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長政記~戦国に転移し、家族のために歴史に抗う  作者: スタジオぞうさん
第四章 越前侵攻と上洛

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六十二 敦賀攻略

1567(永禄10)年3月 近江国長浜城 浅井長政

 若狭から早馬が来て、味方の勝利を知らせてくれた。

 磯野はやはり戦に強い。朝倉は多くの被害を出して潰走したようだ。

 朝倉は毎年、若狭に攻めてきていた。

 さらに美濃攻略のときには浅井一族に調略をかけてきた。もともと親朝倉だった宿老の赤尾も越前は討つしかないと考えるようになっていた。

 どのタイミングでどう越前を攻めるか、半兵衛や橘内と検討したが、若狭を攻めに来る敦賀郡の軍を討ち、追撃して敦賀郡の主城である金ヶ崎城を奪うことにした。

 若狭で敗れた朝倉軍は金ヶ崎城に逃げ込もうとするだろうが、磯野隊の追撃に加えて、別動隊も待ち伏せていて、逃げる敵を横撃する予定だ。

 別動隊は地理的に近い海津浅井家と井口家が中心の部隊だ。

 海津浅井家なんて聞き覚えの無い家名だと思うが、海津城を本拠とする伯父上の浅井家は、浅井本家と区別するために海津浅井家と呼ばれるようになった。

 海津浅井家は従妹の松千代殿と竹千代殿の活躍で、今や家中でも一目置かれているが、伯父上はうちは商家じゃなく、戦もできるところを見せると張り切っていた。

 井口の伯父上も、清酒造りや水車の製造販売で巨利を得ているし、家中でも重きをなしているが、やはり戦でも活躍したいらしい。

 井口は酒屋になったわけではないところを見せる、と意気込んでいたな。

 海津浅井と井口が千五百人ずつで三千人の別動隊だ。

 今回の出兵は敦賀郡司の朝倉景恒の全力だったはずだ。だから金ヶ崎城の守兵は多くないと思う。

 俺の知る歴史では敦賀郡司家の景恒の兄の景垙かげみつは朝倉が加賀へ攻め込んだとき、陣中で大野郡司家の景鏡かげあきらと口論の結果、自殺した。

 そして当主の朝倉義景は文化人のような気質で戦をあまり好まない。

 橘内配下の忍びたちは、朝倉景垙の自殺が実際にあったことを確認し、敦賀郡司家と大野郡司家は深刻に対立していること、さらに朝倉義景は日本海貿易で繁栄する現状に満足し、和歌などに関心が強く、戦は家臣に任せたがる傾向があることを掴んできた。

 こうした情報を総合して、金ヶ崎城を浅井が攻めても大野郡司家は援軍を出すのを嫌がり、義景の援軍も遅れるだろうと予測した。


越前国 金ヶ崎城付近 藤堂高虎

 某は殿をお守りする近習だが、元服したので戦に出たいとお願いして、軍に加えて頂いている。

 快く送り出してくださった殿のためにも、ぜひ手柄を立てたい。

 特に、某と同じく近習で初陣の脇坂甚内安治には負けたくない。

 殿からはとにかく無事に戻って来いと言って頂いており、無茶はしないつもりだが、やはり活躍したい。

 磯野殿が国吉城から追い立てた朝倉軍が逃げてきたところ、待ち構えていた我らが横から突いた。

 海津浅井家も井口家も富裕で知られる家だ。兵たちは装備も良いし、士気も高い。

 敗走していた敵はこれでますます混乱し、潰走した。

 そのまま磯野殿と合流し、敵を追って北上して、金ヶ崎城の付近まできた。

 ここまで軍師の竹中半兵衛殿の読みどおりだ。凄い軍師だとは聞いていたが、やはり只者ではないな。

 我らは軍師殿の指示通り、敵が打ち捨てて行った朝倉家の旗印を持ち、逃げる敵の少し後ろを付いてきている。

 やがて金ヶ崎城の城門が見えてきた。

 逃げてきた兵を迎え入れるために、重そうな城門が軋みながら開いた。

 我らも鬨の声などあげず、なるべく静かに敵の後ろからついていく。

 金ヶ崎城の守兵たちは、味方が大敗しても損害はせいぜい千くらいだろうから、少なくとも四千くらいは戻ってくると思っているはずだ。

 その心理的な隙をつくというのが軍師殿の策だ。

 実際には敵は散り散りになっていて、城に逃げ込もうと我らの前を行く者は千くらいしかいない。

 城兵が門を開けたところで、我らも首尾よく城に入ることができた。

 十分に味方が入り込んだところで、法螺貝がなった。

 味方は一斉に抜刀し、敵に切りかかった。城の中のような狭い場所で戦うなら、槍よりも刀の方が良い。

 まず城門を動かす敵を倒し、城門を閉じられないようにした。

 味方はさらに城門からなだれ込んでくる。

 金ヶ崎城を守る兵たちは慌てている。城の守兵は予想どおり少なく、数百人しかいないようだった。

 「どうしたのだ、我らは味方だ。」

 「生憎だが、我らは浅井の兵だ。味方ではない。」

 それから、我ら浅井軍による一方的な制圧戦になった。

 戦うことを諦めて降伏した敵も多い。某も足軽大将らしき者を捕えた。

 やがて本丸の館に、三つ盛り亀甲に花菱の旗が翻った。

 味方は沸き上がった。勝鬨も上がる。

 

 戦が一段落したところで、攻略軍の将である浅井明政殿、磯野員昌殿、井口経親殿が揃い、討ち取った敵や捕えた敵の確認が始まった。

 本多作左衛門殿と夏目殿に率いられた三河衆の戦いぶりは凄かった。手柄を立てようと必死なのだろう。

 某と甚内も、殿の近習である青母衣衆の名に恥じないくらいの戦果は挙げることができた。

 そのとき、捕えた敵の一人が、「よくも我らを騙したな、浅井は卑怯者だ。」と罵った。

 罵られた浅井明政殿は、表情一つ変えずに言った。

 「儂は以前に朝倉宗滴殿にお会いしたことがある。宗滴殿は立派なお方だったが、『武士は犬とも言え、畜生とも言え、勝つことが本にて候』と言われたと聞いておる。負けておいて卑怯だの何だのと言うそなたは、真に朝倉家の者か。」

 朝倉家の者は、黙って俯くしかなかった。

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