七十六 信長の後継者
1570(永禄13)年5月下旬 山城国 二条城 浅井長政
義兄の死は当分の間、秘されることになった。
だが、いずれは周辺諸国の知るところになるだろう。
それまでに準備をしておかなければならない。
俺は将軍の了解を得て、いったん近江に戻ることにした。
京もおろそかにはできないので、名代として弟の政元を置き、左衛門と進藤賢盛を補佐に付けた。
安養寺氏種には美濃に行ってもらった。
俺には近江でやらなければいけないことがある。
1570(永禄13)年5月下旬 近江国 八幡山城 お市
御屋形様が京から戻られました。
予定ではもうしばらく京におられるはずでしたが、何かあったのでしょうか。
私はお腹が大きくなったので、八幡山城で静養させてもらっています。
「お市、具合はどうだ。辛くはないか。」
「ありがとうございます。もう三人目ですから、だいぶ慣れましたよ。昼も眠くなることはありますが。」
「そうか、それは良かった。」
御屋形様は笑顔を見せていますが、どこか顔色が優れません。何か悪いことが起きたようです。
「実はな、悪い知らせがある。出産を控えたそなたに心労をかけたくはないのだが、誰かの口から伝わるより、俺が伝えるべきだと思った。」
「はい。」
「義兄上が亡くなった。美濃に戻る途中で、近江との国境に近い山城の山道で、鉄砲で撃たれたらしい。」
ああ、これまで幾度もの危機を乗り越えてきた兄が、ついに命を落としましたか。
「そうですか。兄は若い頃から戦いの続く日々でした。命を失くす覚悟はずっと前に固めていたと思います。」
御屋形様は兄の死を本当に悲しんでいる様子です。
敵には厳しいのですが、信頼した者や家族には本当に優しい人です。
その優しさを私は弱さとは思いません。むしろ、この乱世で力を握りながらも人間らしさを失わないことを嬉しく思っています。
兄の死で傷つかないよう、御屋形様の心を私は支えたい。
「兄は家柄自慢の愚か者が嫌いでした。だから能力があれば、藤吉郎のように出自の分からない者でも登用しました。
厳しい人ですが民には優しく、戦の後の乱取りを禁じ、軍律を厳しくしていました。
金儲けを馬鹿にする武士も多いですが、兄は商業の重要性を理解して、楽市楽座や関所の廃止を進めました。
兄の考えは貴方と似ているのです。きっと兄は義弟である貴方が遺志を継いで、新しき世を築くことを願っています。」
「お市…。そうだな、義兄上の遺志を継がないといけない。俺は落ち込んでいる場合じゃないな。」
1570(永禄13)年6月上旬 近江国 八幡山城 浅井長政
美濃に行っていた安養寺氏種が戻ってきた。
織田家の様子をたずねると、信長の死を隠している間に嫡男の奇妙丸を元服させ、重臣たちも盛り立てていくことになったらしい。
予想どおりだ。だが信忠はまだ13歳だ。確か歴史では1572から73年くらに元服するはずだから、少し早い。それに歴史では信長が健在な状態で元服している。
歴史では信忠は優秀だったと考えられているが、今の時点で織田家中をまとめるには大変だろう。
氏種によれば、織田家中は親浅井と親武田の二派に分かれているらしい。
半兵衛と橘内を呼んで、今後の対処方針の相談をした。
「美濃に行っていた三郎左衛門尉によれば、織田家は嫡男の奇妙丸を元服させて後を継がせるようだが、家中は親浅井と親武田の二派に分かれているようだ。
橘内と半兵衛は、織田家の状況についてどう見ている?」
「忍びの報告をまとめると、織田家中の親浅井派は丹羽長秀、滝川一益、木下藤吉郎が中心だ。それに対して親武田派は林秀貞、柴田勝家が中心になっている。佐久間信盛は中立の立場をとっているようだ。
奇妙丸殿は家中での評判は良いようだが、いかんせんまだ若い。織田家中はまとまらない恐れが大きい。」
「織田家の現状は、古くからの家臣である林や柴田は源氏の名門である武田家と組みたがり、浅井と縁のある丹羽と新参者の滝川や木下は浅井家との同盟を続けようとしているということかと思います。
武田はこの機に織田と徳川を呑み込んで西進することを考えるでしょう。親武田派に親浅井派を攻めさせ、混乱したところに攻め込もうとするかと。」
「大将の歴史の知識では、再来年の春に信玄は病死する。それまで武田の攻勢を抑えれば良いことになる。いや、やはり未来の知識があるのは大きいな。」
「そうですね。万一、信玄が長生きした場合に備えておく必要はありますが、これまでのところ、諸将の寿命は御屋形様の知識のとおりですから、確かに有用な知識ですね。」
「歴史の知識を一人で抱えていた頃を思えば、こうして相談できることは大きいよ。
では浅井家としては、親浅井派から救援要請があればすぐ兵を出し、武田の攻勢を止める準備をしておこう。それから、信玄坊主が動く前に畿内を落ち着かせておく必要があるな。」
二人とも頷いた。




