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長政記~戦国に転移し、家族のために歴史に抗う  作者: スタジオぞうさん
第三章 京の争乱

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五十二 長政は何者なのか

1565(永禄8)年5月 近江国 長浜城 浅井長政

 少し気分を変えようと庭を散歩した後で小部屋に戻ったら、その中でお市が立ち尽くしていた。

 しまった、鍵をかけるのを忘れたか。

 小部屋の中には俺が知っている未来の歴史を書いたメモがたくさんある。

 俺の正体は、いつか知られる日が来るんじゃないかとは思っていたが…。

 「お市、ここにあるものを読んだか。」

 自分でも驚くくらい、しわがれた声が出た。

 「はい、すみません。勝手に入ってしまって。」

 「いや、謝るのは俺の方だ。これまでずっと話せずにいた。」

 お市の目は大きく見開かれている。

 「ここにある書付けを見て驚いただろう。これは俺の知っている歴史を整理して、実際に起きたことと比較したものだ。実は俺は、未来からこの世界に来て、新九郎殿の体に乗り移った。」

 お市は、俺が作ったメモの一つを持って固まっている。

 「浅井新九郎は野良田の戦で死んだんだと思う。俺の意識がこの体で覚醒したとき、新九郎の記憶は残っていたが、意識は無かった。とにかく混乱したよ、俺はどうすれば良いのかって。最初はただ生き延びようと思っていたが、ここで家族や家臣と過ごすうち、浅井家を滅びから救いたい、皆が幸せに暮らせる未来を掴みたいと思うようになった。」

 俺はじっと手を見た。

 「でも、ときどき思うんだ、俺は一体何者なんだろうって。転移する前の俺の記憶は大きく欠けている。歴史の知識や米作り、酒造りとかの未来の知識はあっても、自分の名前も仕事も思い出せない。何歳だったかも覚えていない。」

 お市に何と言って謝ればいいんだろう。

 「これまで黙っていてすまない。こんな大事なことを妻のお市にも隠していてすまない。いや、俺はお市と結婚する資格などなかったんだろう。こんな訳の分からない化け物ですまない。」


お市

 本当に驚きました。殿が未来から来て、浅井新九郎殿の体に宿ったなんて。

 しばらく、絞り出すように話す殿の話をただ聞くことしかできませんでした。

 ですが、殿がつらそうな顔で謝り始めるのを見て、ようやく口が動きました。

 「謝らないでください。そのようなこと、簡単に話せないのは当然です。ですが、今のお話を聞いて、どうして殿が不思議な知識を持っておられるのか、ようやく分かりました。」

 そう、どうして殿は誰も知らないような米作りや酒造りの技を知っていて、さらに淡水真珠や蚕のことまで知っているのか、ずっと不思議に思っていました。未来から殿が来たのなら、辻褄はあいます。

 そして、私には殿に言わなければいけないことがあります。

 「自分が何者か分からないとおっしゃいましたが、私はあなたが何者か知っています。」

 殿は、はっとした様子で顔を上げました。

 「私は昔の殿を知りませんが、それでも私が殿に出会ったのは、もう4年近く前です。そのとき、あなたは美濃まで私を救いに来てくれました。同盟国とはいえ、いつ敵に回るかもしれない織田の姫である私を本当に大切にしてくれました。それから殿は、六角を討って近江を統一しました。米を多くとれるようにして、商いを盛んにして、民を豊かにしました。」

 私は殿のすぐ近くまで寄って、話し続けました。

 「あなたが何者かといえば、家臣たちにとっては常勝の主君であり、民にとっては暮らしを楽にしてくれる殿であり、私たちの息子の父です。そして私にとっては、かけがえのない大切な夫です。それでは足りませんか。」

 殿は涙をぽろぽろこぼしました。

 殿が涙を流すところなんて、初めて見ました。

 私は殿の手を取りました。

 「近江に嫁いできてから、たくさんの思い出ができました。結婚式のこと、蓮華畑を一緒に歩いたこと、子どもを授かったこと、最近は神鳥の船にも一緒に乗りましたね。どれも大切な思い出です。その中でも、領内を回ったとき、清水山城の櫓から殿と一緒に見た琵琶湖の景色は、きっと一生忘れません。この思い出は全部、他の誰でもない、あなたと私の思い出です。」

 殿は戦は強く、内政も上手く、謀略もできる。何でもできる強い人だと思っていました。

 それでも、ときどき殿の表情が翳ることはありました。子どもが生まれたときも、何か悩んでいる様子でした。

 内政や外交のことで悩んでいるのかと思っていましたが、こんな秘密を抱えていたとは。

 「俺は、ここにいて良いのか。」

 「ここにいて下さい。私はあなたに会えて良かった。」

 私は、殿の体を抱き締めました。

 「これまで一人で悩み、苦しんできたのですね。見てしまった書付けには、浅井家は滅ぶとありました。それを避けるため、これまで頑張ってこられたのでしょう。殿の悩みは、これからは私も一緒に背負います。」

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