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長政記~戦国に転移し、家族のために歴史に抗う  作者: スタジオぞうさん
第二章 近江の統一

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三十七 南近江のこれから

1563(永禄6)年10月 近江国観音寺城 浅井長政

 蒲生家が降伏し、六角家は滅んだ。

 浅井家と六角家の両家の重臣たちを観音寺城に集め、今後のことを決めた。この話し合いのために老齢の赤尾にも来てもらった。赤尾清綱は観音寺城で平井定武と今後のことについて議論を進めてくれていた。

 また、大きな戦いは想定されないのに大軍を率いてきたのも、六角家を倒した後の南近江で主導権を握るためだ。

 議論の口火は平井定武が切ってくれた。

 「六角義治が悪行の報いで討たれ、先代の義賢様も運命を共にされた以上、南近江の統治を任せられるのは浅井新九郎殿をおいて他にいないだろう。」

 進藤賢盛、目賀田貞政、亡き後藤賢豊の次男である高治も賛同してくれた。観音寺城の周りにいる浅井の大軍も彼らの判断に影響しただろう。

 ちなみに六角六人衆のうち蒲生定秀と三雲定持は義治に付いたことで、この話し合いへの参加資格すなわち発言権を失っている。

 「皆がそう言ってくれるなら、不肖ながら浅井新九郎、南近江を豊かにするために微力を尽くす覚悟だ。」


 次は所領や家の存続をどうするかだ。

 浅井に支援を要請した進藤家、後藤家、平井家、目賀田家の所領はもちろん安堵した。

 そして後藤家の家督は高治が継ぐことを認め、周囲が盛り立てることを確認した。

 蒲生家は所領を6万石から5千石に減らすが、存続させることにした。後藤は取り潰しを主張したが、主君を討つまではしないが諫めるつもりであったという蒲生家の釈明を他の六角家臣は受け入れたので、俺も存続を支持した。マッチポンプのようで良心が痛むが、綺麗事だけでは大名はつとまらない。

 ちなみに目賀田家の所領は2万石と伝わっている。蒲生家の6万石は六人衆の中でも突出していたようだ。

 蒲生定秀は責任をとって引退して賢秀が後を継ぎ、賢秀の子の氏郷は小姓として俺に仕えることになった。要するに人質だ。俺は人質をとるのは好きじゃないが、氏郷は人質として信長に仕えて能力を見出された歴史もあるから、仕えてもらうことにした。もちろん人質といっても、きちんと処遇する。浅井家のことをよく知ってもらい、将来は家臣として活躍してほしいと思っている。

 三雲家も所領を大きく減らし、さらに甲賀の代表を三雲家ではなく山中家とした。 

 甲賀は六角の影響下にはあるが家臣ではない。その関係は浅井の統治下でも続ける。これで橘内は他の甲賀衆の力を借りられる。さらに、浅井に仕えてくれる者がいないかリクルートをしてもらうつもりだ。

 六角の家名は、六角定頼の父である高頼の孫の梅戸実秀に継いでもらうことになった。少し血縁は遠いが、定頼の娘が嫁いだ細川家や土岐家から当主を迎えると、ろくなことにならないだろうと思う。

 六角の家名は北伊勢の地で細々と残っていくのが良い。


 観音寺城は廃し、八幡山に新しい城を築き、南近江統治の拠点にすることにした。

 観音寺城は壮麗な山城だが、六角の歴史が詰まった城だ。だから浅井家の城をつくろうと思った。

 八幡山は歴史では豊臣秀次が城を築いた場所だ。観音寺城よりも湖に近くて、領地を水運でつなぐ俺の構想にもあう。廃城となる観音寺城から石を運んだり無事な建物を移築すれば、新しい城も早く出来るだろう。

 八幡山城の城主を誰にするかは迷ったが、政元にした。

 出自を問わず登用するのが俺の信条だが、八幡山城主に家臣を任じると、他の家臣から際立ってしまう。

 ここは血筋の近い者を置いたほうが落ち着きが良い。周囲の大名に隙を見せないために、南近江は早く落ち着かせる必要がある。

 国境の佐和山城主の磯野員昌には、八幡山城が完成するまでの間、観音寺城の城代も兼ねてもらうことにした。磯野員昌の武勇は六角家でも広く知られている。

 六角の重臣では、元六人衆の中で最も信頼できる平井定武に政元の後見役になってくれるよう頼んだ。 政元にも平井によく相談するよう言い含めた。

 政元は大任に固まっているが、この数年、真面目に学び、経験を積んだ。身内のひいき目もあるかもしれないが、少なくとも内政では一人前だと思う。

 六角の外交を担当していた進藤には小谷に来てもらい、安養寺と共に外交を担ってもらう。将軍家や朝廷と交渉してきた進藤家の経験には期待している。後藤と目賀田は農業担当の重臣とする。領地と小谷を行き来しながら浅井の新しい農業を知ってもらい、南近江に広めることを期待している。

 そこまで決めたところで小谷城に戻ることにした。

 その他の城主や代官をどうするかは、小谷城で決めるつもりだ。


近江国小谷城 浅井長政

 直属の兵を連れて小谷城に戻ると、お市が城門まで迎えに出てくれていた。

 凛々しい甲冑姿だった。すぐ後ろに僧兵姿の姉上も控えている。

 「お味方の勝利、真に目出度く存じます。」

 「うむ。六角義賢と義治を討ったぞ。市もよく留守居役をつとめてくれた。」

 お市と姉上の後ろには、小谷城の守兵として残った者たちがいる。

 彼らに向かって声を張った。

 「我らはあの強大だった六角を討ち、無事に小谷城まで戻ってきたぞ!」

 「おお!」

 兵たちが歓声で応える。

 そして、小谷城の守兵と、俺の後ろにいる南近江から戻ってきた浅井本家の兵たちをぐるっと見回し、観音寺城では六角の旧臣たちがいるので控えていた宣言をした。

 「六角の下風に浅井が立たされる日々は終わった。今日からは我ら浅井が近江の覇者だ!」

 「おお!」

 兵たちが拳を突きあげ、地響きのような歓声で応えてくれた。


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