えする方のいる城ですか。

 琵琶湖からそのまま船が入って来られる水路があり、多くの船が行き来しています。

 城下町は広くて商人が多く、とても賑わっています。

 浅井の御屋形様が私のことを探していると摂津で聞いたときは、間違いではないかと思いました。

 私は美人だと周囲に騒がれていますが、みるみる領土を広げ、畿内を差配することになった浅井家のご当主のお耳に入るほどではありません。

 皆は私が側室に望まれたのだと言っていますが、迎えに来た方からは、ご正室のお市様の侍女になるのだと聞いています。どちらが正しいのでしょうか。

 城に着いたら、侍女が暮らす一角に案内され、華美ではありませんが独立した部屋を与えられました。

 数日経って少し落ち着いた頃、お市様にお目通りしました。

 緊張しながら平伏して待っていると、涼やかな声が聞こえました。

 「面を上げなさい。」

 「はい。」

 顔を上げると、見たこともないような美しい人がいました。

 お市様は竹生島の弁財天様の御使いだという噂も聞きましたが、納得です。

 「これからそなたは私の侍女です。そなたは美しいだけではなく、いかなるときも毅然と振舞えるような芯の強い女性だと私は思っています。

 そなたの美しさを浅井家のために役立ててもらうこともあるでしょう。

 しかし、浅井家では女は飾り物ではありません。政でも武芸でも良い、そなたも何か得意なことを伸ばしてくれればと思います。」

 どうしてお方様がそのように思ってくださったのかは分かりませんが、私の外見ばかりではなく内面を評価して頂けるのは、とても嬉しく思います。

 摂津では私を人形か何かのように、飾っておきたいだの何だのと言う者が多く、うんざりしていました。

 お方様のご期待に添えるよう、頑張りたいと思います。

 荒木村重の側室のだしは、今楊貴妃とも称される美貌で有名ですが、信長に叛乱を起こした村重が城を明け渡せば人質の一族や家族を助けると言われたのに拒んだため、他の荒木一族と共に処刑されます。

 処刑の際、だしは護送の車より降りた後、帯を締め直し、髪を高く結い直し、小袖の襟を開いて、従容と首を差し出したと伝わっています。

 辞世の句も伝わっていて、「消ゆる身は 惜しむべきにも なきものを 母の思ひぞ 障り(さわり)とはなる」と我が子を思いつつ、「磨くべき 心の月の 曇らねば 光とともに 西へこそ行け」と覚悟を決めた様子もうかがえます。

 そのエピソードを聞いたお市が、そこまで胆の座った女性なら、きっと機会を与えれば活躍できたのではないかと考えて、登用することになったものです。

 生年には諸説あり、いつ村重に嫁いだかは伝わっていませんが、1558年説をとれば1570年にはまだ13歳なので、村重に嫁ぐ前に摂津で探し出せると考えました。

 このあたりの状況を本文で書くと冗長になると思ったので、あとがきに書かせてもらいました。

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