五十四 若狭を狙う
1565(永禄8)年6月上旬 近江国 長浜城 浅井長政
未来に伝わる歴史の詳細は、橘内と半兵衛にだけ話すことにした。危険な知識ではあるが、諜報活動や軍略に役に立つはずだ。
ただ、事前に二人に秘密を聞くかどうか確認することにした。
橘内に、話を聞いたら後には戻れないが、俺の秘密を聞くかどうかとたずねたら、迷わず話してくれと言ってきた。
そして俺が未来から来たことを伝えたら、驚くどころか、いつになったら話してくれるのかと思っていたと言われた。橘内は、米や酒のつくり方、蚕の改良など俺の持ち込んだ知識は通常ではあり得ないものだと判断して、何か裏があるはずだと思っていたらしい。どんな裏があるのか、橘内が立てた推論の一つに、俺が未来から来たというのもあったというから驚いた。
竹中半兵衛にも、話を聞いたら後には戻れないが、俺の秘密を聞くかどうかとたずねた。
ぜひ聞かせてほしいと即答だった。
俺の意識が未来から転移してきたと言うと、半兵衛は少し目を見開いたが、あとは淡々と聞いていた。こんな突飛な話を信じてくれるのかと聞くと、浅井家の政はあまりに斬新なので、何か秘密があるのではないかと思っていたと答えた。
俺の知る未来の歴史を話すと、これで非常に有利に戦略が立てられるし、歴史が変わるとしても誰が信用できそうか、誰が優秀なのか分かることは非常に大きいと言った。
最後に半兵衛は静かに問うてきた。
「殿、ところで私はいつ病気で死ぬのでしょうか。」
俺は言葉に詰まったが、正直に話すことにした。
「俺の知る歴史では、三十五歳くらいだ。だが、この世界は俺の知る歴史からもう随分ずれている。俺は医者じゃないが、少しは健康についての知識も覚えている。半兵衛の寿命は伸ばせると思うし、全力を尽くす。」
半兵衛は儚い笑みを浮かべた。
「お気遣い、ありがとうございます。私は子どもの頃から体が弱いので、長く生きられないと思ってきました。ですが、殿の知っておられる歴史でも、まだ十五年近くあることが分かって安心しました。」
未来に伝わる歴史を知るということは、ある程度の確度で自分の死期を知ることにもなる。やはり禁断の知識なのかもしれない。
その翌日、半兵衛がやってきた。
「将軍義輝様が亡くなられたことで、多くの者が動き出します。浅井も手をこまねいているわけにはいきません。」
半兵衛はにじり寄ってきた。
「殿、若狭をお獲りなさいませ。」
「将軍の喪に服さず、戦をするか。」
「ええ、浅井の富の源泉は商業。領地が海に届く重要性は殿がよくご存知でしょう。若狭は守護の武田義統に将軍義輝殿の妹君が嫁いでいて、手が出せない土地でした。しかし、足利将軍家が混乱している今なら獲れます。」
「確かに浅井にとって、日本海の港を得る意味は非常に大きい。だが将軍を助けようとしておいて、死んだら手の平を返すように将軍の縁戚の国に攻め込むと、浅井の信用は下がらないか。」
「殿が獲らなければ、朝倉が獲るだけのことです。殿の知識ではもうすぐ武田義統が死に、その子の元明は朝倉に連れ去られ、若狭は朝倉の支配下に入ります。そして、近いうちに亡くなった将軍の弟が近江に来られます。多少の悪評を得るとしても、攻めるのは今をおいて他にありません。」
「分かった、半兵衛。若狭を獲ろう。」
今では日本海側は裏日本と呼ばれることもあるが、この時代の海運は太平洋ではなく日本海が中心だ。
若狭を獲れば、日本海を船で運ばれる昆布やニシンを小浜湊で陸揚げして、琵琶湖を経由して京まで運ぶルートが浅井領内で完結する。うちは関所をなくし、道路を拡張するから、物流は一層盛んになるだろう。
浅井では、最近は清酒や黄金鮒に加えて、生糸や淡水真珠も売っている。特に淡水真珠は堺の商人が目が飛び出るような値段で買っていくと従妹殿が嬉しそうに言っていた。
こうした産品を他国で関銭や津料を払うことなく、直接北の国々に売れるようになれば、利は大きい。
若狭を獲ると決めると、半兵衛の動きは早かった。
橘内や本多正信、宮部善祥坊とも協力して、国吉城の粟屋勝久に調略をかけた。
粟屋は若狭守護の武田義統が重臣の逸見の叛乱を鎮めるために朝倉の手を借りたことに反発し、義統の弟の武田信方を担いで対抗していた。
このままでは若狭が朝倉領になってしまうと危惧している粟屋勝久は、半兵衛たちの調略に応じ、浅井に援軍の依頼をしてきた。
これで浅井が若狭に攻め込んでも、侵略者ではない。
若狭は石高が10万石に満たない小国だ。
日本海貿易で儲けている分、石高よりも豊かだが、若狭全体で動員できるのは頑張っても五千人くらいだろう。
しかも若狭国内は一枚岩ではなく割れている。
守護である若狭武田家の跡目争いに重臣の粟屋、逸見が絡み、常に争っている印象だ。
半兵衛が指摘したように、若狭が独立を保っていられたのは足利将軍家との姻戚関係があるからだろう。
今の浅井は農繁期でも1万5千くらいの兵はすぐ動かせる。
まだ田植えが終わらないうちに攻め込もうと、6月のうちに出兵することにした。




