五十 将軍の独白
1565(永禄8)年5月 山城国 二条御所 足利義輝
三好家が阿波で兵を集め、京に上ってくると知らせがあった。
幕臣たちは丹波攻めのためだとか、万一ここに来ても御所巻だろうと言っている。
だが本当にそうだろうか。
私は幕臣たちに言われるままに三好長慶と争ってきた。
その長慶が死んでみると、何故あんなに争ってきたのだろうと思う。
幕臣たちは、三好が幕政を仕切るのはけしからんと言う。
だが三好の前は管領の細川が幕府を差配していたではないか。細川が幕府を壟断するのはよくて、三好はいけないというのか。
管領家で家柄が良ければ、将軍をないがしろにしても良いという道理はあるまい。
どちらにしても、足利家が本当に幕府を掌握できていないことに変わりはない。
私は足利将軍家が力を取り戻して乱世を終わらせ、平和な世にしたいと思い、今日まで足掻いてきた。
だが現実には各地で戦は続いている。
もし幕臣たちが進言してくるように、浅井や織田、上杉を使って三好を排斥しても、それで乱世は終わらないだろう。
今度は浅井や織田が三好のように幕府を動かすようになれば、どうするのか。
近江の浅井新九郎から書状が届いた。
驚いたことに側近を通じて届いたのではなく、使用人から密かに渡された。
私の周囲にも浅井の手が及んでいるのだな。
浅井の力が大きいことを実感した。
浅井新九郎の書状では、三好長慶が亡くなり、若い重存が家督を継いだが、末弟の息子だから立場が弱く、弱体化した三好が足利将軍家を脅威に思えば、私の身は危ういかもしれないとあった。
なるほどそうかもしれない。
これまで足利将軍家は脅威ではなかったから、いくら私が諸大名に上洛して三好を追い払うようにと文を出しても、三好長慶は私を放っておいたのかもしれぬ。
近江に来れば、浅井家が全力を挙げて私を守るとも書いてあった。
浅井長政は義理固い人物だと言われている。野良田を攻められた報復に六角支配下の高島郡を攻めたことはあるものの、斎藤や六角が越境してきても守りに専念し、他国に攻め込むことはなかった。
南近江を獲ったのは、六角義治が乱心して家臣を討ったことに怒った六角家臣団の要請を受けてのことだ。
私は近江に行ってみようかと思った。
だが御所を出た私に追いすがり、幕臣たちは京を離れるべきではないと言ってきた。
将軍が逃げ出すと威信が傷つくと彼らは言うが、これまでに何度か朽木谷に逃げたことがあるのを忘れたわけでもないだろうに。
幕臣たちは京の将軍の御所にいれば、守護に任じてほしい大名から賄賂をもらうなどのうま味がある。それがなくなるのが嫌なのかもしれない。
だが、これまでのしがらみで、そんな彼らを私は切り捨てられない。
浅井新九郎長政に会ってみたかったな。
近江に行った十兵衛の話では、領内は商いが盛んで、町は賑わい、民は明るい顔をしているらしい。
良い統治をしている証拠だ。
京は長く続く戦乱ですっかり荒れてしまった。民の顔色も暗い。
足利将軍家や管領の細川家よりも、浅井家のほうが良い政を行っているのではないか。
だが幕臣の多くは浅井のような身分の低い者に将軍が軽々しく会ってはいけないと言う。
足利家の後ろ盾だった六角家が倒れ、その後に近江を治める浅井に頼るほかはない状況だというのに。
この乱世に出自など、どれくらい意味があるのだろう。
私は将軍として諸大名を従わせ、秩序を取り戻そうとしてきたが、うまく行かなかった。大名たちは将軍の権威が必要なときだけ私によってくるが、本気で支えようとする者はいない。
家柄だけで物事は動きはしない。
足利将軍家の次に家柄の良い管領の細川家も力を失っている。
考えていると、御所内がにわかに騒がしくなった。
側近の一人がやってきた。
「上様、三好の軍勢が二条御所を囲んでおります。」
何を慌てておるのか。昨日もそういう話をしたではないか。
御所巻で終わるのか。それとも私の命を取りに来るのか。
幕臣たちの操り人形だった私の人生は、今日で終わるのか。




