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長政記~戦国に転移し、家族のために歴史に抗う  作者: スタジオぞうさん
第三章 京の争乱

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五十七 北勢への進出

1566(永禄9)年4月 伊勢国亀山城付近 浅井政元

 以前より兄上が調略をかけていた伊勢国北部に兵を進めました。

 出兵の時期は、農民兵を主力とする家は兵を動かしづらい田植えの頃を狙いました。銭で雇っている兵の、いつでも仕掛けられる有利さを生かすためです。

 今回、総大将は兄上ではなく、私が任せられました。

 陣立ては南近江の元六角家臣、伊賀衆、甲賀衆という新参の者たちが前線に立っています。

 その後ろに前田利家殿が石部城の兵を率い、遠藤直経殿が蒲生郡の兵を率い、野村直隆殿が佐和山城の兵を率い、最後に私が浅井の常備兵を率いています。

 本陣の私の側には、三田村の爺に加えて平井定武殿も付いています。旧六角家臣も信頼していることを見せるためです。

 ただし、今回攻める関家と神戸家はどちらも蒲生家の娘を娶っているので、領地を減らした蒲生家の兵は連れてきていません。

 隣接する領主と婚姻関係を結ぶとは、蒲生家は普通の家臣にはない力を持っていたんだなと思います。

 蒲生家の動きに不安があることもあって、兄上は八幡山城に後詰めをしてくれています。

 新参の兵が多い陣立てなので、普通に考えると不安があるところです。総大将の私も経験不足ですね。

 ですが、事前に橘内殿を中心に調略をかけたおかげで、激しい戦いはないままに神戸家を降し、今は関盛信の居城である亀山城を包囲しています。

 これまでに占領した土地の維持は警備兵に任せてきました。今回は姉上もお方様も来ていないので、警備兵の指揮は弓削梓殿がとっています。

 戦の後で浅井の警備隊が来ると、山や森に逃げていた民は安心して戻ってきました。

 民を守る警備兵の評判はたいしたものだと思います。

 「次郎様、敵から降伏の使者が参りました。」

 これで今回の戦は一段落です。

 無駄な抵抗をしないでくれて良かったと思います。

 降伏してくれたので関盛信を助けるよう、私から兄上にお願いするつもりです。


1566(永禄9)年5月 近江国長浜城 浅井長政

 北勢の関氏、神戸氏が降伏したという知らせがあった。

 政元は無事に総大将の任を果たしてくれた。

 若狭攻めでも無難に兵を指揮していたし、今回は俺がいなくても勝てるところを見せた。これで南近江の旗頭として、周囲の見る目も変わってくるだろう。

 戦後処理でも、政元からの願いを聞き届ける形で関盛信と神戸具盛を助命するから、政元の存在感は高まるはずだ。

 蒲生家にも怪しい動きはなく、甲賀や伊賀の地侍たちもしっかり働いてくれた。

 予定どおりに戦に勝利して、城内には喜ぶ声が満ちている。

 橘内の事前の調略、半兵衛の立てた軍略のおかげで、一気に二つの家を呑み込んだのに味方の損害はわずかだから、完璧な勝利といっていい。

 けれども、犠牲がないわけではない。

 亡くなった地侍の一人は若宮友興という名だった。

 その娘のまつに所領を安堵する書状を書いた。

 実は歴史でも長政は若宮まつに所領安堵状を出している。江戸時代と違い、戦国時代には女子が所領を継ぐことがあったようだ。

 今回の戦いは犠牲はあまり出ないと思っていたが、若宮友興は史実と同じ頃に亡くなってしまった。

 今日は、若宮まつが御礼言上のために城に来ている。

 「若宮家の所領を安堵して頂き、誠にありがとうございます。」

 「お父上は浅井家のために勇敢に戦ってくれた。所領を安堵するのは当然のことだ。」

 まつは10歳で家督を継いだ。

 悲しみをこらえて気丈に振る舞っているが、心の内はつらいだろう。

 俺の前にいるまつの顔は青ざめている。

 転移前に「西部戦線異状なし」という映画を見たことがある。主人公であるドイツ人の青年がフランスと対峙する西部戦線で亡くなっても、大局に影響はないので司令部には西部戦線異状なしと報告されるというストーリーだった。

 戦争に犠牲はつきものだし、多少の犠牲が出ても大局に影響ないと考えるのは、日本でも同じだ。

 けれども俺は、浅井家のために亡くなる兵とその家族の痛みに鈍感になってはいけないと思っている。

 「何か困ったことがあれば、遠慮なく頼ってほしい。それから、まつ殿は将来どんな役目を希望されるかな。兵を率いるなら実宰院の姉上のもとで、商いを盛んにするなら商業奉行の従妹殿のもとで学ばれると良い。」

 「ありがとうございます。もし叶うのであれば、私は実宰院様のもとで国を守る戦いを学び、商業奉行様のもとで商いを学びたいと思います。図々しいお願いで大変恐縮でございますが。」

 「そうか、いや、意欲があるのは良いことだ。では姉上と従妹殿に伝えておく。」

 若宮まつは、後の山内一豊の妻だという説がある。

 悲しみの中にあっても、文武ともに学ぶ意欲があるのは偉いなと感心した。


 今年の2月、覚慶は還俗して足利義秋と名乗った。

 河内の畠山、越後の上杉、越前の朝倉などに連絡をとり、自分を助けて兄の仇である三好を討つよう呼びかけているようだ。

 浅井が北勢に進出したことで、周囲の大名は警戒を強めているだろう。

 義秋が近江にいると、俺が義秋派の中心になると思う大名もいるみたいで、朝倉なんかは越前の一乗谷に来るよう誘っているらしい。

 俺は義秋を担いで三好と戦うつもりはない。三好義継とは、ある程度個人的な信頼関係があると思っている。

 それに、義秋を助けたところで、いざ将軍になれば、今度は浅井の力を抑えにかかるだろうことは目に見えている。

 ただし、それこそ朝倉などに行かれて反浅井で動かれても面倒なので、一定の支援は行う。

 そして、もし近江を出るなら美濃に行くよう仕向けたい。



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