七十 本圀寺の評定
1569(永禄12)年五月 山城国本圀寺 浅井長政
京に凱旋してしばらくすると、義昭に将軍宣下があった。
将軍から呼ばれて義兄の信長と共に本圀寺に行くと、義兄の信長は官位が低いことを理由に、少し離れた場所に案内された。この頃の信長は上総介ではなく尾張守を名乗っている。
俺だけ将軍の近くに行くのは嫌だったので、俺も信長の隣に座った。
しかし、足利義昭がもっと近うと何度か言うので、俺と信長は近くににじり寄った。
「よく参られた。中将殿、尾張守殿。お陰で三好から京を取り戻せた。深く御礼を致す。」
周囲は次期将軍が率直に御礼を述べたことで、少しざわめいた。
「早速だが、二人の働きに報いたいと思う。管領代あるいは副将軍に就いてもらおうと思うが、いかがか。浅井中将はどちらを望むか。」
「浅井も織田も家格から言えば、管領代も副将軍も就任は難しきところ、上様の格別の思し召しでござる。」
義昭の隣から恩着せがましく言ってきたのは政所執事になると言われている摂津晴門か。
「せっかくのお言葉ですが、某には勿体ない役職でございます。」
「何と、辞退すると申すか。尾張守はいかがか。」
「某も義弟と同じく、辞退申し上げます。」
周囲がどよめいている。
「二人とも欲がないことじゃ。だが信賞必罰は武門の習い。何も報いないでは義昭の恥となろう。せめて足利家の桐紋と管領家の斯波家並の礼遇は受けてくれるな。」
俺も義兄上も謝辞を述べた。
どちらも歴史で信長が受けた恩賞だし、受けても問題ないと思う。
その後、畿内の統治をどうするかが決められていった。
管領は河内の畠山が就き、政所長官は摂津、侍所長官は一色が就くことになった。
これらの人事は義昭側近の間で根回しと合意が出来ていて、俺も義兄上も異論を唱えても無駄なので、口を挟まなかった。
山城は守護を置かず、三淵藤英が伏見に配置された。勝龍寺城には細川藤孝が入るようだ。
河内は三好義継と畠山昭高が分け合い、摂津は池田勝正、和田惟政、伊丹親興の三人が治めることになった。
俺と義兄上は堺に代官を置いて共同統治することだけを希望して認められた。
その後、昼間から宴会をすると言われたが、付き合う気になれないので、戦で疲れていることを理由に欠席した。
本圀寺を出たところで信長に聞いた。
「義兄上、管領代も副将軍も断って良かったのですか。」
「ふっ、此度の戦に貢献していない畠山が管領なのに、その下に就いても面白くあるまい。以前にそなたも言うておったが、将軍の側にいる連中は駄目だな。」
「はい、連中は家柄を自慢するばかりで、自分たちの利益のことしか考えていません。あのような者たちが権力を握っているからこそ、畿内は争いが続き、日の本は乱世になってしまったのです。
連中は民の苦しみなど露ほども考えていないでしょう。」
「はは、優しいそなたにしては、随分厳しい物言いだな。だが、その通りだと儂も思う。」
信長は笑った。俺も笑った。あのような茶番、笑うしかないだろう。
「それで、これからどうするつもりだ。」
「はい、近江に戻ります。」
「そうか、儂も美濃に戻ることにする。将軍の側にいる連中では畿内を治めることは難しいだろう。お手並み拝見だな。」
数日後、浅井と織田の連合軍は京を去った。
軍事力を背景に何か注文を付けてくると思っていた義昭の側近連中は、拍子抜けしたようだ。
このまま彼らに好きにさせて良いと思っているわけではないが、今の時点で何かしようとは思っていない。
ある歴史イベントが起きたときが行動すべきときだ。
近江に戻ってから俺がしたのは、京を追放された近衛前久を保護することだった。
義昭は前の将軍である義栄に味方した近衛前久から自分に近い二条晴良に関白が交替するよう朝廷に働きかけた。
歴史では近衛前久は丹波の赤井直正を頼ったのちに本願寺顕如を頼って石山本願寺に移る。
後に信長包囲網が動き出すと、三好三人衆の働きかけを受けて本願寺を反信長にするように行動したと言われる。
そのような余計な行動をされることがないよう、近江に招いた。
義昭が近江に滞在していたといっても、俺は義昭と微妙な距離をとっていたことを知っていた近衛は、俺の誘いを受けて近江に来た。
最近の近江には戦乱で荒れた京を厭い、三条西卿を頼ってやってきた公家もいる。
長浜には諸国の産物が集まるし、三条西卿や政元の屋敷では連歌の会も開かれている。
近衛卿も、そこまで無聊をかこつことはないんじゃないかと思っている。
諸国の動きとしては、徳川が遠江の領有をめぐって武田家と対立し、今川氏と和睦して駿河から撤兵したようだ。このあたりは歴史のとおりだ。
この頃の武田家は強い。北関東にも触手を伸ばし、上野を領地に加えている。
駿河を武田、遠江を徳川が得るという約束を破ることで家康が怒り、今川攻めから抜けても構わないと思ったのだろう。
いずれ武田は西へ進んでくるだろう。油断はできない。




