四十 稲葉山城乗っ取りと美濃の忍び
1564(永禄7)年2月 近江国小谷城 浅井長政
「殿、大変でございます。橘内殿の手の者から知らせがあり、美濃の稲葉山城が家臣に乗っ取られたようでございます。」
近習の田中吉政が飛び込んできた。
南近江を獲るなど歴史をだいぶ変えてしまったが、このイベントは起きたか。
竹中半兵衛による稲葉山城の乗っ取りだな。
「そうか、織田殿ではなく齋藤家臣による乗っ取りか。引き続き情報を集めるよう橘内に伝えてくれ。」
ところで、早いもので田中吉政も17歳だ。最初は小姓として仕え、昨年には元服して近習になっている。武芸だけじゃなく、浅井の新しい農業や商業も熱心に学んでいるようだし、周囲の評判は良い。
そろそろ大きな役目を与えても良いかもしれない。
稲葉山城乗っ取りは歴史のとおりなら、半兵衛はしばらくして城を龍興に返す。
だが一時的でも家臣に居城を奪われたことで、龍興の威信は大きく下がる。
これで織田家による美濃攻略は進むことになるだろう。
そして半兵衛は隠棲するはずだが、数年後に浅井領に客将として滞在したらしい。
もし近江に来たら、何とか客将じゃなく軍師として迎えたいものだ。
1564(永禄7)年3月 近江国小谷城 山中橘内
稲葉山城を乗っ取ったのは竹中半兵衛重治だった。
少ない人数で城を奪ったと聞いたが、本当だろうか。
一体どんな手を使ったのか、興味がある。
ところで、その意外な余波が俺のところに来た。
先日、俺の屋敷に見知らぬ者が仕官を希望してきたんだが、話してみると何と齋藤家の忍びだという。
城を乗っ取られたことで龍興の周辺は騒ぎになり、誰の責任なのか揉めた結果、事前に察知できなかった忍びのせいにされたらしい。
以前にお市の方を襲ったとき、危険な任務をあと少しで成功させるところだったのに、褒めるどころか文句を言われ、もともと嫌気がさしていたらしい。
今回のことで、美濃衆と呼ばれる忍びたちは、これ以上齋藤家にいても使い捨てにされるか理不尽なことで責任を取らされるだろうと思い、美濃を去る決意を固めたらしい。
残った者が責められることがないよう、一族で近江にやって来たのだという。
次の仕官先として、自分たちの襲ったお市の方のいる浅井家を選んだのは、浅井家では忍びの仕事が正当に評価され、待遇も良いと聞いたからだそうだ。
確かに浅井家では忍びはきちんと処遇されているが、別に浅井は良いところだと俺たちが宣伝したわけじゃない。それでも、こういう話は自然と広まるものだ。
美濃衆の長は正蔵と名乗った。正蔵は、お市の方を襲ったことの責任は自分が取って死ぬので、どうか一族の他の者を仕えさせてもらえないかと頭を下げてきた。
やれやれ、正蔵は命令に従っただけなのにな。
俺も忍びの端くれだから、こういう話を聞くと何とかしてやりたいと思う。
今日は、大将に相談するために城に来た。
浅井長政
橘内が珍しく深刻な顔で相談に来たから、何かと思えば、美濃衆という斎藤家の忍びが仕えたいと言ってきたようだ。
どうして美濃衆がうちに仕官をしようとしたのか、橘内の話を聞いて、どこの世界でも下っ端は難しい仕事を押し付けられ、責任を取らされるんだなあと思った。
転移前の記憶は曖昧だが、偉そうに仕事を命じるが責任は取ろうとしないお偉いさんもいたような気がする。
悪いのは命令に従った忍びじゃない。
「いや、俺は齋藤家の忍びに腹など立てていないよ。腹を立てるとしたら、お市を襲う命令を出した奴だ。どうやらその命令を出した奴は竹中半兵衛が討ったようだし、もう済んだ話だ。
それより、俺たちが駆け付けたとき、お市たちは危ないところだった。侍女たちを守りながら戦う難しさがあっととはいえ、精鋭の織田家の護衛を押し込んだんだから、美濃衆は優秀なんじゃないか。」
「大将の言う通り、美濃衆はかなりやる。」
「それなら、喜んで仕えてもらうさ。その正蔵という者には、責任など取る必要はない、むしろこれからの活躍を期待していると伝えてくれ。」
優秀な忍びは歓迎だ。頼みたい仕事はいくらでもある。
「一族で来たんなら、広い屋敷がいるな。なるべく早く用意するよう言っておくよ。忍びの仕事は橘内の指揮下に入ってもらうので良いよな。俸禄は橘内に任せるが、あんまり甲賀者と差別しないでくれるか。」
山中橘内
大将なら大丈夫とは思ってはいたが、お市の方を溺愛しているから、そのお市の方を襲った美濃衆を仕官させてくれるか少し心配だった。
だが期待以上の回答を得た。俸禄は俺たち甲賀衆と同じにしよう。
正蔵を呼んで、仕官を認めるという大将の回答を伝え、じきに屋敷が手配されること、俺たちと同じ俸禄にすることなどを知らせると、嗚咽をこらえながら感謝の言葉を繰り返した。
忍びは武士より低く見られるし、中には人間扱いしない武家もある。
でも大将は違う。そんな大将だから、力になりたいと思ったんだ。
浅井も大きくなってきたから、暗殺者が送り込まれることもあるだろう。
だが、俺の目の黒いうちは大将を殺らせはしない。
忍びと言えば、甲賀の隣の伊賀郡は4郡のうち3郡は六角の傘下にあった。
今後は浅井の傘下に入らないか、実家の山中家が窓口になって交渉している。俺の実家は山中家では庶流だったんだが、殿が甲賀の旗頭にしちまったので、忙しくなっているようだ。
伊賀と甲賀は仲が悪いと思う奴もいるようだが、実際は助け合っている。
伊賀の連中もどこかの大名の保護が必要だから、浅井の下につくことを考えてはいるようだ。ただ、伊賀南部の名張郡を勢力下に置く北畠も使者を寄越しているようだし、三好もちょっかいを出しているようだ。
今回の美濃衆の話も伝えて、そろそろ決断するように伝えよう。




