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長政記~戦国に転移し、家族のために歴史に抗う  作者: スタジオぞうさん
第四章 越前侵攻と上洛

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六十六 朝廷外交と長島の戦い

1567(永禄10)年八月 近江国 長浜城 浅井長政

 若狭と越前の湊を得て、日本海貿易のかなりの部分を浅井が差配できるようになった。

 そこで、このあたりで朝廷外交を強化しておこうと考えた。

 若狭国は古代からとして塩や海産物などの食材を都に運び、都の食文化を支えてきた。このため「御食国みけつくに」とも呼ばれる。古墳時代には、宮中の食膳を司る膳臣かしわでのおみが治めた国でもある。

 若狭を得たときから、塩や甘鯛などの海産物は朝廷に献上してきた。

 ここでさらに進めて、若狭湊を朝廷に献上して、禁裏御料所とした。若狭湊はかつて禁裏御料所だったことから、旧来の秩序に戻した格好になる。

 献上といっても若狭湊から得る税収を朝廷に収めるという意味で、浅井が管理することに変わりはないが、多くの禁裏御料所を国人などに横領されて経済的に困窮している朝廷には大きな意味がある。

 ちなみに初代の小浜の代官は増田長盛だったが、増田は亀山城主に栄転させ、その後は三田村左衛門の嫡男の三田村国定に任せている。

 戦が下手だと爺は厳しいが、戦上手の磯野が城主をしている横で代官をするので問題ない。

 俺としては、やはり爺と赤尾の献身には応えたい。この老将二人が支えてくれていることは浅井家中を安定させるうえで極めて大きい。赤尾清綱の息子も近いうちに元服するから、重用するつもりだ。

 河野島の戦いで織田が敗れてから、足利義秋とその側近たちは上杉や武田への働きかけを強めていたが、越前の朝倉を浅井と織田が降したことから、きっとまた上京するようにと煩く言ってくるだろう。

 浅井も大国となり、京の政治情勢と無縁ではいられない以上、朝廷との関係は良好にしておきたい。

 それに加えて、長浜に滞在している三条西卿を通じて、困窮する公家の屋敷の修繕費を出すなどの支援も行った。

 公家を支援しても仕方ないという声も家中にはあるが、公家は一見力がないように見えても思わぬところに人脈を持っていることもある。

 いろいろと動いていると、朝廷から使者が来て、新たな官位に叙任された。

 従四位下近衛中将だ。これまでの近江守とは違い、他の戦国大名より一段高い地位を得たと言える。


1567(永禄10)年九月 伊勢国 長島 織田信長

 義弟は越前を順調に攻め落とした。

 五郎左と藤吉郎を援軍に行かせたが、たいした被害もなく、大野郡を獲れたのは織田にとっても良かった。

 だが、これで浅井の領地は160万石くらいに膨れ上がる。

 織田は大野郡の10万石を加えても100万石には届かぬ。

 長政は野心は少なく義理固い男だが、決して甘い男でもない。

 織田と戦うつもりはないだろうが、織田が領土を広げるのを待ってはくれぬだろう。

 浅井が次に狙うのは、加賀か伊勢か。もし伊勢に進出するなら、織田が西に進むには浅井領を越えていかなければならなくなる。

 義弟は儂が西へ進みたがっていることは気付いているようだ。

 織田と浅井の間の関所は商業のためになくしたこともあり、浅井が伊勢を獲っても、西への道を閉ざされることはないだろう。

 ああ考えてみれば、関所をなくすことは商業のためと長政は言っていたが、本当のところは、伊勢を浅井が獲っても織田は西に進むことができると知らせるためだったのかもしれない。

 それでも、浅井領を越えて西へ領土を拡張することは避けたい。

 織田と浅井は美濃でも越前でも国境を接しており、周辺に上杉や武田、三好など油断のできない勢力がいる中で、織田と浅井が戦うことは考えられない。

 義弟は信じるに足る人物だと思うが、将来は分からない。

 そのためには伊勢にできるだけ早く進出せねばならず、邪魔になるのは長島だ。

 稲葉山城から逃げた斎藤龍興も長島に逃げ込んでおる。

 服部左京進は桶狭間の戦いのときに織田を背後から撃つ構えも見せた。

 このまま放置してはおけぬ。

 

1567(永禄10)年十月 近江国 長浜城 浅井長政

 「殿、山中橘内殿がお越しでございます。」

 小姓の蒲生鶴千代が来客を告げに来た。鶴千代は幼名で、後に蒲生氏郷と名乗る武将だ。

 早いもので、もう11歳になる。来年には元服して近習になる予定だ。

 浅井に来た4年前には、観音寺騒動で浅井に対立した蒲生家から人質として来たので固い表情をしていたが、俺は温かく迎えたつもりだ。浅井で様々なことを学び、今では民を安んじ、犠牲の少ない戦を目指す浅井の政をよく理解してくれている。

 氏郷の優秀さは家中でも知られている。歴史で信長が気に入ったのも頷ける。

 このまま浅井家の柱石となる家臣になってほしいと願っている。

 間もなく橘内が現れた。

 「橘内、よく来たな。それで、どうだった?」

 何がどうだったかは言わなくても橘内も分かっている。

 「ああ、織田が敗れた。」

 「やはりな。」

 歴史では5万の兵を出した第一次長島攻めも失敗している。

 今回、織田は3万で出兵したと聞いていた。それではとても足りない。

 長島は木曽川、揖斐川、長良川の河口近くの輪中地帯だ。拠点を攻めようとすると渡河する必要のある場所が多く、攻めるのは難しい。

 「織田軍は攻めあぐねて、周囲の村を焼いた後で撤兵したが、その途中で門徒側の伏兵に襲われ、多くの被害を出した。殿しんがりを務めた柴田勝家は負傷したようだ。

 さらに門徒たちは追撃の途中で小木江城に攻め込み、城主の織田信興は自刃したようだ。」

 「そうか、信興殿が亡くなったか。経過は違っても、結果は歴史と同じになってしまったな。」

 織田が長島を攻めたのは、伊勢に進出するためだ。

 俺は関所をなくすことで、浅井が伊勢を獲っても織田の西進は可能だと示したつもりだったが、やはり織田は伊勢がほしいのだろう。

 既に鈴鹿や亀山のあたりは浅井領だから、焦ったのかもしれない。

 強固な同盟関係を結んでいても、なかなか難しいものだ。

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