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長政記~戦国に転移し、家族のために歴史に抗う  作者: スタジオぞうさん
第二章 近江の統一

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四十五 政元の結婚相手

1564(永禄7)年11月上旬 近江国長浜城 浅井長政

 弟の政元の結婚相手が決まった。三条西家の姫だ。

 公家には家格がある。三條西家は大臣家で、摂家と清華家に次ぐ。

 たとえば三好重存の妻は九条家の養女だが、九条家は五摂家の一つで関白になることもあるのに比べれば、大臣家は高い家格じゃない。

 ただ、三条西家は古今伝授こきんでんじゅを代々受け継ぐことで有名な学者の家だ。

 それに三条西家の本家筋の三条家は、当主の三条公頼が大内義隆と共に山口で陶晴賢に討たれ、養子の実教も若くして亡くなった。

 歴史では三条西家当主の孫が三条家を継ぐことになる。

 三条家は家格が精華家で、藤原北家閑院流の嫡流に当たる名家だ。さらに亡くなった公頼の娘は本願寺顕如と武田信玄の妻になっている。

 いろいろと複雑な話だが、要するに三条西家と婚姻すれば、本願寺や武田とも親戚になる。

 これは今後の外交を考えると、とても大きい。歴史上の信長包囲網の主力は本願寺と武田だった。 

 ところで、三条西家には適当な年齢の姫がいなかったので、政元に嫁いでくるのは養女だ。

 養女の実家は高倉家で、高倉家の家格は半家だ。

 公家の家格は摂家、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家の順になっていて、半家は最も低い。

 安養寺や進藤と、その点はどうなのか議論した。

 戦国時代の公家は貧しく、大国の主となった浅井家に姫を嫁がせようとする公家は、それなりに高い家格の者にもいた。

 でも半家と家格は低くても、高倉家は特殊な家なんだ。

 天皇の着替えを担当する家で、平安以来の装束に関する有職故実ゆうそくこじつの集大成である衣紋道えもんどうの大家だ。すなわち着物のプロだ。

 浅井は近江で絹織物を生産してブランド化しようとしているので、着物の権威である公家と縁ができるのは歓迎だ。

 政元の妻は三條西家の姫に決まった。

 政元に政略結婚をさせることはすまないと思うが、大名の家に生まれた宿命だ。


 最近、新しい仕官希望者たちと会った。

 少し傷みの目立つ服を着た、やつれた印象の武士たちだった。

 「当家に仕官を希望するのは、そなたたちか。」

 「はっ、某は本多正信と申します。こちらは夏目次郎左衛門殿、そして弟の正重にございます。」

 仕官を希望してきたのは、三河一向一揆で徳川次郎三郎家康と戦った者たちだった。

 本多兄弟に加えて忠勇で知られる夏目吉信も来てくれたか。夏目吉信は三方ヶ原の戦いで家康の身代わりになって戦死したと伝わる。明治の文豪、夏目漱石の先祖だという説もある。

 「我らは徳川家に仕えておりましたが、当主の次郎三郎様が上宮寺から米を無理やり奪うという無体をなさり、三河で一揆が起きましたため、悩んだ結果、一揆側について戦いました。浅井近江守様は領内を豊かにし、民を安んじておられると聞きました故、仕官を願い、近江に参りました。」

 「そなたらは主君への忠誠と信心の間で苦しんだと聞く。俺は寺社を理由なく圧迫するつもりはない。一揆が起きないような政をするつもりだ。だが、もし寺の利益のためだけに一揆を起こそうとするなら、戦うことはありえる。そのときはどうするつもりだ。」

 浅井は本願寺派の寺院とも良い関係だという噂を流しておきながら、意地の悪い質問だと思うが、家臣の中には一向一揆を脅威だと思う者もいる。念のために聞かせてもらった。

 「我らは決して寺を妄信しているわけではありませぬ。三河では寺の言い分に理があると思えばこそ、主君と戦い申した。もし寺の利益のために一揆を起こすようなことがあれば、浅井家のために戦って死ぬ覚悟でございます。」

 「うむ、よく言った。そなたらは今日から浅井の家臣だ。」

 優秀な家臣はいつでも歓迎だ。本多正信が満点以上の回答をしたのは、俺の質問の意図も察してくれたのではないかと思う。

 活躍を期待している。


1564(永禄7)年11月下旬 近江国長浜城 浅井次郎政元

 今日は兄上の近江守叙任を祝って、宴が行われています。

 私の隣では三田村の爺が美味しそうに清酒を飲んでいます。

 一昨年の正月で失敗して以来、私も少しずつ酒に慣れるようにしています。今ではある程度飲めるようになりました。

 でも清酒は濁りが少なくて綺麗だと思いますが、美味しいかと言われると微妙です。鮒の黄金煮が美味しいことは自信をもって言えるのですが。

 私も元服したので、もう大人です。お酒も美味しく飲めるように努力したいと思います。

 兄上がすっと立ち上がりました。

 「皆の者、今日はさらに祝い事がある。」

 家臣たちが騒ぐのを止めて、兄上に注目します。

 「次郎も元服し、十六になった。そろそろ嫁を迎えても良いと思う。」

 家臣たちから「それは目出度い」とか「儂の娘はいかがですかな」などの声が上がった。

 兄上は笑顔を浮かべながら話を続けた。

 「うむ。家中から嫁を迎えるのも良いのだが、今後のことを考えて、公家から迎えることにした。浅井は近江を統一したので、これからは将軍家だけではなく朝廷とも関わっていくことになる。公家からも結構たくさん縁談が来たぞ。どこから嫁にもらうかは安養寺と進藤に考えてもらった。進藤はさすが名門六角家の外交担当だけあって有職故実に詳しくてな、公家との交渉で活躍してくれている。」

 家中の者たちが進藤殿に注目しています。進藤殿も誇らしそうです。なるほど、こうして新旧の家臣の融合を図るのですね。

 兄上は最近三河から仕官した本多正信たちも、その長所を褒めながら家臣たちに紹介していました。

 私も城主になるので参考にしないといけません。

 六角を倒した後に、八幡山城主になると聞いたときは驚きました。

 私は六角との小競り合いで初陣を済ませた程度で、今回の南近江遠征でもたいした功績はありません。

 それでも、八幡山城は南近江の中心となる城なので、家臣に任せると他の家臣から突出し過ぎることは理解しました。

 兄上から「お前しかいない、頼む」と言われたので、自分なりに覚悟だけは決めました。

 城主になる以上、いざというときは城を枕に討ち死にするつもりだと言ったら、爺が目を潤ませていました。


 「次郎の嫁は三条西家の姫君に決めた。三条西家当主の実枝殿は権大納言だ。今は駿河に下向しておられるが、近江に来られるかもしれん。三条西卿は古今伝授で知られる和歌の権威だ。書道や香道にも詳しい方だぞ。」

 家臣たちは「書道は苦手だ」とか「和歌など詠んだことがない」などと言っています。

 私も得意ではありませんが、和歌は好きです。

 三条西家の姫は養女で、本当の生まれは高倉家だそうです。

 高倉家は家格が低い半家だそうですが、浅井は最近まで国人領主だったのですから、気にはなりません。

 生まれが良くても役に立つ人間とは限らない。大事なのは、その者の能力だと兄上はいつも言っておられます。

 高倉家は衣紋道の大家と聞きました。

 内政の評定のときに生糸や絹織物の話はよく聞きます。草木染はたいてい黄色か茶色にしか染まらないのに、蒲生郡で採れる紫草むらさきは、その名のとおり紫色に染められる貴重な草だそうです。

 兄上と従妹殿は、紫色の高級な絹織物をつくって儲けるんだと盛り上がっていました。

 私は南近江に行ったら、高く売れる絹織物を作ることも役目のうちです。きっと姫の着物の知識が役に立つでしょう。

 嫁いでくる姫と会ったことはありませんが、兄上とお市の方のように、仲の良い夫婦になりたいと思います。

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