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長政記~戦国に転移し、家族のために歴史に抗う  作者: スタジオぞうさん
第三章 京の争乱

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六十 賑やかな正月

1567(永禄10)年1月 近江国長浜城 浅井長政

 今年の正月の宴は、家臣が増えて、昨年よりも賑やかになった。

 竹中半兵衛が酔った安藤守就につかまっている。あの天才半兵衛にも苦手なものがあるんだな。

 稲葉良通は三条西卿に連れられて挨拶に来てくれた。

 親の代のことは済んだことで、これからは浅井家の家臣として力を尽くすと言ってくれた。稲葉一鉄は軍事も内政もできる良将だ。俺からも、父は完全に引退したので浅井は別の家になったと思ってほしい、これから頼りにしていると言っておいた。

 西美濃三人衆のもう一人の氏家直元は、元六角六人衆の目賀田貞政と酒を酌み交わしている。

 三河出身の本多正信・正重兄弟や夏目吉信もいる。

 本多正信は湖北十ヶ寺との交渉で活躍してくれた。外交や謀略の得意な武将として活躍してくれるだろう。正重は兄と違って戦場で輝くタイプの武将だ。

 若い家臣も増えた。

 今年で12歳になった藤堂高虎は少し早いが、体も大きいので元服させた。

 13歳になって元服した脇坂安治は浅井郡脇坂庄出身で、歴史では賤ケ岳の七本槍の一人となる武将だ。

 二人とも姉上の訓練場で鍛えてきたが、同期のライバルのような関係らしい。切磋琢磨して二人で伸びていってほしい。

 その下にも11歳になった蒲生氏郷がいる。氏郷は歴史の評判に違わぬ優秀さを発揮して家中でも注目されている。本人は早く元服したいようだが、元服すると戦にも出る。焦らず、もう一年待つようにと諭した。

 そして家臣ではないが、京極家が初めて宴に参加した。姉夫婦が子ども達を連れて来ている。後の京極竜子になる長女は6歳になり、一層可愛くなったな。4歳になった長男は、後の高次だ。

 ここまで浅井の勢力が大きくなると、かつての主家というプライドに拘っていてはいけないという考えが京極家中で強まったと姉から聞いている。高次がもう少し大きくなったら、どこかの城主に任じる形で浅井の家臣だと示すことにしてはどうかと思っている。


 日本海まで領地が届いたことで、北海道の産物も入るようになった。

 ふんだんに昆布で出汁をとった料理は旨い。

 俺の隣ではお市も美味しそうに料理を食べながら、三歳になった猿夜叉丸をあやしている。

 昨年はいろいろあったが、お市が俺の転移の秘密を知ったうえで受け入れてくれたことは、とても大きな出来事だった。今では自分が何者なのか悩むことはなくなった。

 政元は、三条西家から嫁いできた姫と仲良く食事をしている。武家への嫁入りに姫は緊張していたようだが、政元は和歌が好きで優しいことを知り、落ち着いたようだ。

 姉の実宰院のもとには、無事に初陣を済ませた若宮まつがやって来て、話に聞き入っていた。そのうちに京極の姉上がやってきて、姉二人は嬉しそうに話を始めた。京極を主家として気遣う必要がなくなってきて、ようやく気兼ねなく二人が公の場で話せるようになって、俺も嬉しい。

 従妹の浅井松千代は妹の竹千代と前田利家の妻のまつと話し込んでいる。まつは賢明な女性として歴史上の有名人だが、やはり優秀らしい。従妹殿は手放しで褒めていて、自分の右腕となってもらいたいと言っている。

 この世界線では浅井は滅ぶつもりはないので、生きて存分に腕を振るってほしい。

 竹千代は11歳になり、姉を補佐するようになっている。辣腕で知られる姉に劣らぬ切れ者だと噂されている。

 この伯父上の次女は、歴史では後に饗庭局あえばのつぼねと呼ばれる。

 饗庭局は姉の海津局と同じように淀殿に仕え、その名代として、大阪冬の陣の後に徳川家康のもとに赴くなど重要な交渉にあたっている。

 中でも、関ヶ原の戦いのときに京極氏が籠城した大津城に淀殿の名代として行き、北政所の名代の孝蔵主らと共に開城させて京極竜子を助け出したという逸話は印象的だ。

 浅井家が滅んだ後も、浅井の女性たちは助け合っていたことが分かる。

 淀殿と竜子は秀吉の妻の中の序列争いで仲が悪かったというような説も聞かれるが、淀殿を貶めるために後世に作られた逸話の一つではないかと思う。

 そして饗場局は大阪城落城のときには息子の内藤長秋とともに自害し、三十二義士の一人と伝わる。

 海津局といい饗場局といい、生涯にわたって娘たちを支えてくれることには本当に感謝しかない。


 昨年、美濃で織田信長といろいろなことを取り決めた。

 美濃には浅井が援軍を出したが、今度は越前の朝倉を浅井が攻め、織田も援軍を出すことになった。

 浅井が西美濃を調略したように、織田は越前の大野郡を調略すると言ってきたので、お願いすることにした。大野郡司の朝倉景鏡は史実でも朝倉を裏切り、織田に寝返っている。

 次に商業を振興するために、浅井と織田で度量衡を統一し、領地の境の関所もなくすことにした。

 これまで重さや長さの単位が違うことは取引を難しくしていた。たとえば塩一斤いくらと値段を付けても、一斤がどのくらいの重さか国によって違っているのでは売買しづらい。

 また関所で品物を調べられ、関銭という名の関税を取られることは物流を妨げてきた。

 もちろん国境の関所をなくすことは大きな決断だ。

 浅井の家中からは大丈夫かという声が出たし、織田家も同様だろう。

 だが、俺は織田家と戦うつもりはないし、義兄上も同じ考えだった。

 信長は、織田と浅井は唇歯輔車しんしほしゃの関係だと言った。

 唇歯輔車は春秋左氏伝しゅんじゅうさしでんにある言葉で、一方がだめになると、他方もだめになってしまうような関係を意味する。

 俺も、浅井と織田は一心同体だと答えた。

 浅井と織田の両家は東海道、東山道、北国街道など京や堺に続く重要な街道を抑えているし、日本海から伊勢湾までの領地を持っている。

 両家が度量衡を統一し、関所をなくすことで、この地域の商業は飛躍的に伸びるはずだ。

 

 

本日最初に投稿した際、同じ文章が重複してしまっており、大変申し訳ありませんでした。言い訳でしかありませんが、最近投稿を始めた「天職(Calling)」のアクセスが長政記に比べればあまりにも伸びず、動揺してしまい、ミスをしてしまいました。改めて、長政記は多くの方に読んで頂けるという幸運に恵まれていると感じております。引き続き、どうぞ宜しくお願い申し上げます。


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